福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観音霊験記真鈔18/33

2024-04-18 | 諸経

観音霊験記真鈔18/33

観音霊験記真鈔巻之三

西國十七番山州京六波羅蜜寺十一面像。御身長一丈(3.03m)。

釋して云く、亦十一面観音の利益を讃述せば十一面經に具なり。彼經は観世音菩薩南印度南邊補陀落山に在して世尊の許可を受けて説き玉ふ所の陀羅尼經也。經に云く、時に観世音即ち呪を説て云く、唵摩訶迦盧尼迦沙波訶(おんまかきょろにきゃそわはか)と

https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/3e052477130968c5b50248c0b7e82652

)。さて不空の譯には大呪を挙げて此の經には小呪挙げ玉へり。されば諸仏の密呪は秘密の法なり。唯佛とのみ自ら相解了し玉ふ。是餘聖の能く通達する所には非ず。但し是を誦持すれば能く大過を滅して速やかに聖位に登ると楞嚴經に見へたり(首楞嚴義疏注經 (「但密誦即能滅大過。速登聖位」)。遠公の涅槃経疏に云く、真言は未だ必ずしも専らにせず、天竺の人の語なり、翻訳者も解せず是を以て翻せず矣(大般涅槃經義記・慧遠「呪詞。何故不翻。翻改失用多不神驗。所以不翻。又復呪詞未必專是天竺人語。翻者不解。是以不譯。諸經呪詞不翻多爾」)

問、教に由って信を生じ、信に由って解を生じ、解に由って行を起こし果を得る。然るに神呪は解を生ぜしめず。唯誦持して道果を得ることは常途の所談にあらず。如何。

答、世間の病人医方を解せざれども神妙薬に遇ふて是を服食すれば病除て身安穏なることを得る。世藥尚然り、況や如来不思議の呪に於てをや。則ち經を説き此の呪を已って佛に白して言さく、若し男女有て此の呪一遍を誦せば十悪五逆一切の罪障皆悉く消滅し(佛説十一面觀世音神呪經「能讀誦此呪一遍者。一切根本重罪悉得除滅」)諸の病苦を除き諸の怖畏を離れ生死の海を超て涅槃の岸に到る矣。

西國十七番山城國京六波羅蜜寺十一面観音は御長一丈(3.03m)にして空也上人の作なり。村上天皇の御宇天暦五年(951)の比、洛中洛外疫癘に由て人の死する事夥し。時に空也上人是をあはれみ玉ひて件の大悲の像を刻みて祈り玉ひければ忽ちに疫癘止み萬民死をまぬかるる事を得たり。則ち四衆をすすめて同じ年中に一宇の伽藍を建立し菩薩の像を安置して六波羅蜜寺と号す。是寺の総門北向なり。斯希なる事にや。御堂関白摂政太政大臣頼道公平等院を建立し玉ひけるに総門の便宜を思召し煩はせ玉ふに、折節四條の大納言公任卿(藤原公任 (966-1041) 父は頼忠。歌人・歌学者。愛娘の死を哀しんで官を辞し、出家した。中古三十六歌仙の一人)まいられたりけるに東は川、南は山、西は後なり。北より外に総門立つべき便りなし。北に総門のある寺や候と尋ね玉ひけるにさしもの大才覺悟無りけるにや。江中納言未だ弱冠(二十歳)のとき車の後ろに相乗りて同じく参られたりけるに左様の寺ありやと問れければ、匤房卿(大江 匡房(おおえ の まさふさ)は、平安時代後期の公卿、儒学者、歌人)答て云く、先ず我朝には六波羅蜜寺、天竺には大那蘭陀寺、戒隕論師の寺と申されけるに、子細にや及ぶとて北に総門を建てられけるとぞ。総門北にある例日本にては此の寺なるものなり。

歌に「重くとも 五の罪はよもあらじ 六波羅堂にまいる身なれば」

私に云く、歌の意は「重くとも五つの罪」とは是五逆を指すなり。此の義は凡そ罪にをいて軽次重の三品あり。五逆は重罪なり、次罪は出家の破戒なり、軽罪は十悪なり。然れば佛の誓には五逆すら助け玉へる願なれば殊に重罪は造らざるほどに此の観音薩埵に縁を結び参詣したならば、終に佛になるべしとなり。曲しくは彌陀の本願等の意なり。繁きを恐れて之を略す。講談の人に之を譲る。定家卿の歌に

「思ひきる 心一つの 劔だに あらばうき世の縄は物かは」(菅原道真公の歌という説有り)

又或人の歌に

「罪とがも 南無阿弥陀佛に消ゆるとぞ 是見て悪を作るべからず」已上。

西國の歌に引き合すべし。

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