民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

皇居前広場とアフガニスタン展

2016-06-05 15:14:39 | 歴史

天皇のパフォーマンスを考えるうえで、皇居前広場というものがずっと気になっていました。見たからってどうなるものではありませんが、今回いろいろ兼ねて見に行ってきました。その前に、11月には移転してしまうという築地を見て、場内の寿司屋で昼を食べるという目的も果たしました。ネットで調べた大和という寿司屋で、戸外に1時間も並んでようやく寿司にありつけました。普通なら並んでまで食べようとは思いませんが、これも築地の自分にとっての最初で最後だと思い並んだのです。並んでいるのは国際色豊かな人々でした。日本人のほうが少なかったかもしれません。寿司を食べながら聞くともなくきいた話では、移転先の店の場所はくじ引きで決められたとのこと。この店は、今は3代で切り盛りしているといいます。食べるのを見計らいながら握ってくれる寿司の味は、並んだだけの甲斐がありました。

  

それから大手町をへて皇居に行ったのですが、まあ江戸城ですね。二重橋がどれをさしているのか、厳密には広場に近い石の橋ではないようですが、いずれにしても明治政府が作った天皇制の象徴のようなものです。広場に人々は集まり、橋という境界を隔てた向こう側の天皇世界を遥拝するというしくみになっています。江戸城の権威を天皇の権威につなぐにはどうしたらいいか、明治の高官たちはよく考えたものです。皇居前広場で自分の印象にあるのは、敗戦を知った人々が宮城を向いて深く額づく写真です。今そこは砂利をしきつめた何もない空間となっています。宮城から街を見るとビルが並んでいるのです。娘夫婦が働いているビルも近くにあるのですが、何も考えずに毎日風景の一つとして見ているといっていましたので、多くの人々はこの場所の象徴的な意味など今は知らないでしょう。東御苑に入りたかったのですが、あいにく休園で江戸城の郭をながめるだけでした。

翌日は国立博物館で「黄金のアフガニスタン」という、博物館関係者が命がけでタリバンの手から守った秘宝展を見て、隣の藝大美術館でバーミヤンの石窟の天井絵の復元されたものを見ました。博物館では撮影禁止でしたので写真はないですが、金で作った様々な装飾品が展示してありました。紀元前2000年くらいから紀元前後くらいまで、ものすごい金の量です。

“A NATION STAYS ALIVE WHEN ITS CULTURE STAYS ALIVE"
(自らの文化が生き続ける限り、その国は生きながらえる)

戦火から文化財を守り抜いた、といっても保管したのは貴重品だけで多くの遺物は破壊されたのですが、関係者の理念だそうです。文化を失うことは民族が滅びることなのですね。だから朝鮮で行った日本語の強要は大変な破壊行為でしたし、英語を公用語にするなどという動きはとんでもないことだと改めて感じました。写真は芸大で撮影したものです。芸大で収集したアフガニスタンの文化財は、近いうちに返還されるのだそうです。日々の生活と文化財。直接的なつながりで考えれば、タリバンが破壊しあるいは奪って売るのもわかるような気がしますが、長い目で見れば民族のアイデンティティーの破壊ですから、ひどいことをしたと思います。

 


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