7時半起床
昨夜寝しなにテレビでフィギュアスケート、女子フリーの前の公式練習が中継されているのをうっかり見てしまい寝不足。
朝から四条で仕事。朝のテレビもスケートのことをひたすらに言う。前田の胡麻クラッカーと黒糖ミルクティー、身支度。
予報通りの春の雨。雨の日にゴミを出すのは申し訳ない気持ちになるが、ゴミ袋の中に鯖のへしこ(生の鯖の糠漬け)の頭入っているので、常温で放置したその中身を想像すると来週火曜までは待てなかった。ゴミ収集車が週に2回、そういった遠ざけたいものを持って行ってくれるのだと思うといつも馬鹿のように安心する。麻痺だ。
自転車で松ヶ崎へ、そこから地下鉄15分。四条で降りて大丸の裏を歩く。雨は傘をさすかどうか迷う程の小雨になっていた。
着衣5ポーズ固定。
何度か仕事に来ている会。春らしいものが良いかと思い、ちょっと大きかった春物のワンピースのウエストをつめて直したものを持って行ってそれを着た。薄い生地に細かい模様が入っている。遠目で見るとあわいグリーンとソーダ色を混ぜたような色。
描いている人たち「スケートどうなったやろなあ」「まだやで12時過ぎからや」「お昼はテレビあるとこいこか」という話題。今日のポーズは12時までに終わるのでダッシュで帰れば見れるかなあと私も考えていた。なので仕事が終わると急いで着替えて電車に乗った。
家に帰り着いたのは12時40分くらいで、テレビを付けると最終組の滑走はまだ始まっていなかった。急いでお昼の蕎麦を作ってコタツに入る。
ずっと前にある人とフィギュアの話しをしていたとき、その人は、スケート靴だったかスケート靴と足を一体にするあのストッキングだったかを美しくないと言っていた。それが妙に忘れられず、今回のオリンピックでもフィギュアを見る度に思い出してしまう。そういわれると確かに気になってしまったり、足の裏にスケートの刃が直に付いているくらい密着軽量スケート靴がいつか開発されるだろうかと観戦中にいらぬことが頭を過るので困る。
ジャンプに縛られるフィギュアにいつもどこか窮屈さを感じるが、キム・ヨナのスケートにはそれを払拭するくらいの魅力を確かに感じた。カメラはその直後に滑る真央ちゃんがリンクに出るまでの緊張のピークの表情をあんまりにも映す。あの歓声と期待の威圧の中で背骨を立てることすらどれほど力のいることか。
その後新しい絵を描きはじめた。
いつものことだが、絵の具を重ねるうちに良いと思っていた部分を悉く潰してしまっていることに気付く。しかし良いと思っているところが完成とは思えず、そうして手を入れ続けているうちに絵が死んでいく。目の前に屍を、また作ってしまったと思う。しばらく置いてまた手を入れる。入れ続けていると息を吹き返すことがある。蘇生術なのか、単なる足掻きか。
久々にたまを聞いている。
昨夜寝しなにテレビでフィギュアスケート、女子フリーの前の公式練習が中継されているのをうっかり見てしまい寝不足。
朝から四条で仕事。朝のテレビもスケートのことをひたすらに言う。前田の胡麻クラッカーと黒糖ミルクティー、身支度。
予報通りの春の雨。雨の日にゴミを出すのは申し訳ない気持ちになるが、ゴミ袋の中に鯖のへしこ(生の鯖の糠漬け)の頭入っているので、常温で放置したその中身を想像すると来週火曜までは待てなかった。ゴミ収集車が週に2回、そういった遠ざけたいものを持って行ってくれるのだと思うといつも馬鹿のように安心する。麻痺だ。
自転車で松ヶ崎へ、そこから地下鉄15分。四条で降りて大丸の裏を歩く。雨は傘をさすかどうか迷う程の小雨になっていた。
着衣5ポーズ固定。
何度か仕事に来ている会。春らしいものが良いかと思い、ちょっと大きかった春物のワンピースのウエストをつめて直したものを持って行ってそれを着た。薄い生地に細かい模様が入っている。遠目で見るとあわいグリーンとソーダ色を混ぜたような色。
描いている人たち「スケートどうなったやろなあ」「まだやで12時過ぎからや」「お昼はテレビあるとこいこか」という話題。今日のポーズは12時までに終わるのでダッシュで帰れば見れるかなあと私も考えていた。なので仕事が終わると急いで着替えて電車に乗った。
家に帰り着いたのは12時40分くらいで、テレビを付けると最終組の滑走はまだ始まっていなかった。急いでお昼の蕎麦を作ってコタツに入る。
ずっと前にある人とフィギュアの話しをしていたとき、その人は、スケート靴だったかスケート靴と足を一体にするあのストッキングだったかを美しくないと言っていた。それが妙に忘れられず、今回のオリンピックでもフィギュアを見る度に思い出してしまう。そういわれると確かに気になってしまったり、足の裏にスケートの刃が直に付いているくらい密着軽量スケート靴がいつか開発されるだろうかと観戦中にいらぬことが頭を過るので困る。
ジャンプに縛られるフィギュアにいつもどこか窮屈さを感じるが、キム・ヨナのスケートにはそれを払拭するくらいの魅力を確かに感じた。カメラはその直後に滑る真央ちゃんがリンクに出るまでの緊張のピークの表情をあんまりにも映す。あの歓声と期待の威圧の中で背骨を立てることすらどれほど力のいることか。
その後新しい絵を描きはじめた。
いつものことだが、絵の具を重ねるうちに良いと思っていた部分を悉く潰してしまっていることに気付く。しかし良いと思っているところが完成とは思えず、そうして手を入れ続けているうちに絵が死んでいく。目の前に屍を、また作ってしまったと思う。しばらく置いてまた手を入れる。入れ続けていると息を吹き返すことがある。蘇生術なのか、単なる足掻きか。
久々にたまを聞いている。
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