民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

夏休みの悲劇

2015-08-22 19:15:47 | 教育

予想できる最悪の事態でした。行方のわからない二人の中学生の死です。夏休み明けは間近です。いったいどうしたことでしょう。

女子中学生が死体で発見されたとき、該当中学の校長は明るくまじめな子でしたとテレビでいっていました。いつも思いますし、そういわざるを得ないし、つまらん質問をマスコミがするのだとも思いますが、全くまじめな子がこうした事件にまきこまれるのはまれです。夜間徘徊しているような子が、まじめとはいえないでしょう。ここでまちがえてはいけないのは、夜間徘徊している子はひどいめにあっても仕方がないというのではありません。そうしたリスクを負っているということです。夏休み中、あるいは明けに問題行動を起こす子は多くいます。夜中に遊んでいて戻ってこないのです。多くの場合、保護者はことの重大さをさほどには認識していません。夜中に補導されたりすると、まずは学校に連絡があります。担任が迎えに行きます。もしくは、保護者に連絡され保護者が迎えに行きます。何で担任(学校が)と思いますが、この場合は子どもの問題行動を学校が把握できるだけまだよいともいえます。ところが、保護者が引き取りに行った場合、学校へは何も連絡されないことが大部分です。個人情報ということがあり、警察からは学校に連絡ははいりません。そうすると、結構長引きます。

子どもは大人の干渉をきらい、夜中に勝手に出歩くことをもって大人になった、自立したと誤った認識をもったりします。その危ない季節が夏です。親は自立したがる子どもを鬱陶しく思い、勝手に行動することを安易に許してしまうことがあります。こいつが後になって、大きなリスクを生んでしまうのです。夏は性腺刺激ホルモンが活性化し、自我への欲求が急激に強まるのです。そして、刺激のつよい都市では尚更です。

亡くなった生徒たちは明るくはあっても、学校的な意味でまじめな生徒ではありませんでした。もっと世の中のひどさを教えておくべきでしたし、保護者は強く出るべきだったと思います。このことが、また学校の生徒指導の不備だとの批判に向かうことを恐れます。亡くなった子どもたちはもちろん可哀そうで理不尽なことでしたが、自らリスクを引き寄せてしまったというのも否めない事実です。中学生がオールなどといって夜間徘徊すること、それを許す家庭と地域社会を何とかしないと、おかしな大人はいっぱいいますから、同じような事件はまた起こります。


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