伝教大師最澄様は弘仁13年6月4日(822年6月26日)、比叡山中道院に入滅されています。本朝高僧傳に「(弘仁十三年六月四日の)翼四日右脇、中道院に寂す。春秋五十有六、夏座三十有七。叡峯に奇雲有り。湖津通俗相共に之を見る」とあります。
弘法大師様と同時に渡唐されていたり、高雄山で御大師様に灌頂を受けられていたり、弟子の泰範の問題、「理趣釈経」の借用の問題等、弘法大師様とは深い仏縁を感じさせられる方です。比叡山は仏教の総合道場として多くの祖師を輩出し、今もって数々の本格的修行者を続出させる支援体制が続いていることには行者のはしくれとして羨ましい気がします。
御遺誡の「我がために仏を作ることなかれ、我がために経を写すことなかれ、我が志を述べよ」とか、「山家学生式」の「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。故に古人の言わく。径寸十枚是れ国宝に非ず。一隅を照らす。此れ則ち国宝なりと。古哲また云わく。能く言いて行うこと能わざるは国の師なり。能く行いて言うこ能わざるは国の用なり。能く行い能く言うは国の宝なり。三品の内唯言うこと能わず。行うこと能わざるを国の賊と為す。乃ち道心あるの仏子、西には菩薩と称し、東には君子と号す、悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」は有名です。
また、「空・化・中」という天台思想も自分にとっては分かりやすい考えのように見えます。すべては実体がないという空である、しかし現実の世界は厳然としてあると見える、しかしそのどちらも真理ではなく世界は空とも言えない、あるとも言えない中である、とでもいうところでしょうか。
「のぼり きて しづかに むかふ たびびとに まなこひらかぬ てんだい の そし」
「さいちょうのたちたるそまよ まさかどの ふみたるいはよ こころどよめく(会津八一)」
しかし弘法大師様は秘密曼荼羅十住心論・秘蔵宝鑰では天台宗は、上から三番目の「一道無為心」として華厳宗の下に置かれています。この理由は「秘蔵宝鑰」で「一法界心は百非にあらず、千是に背けり、中に非ず、中にあらざれば天に背けり・・・かくのごとき(天台宗でいう)一心は無明の辺域にして明の分位にあらず」とされています。