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流出雑記 

1月14日

2009年01月14日 | Weblog
4時半就寝11時起床

午後から大学の友人RちゃんとKりんと会う。

ダーリンも来る予定だったが家で作業があり遅れて来ることに。

大学前で待ち合わせだったので大学の図書館で延滞していた本を返し、次に読む本を探す。
ちくま文庫の中に『百合子さんは何色』という本を見つける。
百合子は武田百合子だったりして…と手にとってみるとそうだった。うれしくて借りる。
昨年末、武田百合子の『富士日記』を読み終えた。
夫である作家の武田泰淳は日常生活では物事に一々細かすぎたり、我が儘で子供みたいな処がある。
山荘にいても突然「明日東京に帰る」と言って、その為に食料などを始末し帰り支度をしなければならなかったり、山荘へ行く時も数時間掛かる道中混むのが嫌だからと朝の5時頃に家を出ると言うのだが、そういう時の段取りや運転はすべて武田百合子の仕事。
この作家の妻をやるのはさぞかし大変だろうと思う。

でも日記の中に書かれている武田泰淳の何気ない言葉や行動にはなんとも言えない色気がある。すべてものと馴れ合わない人の孤独の醸造のにおいがする。
その傍らで、武田百合子の日々はまた別の魅力的な広がりをもってみずみずしい。
夫婦の結び目は台所の油汚れのようにベタベタしたものに覆われず、ある透明感をもって結晶化しているようなところがある。
書いてあるのは大げさなことでなく、その日の買い物、献立、来客、庭にやってくる鳥やリスのこと。
「特に何もなかった」と言ってしまうような一日にも様々な出来事が折り重なり、その中のひとつふたつを言葉で鮮やかにスケッチしているような日記。
その日々を私は美しいと思った。
富士日記は半年ばかり常に鞄の中にあり移動中や休憩中に開いていた。
後書きで知ったのだが、上~中~下巻の終わりまでの間に13年経っているらしい。

大学の大階段でRちゃんとKりんに落ち合う。
他にもいろんな同級生に声をかけたらしいが平日の昼間は皆働いているので集まらなかったそう。
我々が卒業してから新たな校舎が建って様変わりした学内をちょっと見物。
卵色の壁の新しい学食でわいわいしながらうどんを食べてみる。やっぱりきつねが甘い。

その後大学の向かいのそうげんカフェでお茶にする。ダーリン合流。
お茶とケーキと身辺の話。

5時前に別れる。
私は久々に、みなみ会館に映画を見に行こうと思っていた。
インドの売春窟で生まれ子供たちのドキュメンタリーにするかビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』かどっちを見ようか迷っていたが後者は光が美しい映画らしいので映画館で観るのはこっちだろうと思いビクトル・エリセにする。

自転車で松ヶ崎まで行って、地下鉄で京都駅に出て近鉄で東寺へ。

ビクトル・エリセの映画を観るのは初めてだった。
10年間で1本くらいのペースで撮っているそうで作品は数本しかないそう。

1940年、スペインの小さな村の養蜂家の家族の物語。

観客が迷わない話しのすじはあるが、ストーリーより場面場面の美しさに魅せられる。
風景の切り取り方、暗闇に浮かび上がる表情の捉え方、部屋に差し込む日の光はフェルメールの絵のよう。
それぞれの登場人物を取り囲む場所、風景があらわれてくるような映画だった。

残念なのは後半トイレに行きたくなりそわそわしていた私。