日本紀略 / 天延二年九月八日癸丑条(974)
「八日癸丑 伊勢以下十六社に奉幣し 依って疱瘡災を払ふ也」
天皇は円融天皇。
「大鏡 第三巻二十段 伊尹伝」に当時疱瘡で多くの貴人がなくなったことが書いてあります。
「男君たちは、代明の親王(注1)の御女の腹に、 前少将挙賢・後少将義孝とて、 花を折り給ひし君たち(注2)の、殿失せ給ひて、 三年ばかりありて、天延二年甲戌の年、皰瘡おこりたるに、 煩ひ給ひて、前少将は、朝に失せ、後少将は、 夕にかくれ給ひにしぞかし。 一日がうちに、二人の子をうしなひ給へりし、母北の方の御心地いかなりけむ、 いとこそ悲しく承りしか。・・」
注1)代明親王(よしあきらしんのう)は平安時代中期の皇族。第60代醍醐天皇の第三皇子。母は更衣藤原鮮子。官位は三品中務卿。
注2)代明親王長女の恵子女王の子が前少将挙賢・後少将義孝