「不条理を生きる」円覚寺管長横田南嶺大老師法話
がありました。ここでは老師は「終戦直後、配給米のみを食べていて餓死した裁判官がいた。此れをある若者が憤って文京区白山龍雲院の小池心叟老師(小池老師は当時建仁僧堂から普住したばかりの新進気鋭の禅僧であった)を尋ねて、どうして世の中にはこのような不条理ばかりがあるのか‥という趣旨の質問をした。小池心叟老師はするとただ一言『不平等なり』とのみ答えた。この話はあとから小池心叟老師の弟子となった私(横田南嶺老師)が直接、その後小池老師に心酔して龍雲院の檀家となっていたこの若者から聞いた話である。世の中は不条理で満ち満ちている。お釈迦さまも「この世は苦である」とおしゃっている。しかしこの不条理の理由を安直に求めても仕方がない。「不条理を生きる」のである。「無理会の処に向かって究め来り究め去るべし(興禅大燈国師遺誡)」」とおしゃっていました。
当方も「不条理だからこそ利他行に励む」「怨みに報いるに徳を以てす」べきだと思い蟷螂の斧ですが近所の駅の周辺を掃いたり様々な所に寄付をしたり、被災地のボランテアをしたりしてきました。そして達磨さんが梁の武帝に喝破された「無功徳」との言葉も少しずつ納得できるようになりました。