福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観音霊験記真鈔21/33

2024-04-21 | 諸経

 

観音霊験記真鈔21/33

西国二十番山州良峯寺千手像 御身長八尺

釈して云く、千手經に云、若し此の陀羅尼(おんばざらたらまきりく)の名を聞く者は尚無量生死の重罪を滅すべし。何ぞ況や誦持する者をや。一切天人常に供養を須らくすべし。専ら名号を称すは無量の福を得、無量の罪を滅し命終して阿弥陀の國に往生す

https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/91635923f82fb9471e20dde13f0a8a8d)。

又観音三昧經に云、観音昔已に成仏し、正法明と号す。

今菩薩と為りて浄土の修行す。已上。按ずるに観世音已に弥陀に依りて成仏し玉ふ。故に又我名を稱する輩を西方浄土へ引導せんとの誓願なり。観音の浄土は南方無垢世界なれども我が本土を捨て西方浄土を指すことは彌陀の名號を餘佛に勝れ玉ふこと思て知るべし。しかれば末代の衆生、何の不足有りてか餘行を修せんや。唯彌陀を信ずべし。已上。

西国二十番山城良峯寺八尺千手観音の像は仁弘法師の開基なり。古老伝へて云く、昔賀茂の里に少女あり。秦氏女と名く。鴨川に臨みて衣を洗ふ、一の箭流れ来る。取りて歸り庵の軒に指す。女思はず懐胎し男子を産む。此児三歳に成し時、人々寄り汝が父はと問ければ、此の矢を指して向ひしに、此の子化して雷と成り天に上る。母も又同じく天に上り去る。今の賀茂の中の祠昔田中たりし時に田主已に苗をほどこすこと数畝、其の苗庭に變じて槻の木となる。母樹下にくだり神となる。賀茂の中の宮是なり。其の槻(つぎ)
歳久しくして田の中に伏し倒れたり。世これを尊みて靈木となす。行圓法師神に乞ふて八尺の大悲の像を刻む。洛陽革堂の本尊是なり。其のあまりの木を以て仁弘法師又尺八の像を作り玉ふ。則ち當寺の御本尊是なり。此寺は源算法師

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjt2t6CsPOEAxUjbvUHHQmbB58QFnoECAYQAQ&url=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F%25E6%25BA%2590%25E7%25AE%2597-1073410&usg=AOvVaw0pFag7VglVLhF4yWg2_zQt&opi=89978449

の開基なり。弘仁法師は中興ならん。其の由未詳者なり。歌に

「野をも過ぎ 山路に向ふ雨の空 良峰よりも晴る夕立」

私に云く、歌の意は一片の夕立と云ふものは風吹き来って、山の頂より晴れ来るものなる故に尒云ふなり。裏の意は上の句の「山路に向ふ雨」と云ふは一切衆生の愛執愛河水を雨にたとふるなり。是諸經論の意なり。繁きを以て之を略す。下の句の「良峯より晴る」と云ふは西方浄土の浄峯を指すなるべし。然れば衆生煩悩の愛雨の妄海を悉く断ずと云ことは、此の大悲の像に帰命し奉る徳なり。故に妄海皆晴盡して一心の月朗らかなることは浄刹にしくはなし。唯仰信せよ仰信せよ。或人の歌に

「弥(やよ)時雨晴れるや月の影高く 光と共に 西へ入るらん」又歌に

「雲晴れて 見る云(てふ)空や 有明の月の光は 西にこそ入れ」

西国の歌に引き合わすべし。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 原人論(全編書き下し) | トップ | 今日は奥の院御廟が落成した日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

諸経」カテゴリの最新記事