民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

平城宮から京都御所へ

2018-11-13 15:57:16 | 歴史

奈良、京都から帰ってきて、少しはましな事を書こうと思っていたのに、雑誌『信濃』1月号の原稿が出そろい、割り付けや原稿の修正などをしているうちに時間が過ぎていきます。それでも気になることがあります。それは、奈良の平城宮跡に復元された大極殿と、京都で事前申し込みが必要なくなった御所で紫宸殿を見たことです。

いずれも臣下の位置から天皇を見上げる形でとったものですが、目線を逆に転じて天皇の目から見たらどうでしょう。大極殿の前には広い庭が広がっていました。高御座から歳の初めに暦を与えて百官を見渡した天皇は、神そのものになっていたのでしょうか。ちなみに写真の高御座はレプリカですし、紫宸殿にある高御座は来年の即位に備えて、修復のために東京に運ばれているのだそうです。大極殿の高御座は想像して造られたものですので、レプリカといっていいのかわかりませんが、紫宸殿にある、つまり今度の即位の礼に実際に使われる高御座も、大正天皇の即位から使われるようになったものですから、こいつもレプリカといっていいものでしょう。本物なんてないというのが、「天皇制」の実態でしょう。

それで、紫宸殿の前庭と大極殿の前庭を比較したら比較になりません。紫宸殿のまえに百官が並んで天皇を拝するなんてことはなかったのですから、当然といえば当然です。大極殿は中国の有り方をそのまま再現しようとしたもので、紫宸殿になると白木の建築で和風となってきたことがわかります。ただ、壁には中国の賢人が描かれ、それにならった政治をおこなうように設定されているといいますので、中国文化が大きなバックボーンとなっていたこともわかります。中国の指導者層には強固な中華思想があって当然です。

 


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