昭和50年3月29日の写真。峠駅周辺で撮影した後は、赤岩駅に行きました。
列車の写真はいずれも庭坂~赤岩間で撮りました。上段右側の写真は、EF71けん引のキハ181系「つばさ」号です。下段の2枚は松川橋梁で撮りました。右側は「やまばと」号です。
余談ですが、以前の職場の先輩、進藤義朗氏の編著による「奥羽本線福島・米沢概史」という本があり、大変貴重な写真とともに板谷峠の歴史がくわしく記されています。
その中に、第1赤岩隧道の崩壊と線路移設という項があります。
明治43年8月の集中豪雨で赤岩信号場(当時)の福島方の山腹が断層面から滑り出し、第1赤岩隧道の約半分が変形してしまったのです。このため、線路を移設せざるを得なくなり、当時の松川北岸のルートから現在の松川南岸を通るルートになりました。
この工事の間、福島方から行けるところ(東赤岩仮乗降場を設置)まで列車で行き、そこから赤岩信号場まで40分以上徒歩で山越えをして、また列車に乗るという形をとりました。ほどなくトンネルを補修し、トンネル内を徒歩で行けるようになりました。
また信号場にホームを作り、この年の10月には駅に昇格しました。