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流出雑記 

2015/4/12

2015年04月13日 | Weblog
なぜ小説を書いてみようと思ったか。

なんとなく始めたこの日記も気付いたら8年になっていた。もちろん毎日書いていたわけじゃないし、写真だけの日もあったけど、曲がりなりにも辞めずに何かしら書いていた。
書くことが嫌いじゃないのだと思う。
でも日記の言葉はいわばクロッキーのようにある1日の出来事や記憶の印象をさっと書きとる感覚で、ひとつの言葉にしつこく執着せず端的に言い得る言葉を捉えていく感じがする。
だからそうではない言葉との付き合い方をしてみたいと思った。ひとつのことを綿密にしつこく書こうとするとどういう言葉が引っ張り出されてくるのかをやってみたい。実際書いていると、言葉のあいだから見つかる埋れた言葉というのがあって、さらにそこからまた別の言葉の展開が見つかってそれが数珠繋ぎになっていく感じがある。

長年の自己観察の結果、やはり自分の嗜好性はアブストラクトなところに根付いている自覚があって、絵を描いても具体的な対象を描きたいとどうしても思えなかった。言葉を扱う場合、どうしてもそれは具体的な意味をはらんだものだから、色と形のバランスだけで画面を構成するのとは違い、余白と痕跡以外のことを考えなければならなくなる。つながった前後が構成する意味はある種の枷でもあって、そこからのつなげ方と裏切り方がある。言葉はこうして既にあるもの、だけれど、並べなければまだないとも言える。記号があった方が自分にとっていいような気がしている。

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