○ドヴォルジャーク 交響曲第9番「新世界より」 フリッチャイ/ベルリン・フィル 1959年10月5、6日
○ワグナー ジークフリート牧歌(一部) フリッチャイ/バイエルン放送交響楽団 1958年7月1日(テレビ放送)
○モーツァルト 大ミサ・リハーサル(一部) フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団 1959年9月28日(テレビ放送)
○モーツァルト 「フィガロの結婚」序曲・リハーサル(一部) フリッチャイ/バイエルン国立管弦楽団 1958年6月13日(テレビ放送)
「『もしフルトヴェングラーが《『新世界』》を振ったら?』などというのは、バカバカしいファンの妄想にしかすぎないが、このフリッチャイの演奏を聴いていると、彼とフルトヴェングラーがダブル・フォーカスのように、目の前にちらついてしようがない。・・・テンポの急緩を激しく動かし、ダイナミックスも幅広く即興的で、この《新世界》はきわめてロマンチックでスケールが大きい。フリッチャイは、ベルリン・フィルの優れたアンサンブルを駆使して、思うがままの音楽を鳴らし切っている。・・・」(D)
引用が長くなりましたが、これはレコード芸術1974年11月号に掲載された1000円盤のお薦め盤の特集で掲載された評で、これ以上言うことはないのではと思います。Dとは、おそらく出谷啓さんではと思います。
ブログを始めたときに書きましたが、この演奏は、私が初めて購入したクラシックのレコードで、当時、ヘリオドール1000円盤のシリーズの1枚でした。ジャケットのフリッチャイの紹介文には「カラヤンとともにフルトヴェングラー亡き後のドイツ指揮界を担う重鎮として、その活躍が期待された・・・特にその晩年の演奏は、この《新世界より》に聴かれるように、非常にスケールが大きく、陰影の濃い、深い精神性を備えたもので、いまさらながら、彼がそのもっとも円熟期に他界したことが惜しまれます。」と書かれていますが、改めてフリッチャイの早すぎる死に残念な思いがつのります。
映像の3曲は、いずれもREMEMBERING FERENC FRICSAYに収録されています。ジークフリート牧歌は全曲が残されているので、全曲での発売が望まれます。
これをもちまして、公に発売されたフリッチャイの演奏で私が所有しているものの全て(と思う)を紹介することができましたので、フリッチャイについては、新たにライヴ録音や放送録音が発売されたときに紹介していくこととします。
(ヘリオドール盤)
当時、第九好きな私は、「隠れ名盤」といわれていた第九を聴いてフリッチャイ氏を知っていました。
なので、これはある意味私にとってフリッチャイ氏の偉大さを認識させてくれたもう1枚のCDでした。
私も、最初のころは、「フルトヴェングラー氏が振ったらこういう演奏になるのだろうなぁ」という意見に、納得していましたし、
今でもお気に入りの演奏の一つです。
最近、古い方(病気前)の演奏を聴いたのですが、あまりの違いさに病気後のフリッチャイ氏の思い、というか何というかを考えさせられました。
映像の方は、僕はまだ高校生なので、そのDVDには日本語字幕がないので買っていないのですが、
ジークフリート牧歌は全曲の映像がある、ということは昔LDか何かで出たのでしょうか。
細かいところですが、教えてもらえるとありがたいです。
これからも、ときどき前にUPしているのを見て、何度かコメントするかも知れませんが、その時は、厚かましいようですが宜しくお願いします。
最後に、余談ですがフルトヴェングラー氏は戦中に「新世界より」を演奏している(一時期CDが出回りましたが、偽物と判明しています。)のですが、
本(というか冊子の方が正しいですかね。)に載っていたのですが、ある日本人の方がそれを生で、聞いたらしいのですが、
その人いわく、フルトヴェングラー氏の「新世界より」の演奏はザッハリヒ、だったらしいのです。
それによれば、ああいう評価は、実際には違うのかもしれません。
長文駄文すいませんでした。
ジークフリート牧歌の全曲映像は、まだ発売されたことはありません。発売が望まれるところです。
先日フリッチャイの「新世界より」を初めて聴きまして、深い音楽性に目を開かされました。
拙ブログの記事中でこちらの記事にリンクしましたので、ご一報したく書き込みました。
初めて買われた音源がこの「新世界より」とのことで、なんともよいものに巡り合われたものです。
自分もまたフリッチャイを自分のペースで聴いていければと思っております。
ブログを拝見しました。
フリッチャイのほかライナー、セル、ケルテス。これってこの時期、国外で活躍していたハンガリー指揮者勢ぞろいではありませんか?
いずれも評価の高い演奏ですが、やはりフリッチャイの演奏は、より深い精神性を感じます。
期せずして?そうなりました。いずれも時代を伝える貴重な録音ですね。