わたしは大正11年12月から肋膜炎にかかり医師はみな此の子の病気は良くならないと匙をなげてしまいました。そんなある朝父の夢枕にお大師様が現れ、「子供の病気は医者では治らぬ。お前の好きなものを願立てに絶ちなさい」とおっしゃったそうです。
其の夢つげから父は大好きな煙草をぷっつりとやめました。そしてお大師様におすがりしたのです。ある朝行商のおばさんがきて「子供さんの病気はお大師様の信仰により治ります。君田村というところにお大師様の身代わりになって全国を行脚している行者さんがいるのでその人におねがいしてあげましょう」というのです。
父はあまりにふしぎなことがつずくので早速この人に来てもらうことにしました。それから此の行者さんは2,3日おきにきてはお経をとなえつつわたしの体をさすり、揉みます。父母も一緒に一心不乱にお祈りをしてくれるという日々が続きました。
日がたつにつれ永年苦しんだ私の病気も薄紙を剥ぐ様によくなり、ついには歩けるようになりました。この間父母は精進ものしか口にせず、父は一切煙草を口にしませんでした。そしてひたすらお大師様を拝み続けたのです。
私の病気はこうして完治しましたが両親は「お大師様にお礼参りをしなければ・・・」とはなしあい、ついに大正4年3月30日父が私を連れて遍路に出ました。広島港から船に乗り多度津に上がり、海岸寺、71番弥谷寺、72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺、74番甲山寺、75番善通寺、76番金倉寺、77番道隆寺と七寺参りをしました。帰りは夜多度津港から尾道に着いたのですがお金を使い果たしてしまっていましたのでお接待でいただいたお米をかじりつつ18里の道を歩いて家にたどり着きました。
こうして一文無しのわたしたちが無事に家にたどり着けたのもお大師様のおかげとこころから感謝いたしました。
わたしは現在も21日にはもお大師様の好物とお聞きしている小豆ご飯を炊いてお供えし、朝夕御礼を申し上げています。
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