民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

普通の人が虐殺者になる

2019-07-22 17:52:58 | 読書

最近、悲惨な大量殺人事件が相次いでいます。殺人事件自体は減少しているといいますから、余計に世間の耳目を集めます。ところが、数百人を平然として殺しながら、その後は一般人として一生を過ごした人たちがいます。ホロコーストに関与した人々です。この人たちは、戦後に取調は受けています。ところが、自分がやったといわない限り、そこに自分がいて関与したという証拠がなければ、人は必ずしらを切ります。南京大虐殺では、取調すら受けていません。そもそも、そんな事実はなかったと言い放つ人もいます。そもそも、どんな状況でどんな理由で、人は丸腰の無抵抗な多数の人間を、平然と殺すことができるのでしょうか。おまけに、殺人者は特別な訓練を受けて殺人者に仕立てられたのではなく、ただ召集されてたまたまそこに遭遇しただけだとしたら、恐ろしいことです。誰もが狂気の殺人者となりうることになります。

『普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』(ちくま学芸文庫)を読んで、ユダヤ人の虐殺とはいかなるものか、初めてわかりました。警察予備隊という現役の兵士になるには年をとっている一般の人が召集されて、ナチスの占領地ののための警官となり、ユダヤ人殲滅のために直接的に手を下したり、ガス室送りの列車に追い込んだというのです。歩けない人や子供は、その場で射殺して移送の手間を省いたといいます。そして、もっと恐ろしいのは、ガス室を備えた収容所ができるまでは、森に連れて行ってうつぶせにし首の後ろに銃口を当てて射殺したといいます。そんな記述が数多く出てきます。直接ユダヤ人と相対する射殺はいやだから、機械的にできて良心が痛まないガス室を作ったようです。そして、それに携わった人々は、自分はそんなことが行われているとは知らなかったといい逃れています。子どもでも、老人でも、女でも、全く無抵抗な者に銃口を当てて頭蓋骨が飛び散るように射殺したのにです。もっとひどいのは、中国を侵略したこの国の軍隊です。戦争犯罪と向き合ったのは、捕虜となった人たちだけで、帰国した日本兵は固く口を閉ざしました。

なぜ人は人を虐殺できるのか。ナチの行為を研究し続けている研究者がいることが尊いことと思います。


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