私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

想い出の演奏会から(4)~オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団来日公演、1972/78

2008-12-28 17:30:25 | 想い出の演奏会
 私は指揮者ユージン・オーマンディの名前をかなり前から知っていた。おそらく小学校5年生の頃だったと思う。確か音楽の授業でこの第1組曲を聴き1曲目の「朝」と第4曲目の「山の魔王の宮殿にて」が大変気に入り、オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団の10インチ(25cm)LP盤を買ってもらったのを覚えている。そんなわけでオーマンディには昔からなぜか親しみを感じていた。それから10年あまりの歳月が過ぎ1972年5月やっと彼が指揮するフィラデルフィア管弦楽団の生の演奏会めぐり合えた。最も彼らはその5年前の1967年に初来日を果たしていたがこの時(1966年ごろから)、私はカラヤンに夢中になりこの来日公演を見過ごしていたらしい。さて私が生で聴いた72年と78年のプログラムは以下の通りである。
  
 1972年5月27日 東京文化会館
  ●シベリウス:交響詩「伝説」作品9
  ●ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品92(当初の予定ではショスタコーヴィチの交響曲第6番が演奏される予定だった。)
  ●ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」
  ●レスピーギ:交響詩「ローマの松」

 1978年5月24日 東京文化会館(第1回東京音楽芸術祭参加)
  ●R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」作品20
  ●ドビュッシー:交響詩「海」
  ●ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
オーマンディは1936年から1980年に後任リッカルド・ムティにその役目を譲るまでこの楽団の常任指揮者(1938年からは音楽監督)の任にあり実に44年の長きにわたる信頼関係を保ちながらいわゆる「黄金のフィラデルフィア・サウンド」築きあげた指揮者でもあった。私が接したこれらのコンサートでも例外なくすばらしいフィラデルフィア・サウンドを楽しむことができた。特にレスピーギの「ローマの松」の「アッピア街道の松」のフィナーレのど迫力は凄かった。ブラームスの交響曲第1番のフィナーレではティンパニーの使いかたが凄く効果的であったような記憶あり現在でも強く印象に残っている。写真左が1978年のプログラム、右は72年のプログラムでこの時入れてもらったサインが私にとって貴重なものとなった。

  

想い出の演奏会から(3)~ジュリーニ/ウィーン交響楽団来日公演

2008-12-28 14:12:49 | 想い出の演奏会
 1975年は春にウィーン・フィルが来日し秋にウィーン交響楽団が来日するというオーストリアを代表する2つオーケストラに接することができた年であった。現在ではベルリン・フィルとウィーン・フィルがほぼ同時にやって来る時代なので珍しいことではないのだが当時としては我々音楽ファンにとって関心度は今以上に高かったと思う。しかもウィーン・フィルには巨匠カール・ベーム、ウィーン交響楽団には巨匠カルロ・マリア・ジュリーニが同行したのである。前者については以前のブログに紹介したので今回は後者のジュリーニ/ウィーン響について書いてみたいと思う。この演奏会は同楽団の創立75周年を記念しての来日公演になったのだが当時首席指揮者の地位にあったジュリーニは1960年12月イスラエル・フィルとの初来日以来15年ぶりの再来日となった。私にとってはジュリーニの生の指揮に初めて接する機会と言うことで当日は大変興奮したのを覚えている。私が実際に聴いた演奏会は10月3日東京文化会館の公演でプログラムは次の曲目であった。
   ●ウェーベルン:パッサカリア 作品1
   ●モーツアルト:交響曲第40番ト短調K.550
   ●ブラームス :交響曲第 1番ハ短調作品68
 
 ジュリーニという指揮者は一見派手さはないもののじっくりとオーケストラをうたわせそのスケール感は大きく聴き手にインパクトを与える。特にプログラムの最後を飾ったブラームスの第1番にはそれが強く表れた演奏だったと思う。後に音楽監督を務めたロスアンジェルス・フィルや90年代のウィーン・フィルとの再録音にはそれが一段と強く感じられる。それだけ風格も備わった演奏だからであろう。1998年には惜しまれつつ指揮活動から引退を表明し2005年に91歳で天寿を全うした。写真は演奏会終了後にプログラムに入れてもらったものでサインもダイナミックで風格があふれ出ている。