すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

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■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ すずめの影絵・・・ 緑内障に注意。 健康内病変に用心あれ。

2009年11月05日 08時06分56秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 白壁に  影遊びたり  秋すずめ

    中村 梅士 Baishi 

 

 

 

 

 天神のビルの壁面に、すずめの影だけが遊んでいた。

 えっ!影だけ?

 と、よくみたら、少しはなれたところにすずめたちがは

しゃいでいた。

 秋の日は朝から長い。

 

 それにしも、ずいぶんと冷え込んでいる。

 

 もう、すっかりと虫は絶えて、静かな夜である。

 柿の葉が赤く染まった。

 朝顔は、花芽をひっこめた。

 「地球温暖化」について、熱く語ってみてはいかがか。

 

 庭には、メジロが帰ってきたが、すずめが味を占めて柿

をつつき始めている。

 

 メジロに見慣れていると、すずめが大きく見える。

 すずめの勢力を考えると、今年はえさがすぐに枯渇しそ

うな勢いである。

 しかし、これも自然の営みである。

 すずめを追ってはいけない。

 

 すずめも、メジロも、これから冬支度である。

 

 

 

 

 

健康内病気~ 緑内障に注意あれ


 三年ほど前、メガネを新調するために眼科で視力検査を

した。

 ところが、視野検査で、緑内障が出ていますね、といわ

れて高価な目薬を処方された。

 しかし、緑内障なんて、自分とは無縁のもの、所詮医者

の治療代稼ぎだろうと思って放置した。

 

 ところが、数週間前、学生と卓球をしていて、玉が見え

にくくなっていた。

 明らかに視野が狭くなっている。

 再度眼科に行ったら、精密検査になった。

 そして、緑内障が中程度進んでいるという診断だった。

 

 視野の中心近くが大きく欠落している。

 こんなに日ごろから運動をして、健康そのものなのに、

なぜ?

 落とし穴とは、そうしたもののようである。

 

 健康内病気に要注意!

 

 高齢者がぼけるというのも、おそらくは小さな脳血栓、脳

梗塞が多発しているからだろう。

 そうして、突然歩けなくなり、突然口も利けなくなり、突

然肺炎を起こして死に至るのだ。

 父の病変が信じらなれなかったのだが、そんなに死期が迫

っていたとは。

 

 六月ごろ、「もう、だめかもしれん・・・」といっていた、

父の言葉が切なく残る。

 あの時、会いに行くべきだったと悔やまれる。

 

 健康内病変に注意されたい。 

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 月のうさぎ・・・  神も仏もある民主主義の考え方

2009年11月04日 08時08分38秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

       

 名月や  昔むかしの  うさぎかな

    中村 梅士 Baishi 

 

 

 

 昨夜は満月だった。

 夜風は寒いが、秋祭りの頃である。

 月のウサギもくっきりと見えて、名月だった。

 

 それにしても、なぜ、黒っぽく見える部分があるのだ

ろう。

 コケでも生えているのだろうか・・・。

 調べてみると、どうやら、玄武岩が露出した部分であ

るらしい。

 月ができたての頃、マグマの活動で玄武岩質の溶岩が

地表に大海のように広がったらしいのだ。

 

 月の出生は、地球と同じで、45億年の昔、太陽の一部

が飛び出して地球ができ、その地球の一部が飛び出して

月ができたらしい。

 いわば、兄妹のような関係である。

 地球が生命の温床となり、月がこれを支えながら優美

さを教え、太陽が大きな愛でこれらを生かしめるという

役割が生まれた。

 大宇宙から見れば太陽系は小さな家族のように思われ

るが、それにしても、愛とはなんと、雄大無限であるこ

とか。

 

 

 

 

 

神も仏もない政治を許すな


 「民主主義といえども神と法の下にあり」、これが現

代日本のマグナカルタとして問題提起されている。

 世界の大半は、キリスト教国家、イスラム教国家、仏

教やヒンドゥー教を基礎とする国家など、政治の基礎に

信仰がある。

 すなわち、神に委ねられた政治である。

 

 ところが、日本では、日本神道最高神官である天皇を

象徴に置きながら、政治に少しでも宗教色が入ることを

悪徳でもあるかのように不正とみなす。

 政教分離が憲法の基本原則として刷り込まれているか

らである。

 

 しかし、神も仏もない政治体制をよしとしてはなら

ない。

 政治信条としての宗教が排他的であるならば、民主主

義の原理として政権が維持できなくなるだろう。

 宗教的政権がが弾圧的であるならば、それは独裁政権

であるから、やはり長続きはしない。 

 

 そもそも独裁とは、祭政一致の論理的帰結ではないの

である。

 独裁は、むしろ宗教を否定した社会主義国の常態であ

る。

 また、ヒトラー政権のごとく、民主主義の一形態でも

ある。

 それは、戦争が国際政治における意思決定手段の一選

択肢であるというのと同じことであろう。

 

 では、そもそも民主主義とは何か。

 民主とは、仏神を政治から排除するという意味ではな

い。

 もし、王と共に、仏神までも政治から駆逐するのが民

主主義であるならば、危険で罰当たりな政治思想という

ことになろう。

 

 法治主義の理解についても同様である。

 人の決定した「法」が法の原型であるとするならば、

人による人の支配という鎖が法ということになる。

 すなわち、本質的に暴力による支配である。

 その典型が共産主義国家の恐怖政治となって現れるの

である。

 証明済みである。

 

 人が作る法とは、法の原型ではなく、法解釈に過ぎな

い。

 解釈すべき法こそが、仏神から示唆された普遍的法で

あり、正義である。

 これが、「法の精神」である。

 したがって、悪法が法であるかというと、その正統性

を欠く以上は、これに従うべき義務はないということに

なる。

 ただし、政治権力から離脱するか戦わなければならな

いという現実問題が突きつけられることにはなる。

 

 法は常に、解釈によって、執行されるものである。

 執行されるものは、「法律でそうなっていますから」

という理由で、その執行が正当化されるわけではない。

 悪法として解釈執行するならば、その執行責任を問わ

れる。

 その執行責任を問うのは、国民であり、新政権であり、

最終的には正義に照らしてその正邪が問われることにな

る。

 

 民主主義とは何か。

 これも、神の正義を解釈する者として、国民の意思が

よりよく反映されるべきであるという政治思想であり、

その仕組みが議会立法と国民選挙による代表政治という

わけである。

 

 したがって、国民が、普遍の法、仏神の意思の解釈者

であるためには、正しい宗教的教養と信仰に目覚めてい

ることが肝要である。

 だからこそ、教育から宗教教育を排除してはならない

のである。

 

 ところで、宗教というと、決まって反社会的なS学会

オームが引き合いに出されるが、あれを宗教だという

とにこそ問題がある。

 そのような言論は、悪意あるいは無教養のナンクセと

いうべきであろう。

 

 宗教の正しさを判定するリトマス試験紙がある。

 それが、世間に通用する良識であり、人間に備わった

良心である。

 殺人や強盗や婦女暴行やという犯罪を犯す教祖団体が、

正しい教団体とはいえないであろう。

 

 多数決が民主主義の意思決定原理なのではない。

 議論を尽くして多数意見を形成し、その理由を開示し

て国民の批判に晒すことが民主主義である。

 

 しかし、情報開示をマスコミの「番組編成権」に独占

させたり、政治批判を独占させることは、民主主義の理

念に反する。

 マスコミは、国民の代表ではなく、政治責任を負う者

もいないからである。

 それは、民主主義の仮面をつけた独裁権力にほかなら

ない。

 

 結局、民主主義という「普遍の法」の解釈システムが

成り立つためには、民が、しっかりとした自分の意見を

言えるように、教育することが不可欠の大前提である。

 

 幸福の科学や幸福実現党の言論活動が国民に浸透する

には、ある意味、営業努力の継続が必要であるが、重要

な論点であり、原点についての議論もまた欠かせないも

のと考える次第である。 

 

         

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 http://gisstar.gsi.go.jp/selene/

 

 

 

 

 

 

 

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+ 冬一番・・・ 警察官の仕事  公務員労組民主党政権のもってのほか

2009年11月03日 12時02分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 霜月に  残りし虫が  呼びおうて

 
  

  虫の声  冬一番の  風に散り

   中村 梅士 Baishi 

 

 

 

 

 昨日は風の強い、木枯らし一番、冬一番の一日だった。

 冬が突然訪れた。

 そして、虫の声が止んだ。

 

 今日は唐津くんちの中日である。

 唐津は父が育った土地である。

 今年は父に見せたいと思っていた。

 父は霊になったのだ。

 もう、歩けるようになったはずである。

 一緒に見に行こう。

 

 佐賀バルーンフェスタ2009も、今日が最終日である。

 しかし、この風の中で実施されるのかどうか、リアルタイ

ムのお知らせがない。

 インターネットの時代になっても、発信する手間を惜しん

だのでは生かされない。

 

 結局、便利な時代になっても、そのために仕事が増えて、

手間ひまをかけなければ、サービスは尽くせないのである。

 サービスこそは仕事の本質である。

 サービスとは心を尽くし、思いを尽くす誠実であり、愛で

ある。

 便利な時代になればなるほど、新しい仕事が増えてくる。

 しかし、その結果、豊かなサービスが可能になるのである。

 便利時代とは楽ができる時代なのではなさそうである。 

 

 

 

 

  

 

警察官の仕事


 警察官になりたいという学生に、面接試験を前にして質問

をしてみた。

 

 「なぜ、警察官になりたいのですか。」

 「愛する人を護りたいからです。」

 

 「警察官の問題点を感じたことはないですか。」

 「自宅の前に勝手に車を駐車されて不自由をしたことがあ

ります。警察に排除して欲しいとお願いしたのですが、私有

地だということで、レッカー移動はできないといわれ、どう

しようもありませんでした。法律を変えないといけないとこ

ろがたくさんあると思います。」

 

 「誰かに狙われている、助けてください、と訴えたが、ま

事件になっていない段階で動くことはできません、と断ら

れた。あなたならどうしますか。」

 

 「ストーカーに狙われるということが多くあります。しか

し、人手も少ないし、自分勝手に動くこともできないという

問題があると思います。自分の気持ちとしては助けたいと思

いますが、それができるような制度や環境は必要だと思いま

す。」

 

 「たしかに、法の整備や人手の充実などの必要はあるでし

ょうが、それがないから動けないということで、愛する人を

護れるのですか。」

 

 「いや、それは護ることができないと思います。でも、ど

うすればよいか分かりません。」

 

 「仕事の本質はサービスですよ。警察官は権力を行使する

立場にありますから、その権限の内容や条件については法的

な規制があります。」

 「しかし、警察官である前に、一般市民として人助けをす

ることはできるはずです。レッカー移動できなくても、迷惑

駐車した人を探してやることはできます。犯罪前であっても、

その人の話を良く聞いてやることはできるし、防犯の方法を

教授してやることもできます。」

 

 「それがサービスです。そこに仕事のやりがいが生まれ、

市民との信頼関係ができるのです。信頼がなければ、権力行

使は反感を生むことにもなります。警察官が飲酒運転をして、

人身事故を起こす事件が相次いでいますが、もってのほかで

す。」 

 

 ちなみに、警察官が暴漢相手に発砲すると、それが事件扱

いされる。

 マスコミは決まって「その発砲は権力乱用ではないのか」

と抗議するのである。

 

 しかし、警察官は市民の安全を護り、防犯活動をするため

に、ピストルの携帯を許された権力機関である。

 暴漢に対して発砲したからといって、いちいちマスコミか

ら問題にされるべきではない。

 

 発砲は、正当防衛に限定されるものでもない。

 だからこそ、日ごろから、市民から信頼される警察でなけ

ればならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

公務員労組政権下のもってのほか


 それにしても、「もってのほか」というのが、
公務員のお

およその仕事ぶりである。

 

 サービス精神を持ち合わせず、武士道精神もなく、かえっ

て、公務員給与を上げよと「労働運動」をする公務員とは、

一体何様なのか。

 その公務員労組に支持を得て政権をとったのが、民主党政

権である。

 

 霞ヶ関官僚を抑制しようというのも、自由主義の発想から

ではない。

 公務員労組として、幹部公務員を追い落とそうという嫉妬

に動かされてのことであろう。

 

 それにしても、最悪なのが日教組である。

 日の丸の赤は戦争犠牲の血の色、白は、白骨の白と教えて

いるそうである。

 愛国心を育てたら戦争の悲劇になると教えている。

 

 公務員としては反逆罪というべきであろう。

 なぜ、懲戒解雇しないのか。

 実に不可解な「特権」である。

 

 こうした、反日公務員の民主党政権が次々と日本を危機に

陥れる急進的「改革」を進めている。

 

 愛国心は戦争犯罪の心だから、愛国心と逆のことをしよう

というのが、入閣した社民党であり、公務員労組に育てられ

た民主党の本質である。

 それを政権党に選んだ国民の政治責任もまた重いといわな

ければならない。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi 

  

 

 

 

 

 

 

 

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+ 金木犀の香る頃・・・ 政教一致の根拠~ 「民主主義といえども神と法の下にあり」

2009年11月02日 21時18分40秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 金木犀  流れ星とや  散りにけり

     中村 梅士 Baishi 

 

 

 

 

 金木犀の香りがふっと香ってその花を垣間見たが、また後

でと思って通り過ぎた。

 その数日後、心の準備もなく、父が息を引き取った。

 それから十日が過ぎて、金木犀をさがしたが、花はもう、

何処にもなかった。

 

 また後で、と思っていた父へのサービスができなかったよ

うに、金木犀も終わってしまった。

 母は、一人、テーブルの上に父の遺影を置いていた。

 写真の前でお茶を飲んだり、食事をしたりしているらしい。

 

 久しぶりに教会の礼拝を待合室で聞いていた。

 11月1日の日曜日は、聖餐式だった。

 パンと葡萄酒が振舞われた。

 

 洗礼を受けている自分もそれを受ける資格があったが、違

和感があって受けなかった。

 

 キリスト教は異教ではないが、もはや自分の信仰の核心に

はないということを実感する待合室であった。

 その儀式も説教も、古いのである。

 リアリティーがないのである。

 

 それでも、アメリカ人の多くが満足している宗教なのでは

あるが、それは幸福の科学をしらないからであろう。

 幸福の科学の思想がいかに高いものであるかを改めて実感

するのである。

 

 

 父は、まだ母と一緒にお茶などを飲んでいるのだろう。

 母の献身なくして父の生活は成り立たなかった。

 母も大変だったが、それが生きる意味だったかもしれない。

 それを失ったとき、母は生きる目的を失ったような空虚感

を味わっているのかももしれない。

 

 しかし、人間の生きがいは、人助けと信仰を深めることに

ある。

 母にとって、信仰とは「神は愛なり」ということに尽きる

といった。

 私も、キリスト教の本質的教えは、「神は愛なり、愛が分

からなければ私を見なさい」という言葉に尽きていると思う。

 

 そのイエスが重罪人として十字架にかけられて処刑された。

 それが究極の愛の姿と思われているが、そうだとしたら、

その愛を有らしめるために信仰者の罪が予定されざるを得な

い。

 そこに悲壮感がある。

 自虐があり、被害妄想がある。

 

 確かにイエスの愛は、許しの愛であったろう。

 しかし、人々に、救世主を処刑させ、弟子たちに裏切りの

言葉をはくところまで追い詰めたことも愛だろうか。

 

 許しの愛を演出するインパクトが2000年も続いたことは事

実であるが、とらわれてはならない悲劇ではないかと思う。

 救世主処刑の悲劇は、愛のインパクトではあっても、愛の

本質ではなからである。

 

 

 

 

 

 

 

政教一致の根拠~ 「民主主義といえども神と法の下にあり」


 兄ちゃんと呼び習わしている従兄弟がいる。

 小さいときからの極貧の生活のために、優秀な頭脳を持ち

合わせていたに関わらず、一種義侠心から高校を中退し、や

がて、建設請負業を立ち上げて一人会社を三十年来やってき

た苦労人である。

 

 会社は個人企業ながら、下請けはやらず、元請のみで身の

丈の商売を続けてきたことは、非凡というべきであろう。

 その人生観はなかなか筋の通った正論であろう。

 だからこそ信頼されて、大不況の時代も仕事を得てきたの

であろう。

 

 しかし、幸福実現党については、宗教が政治に組すること

は危険であるというのが持論であった。

 なぜならば、排他的であり、覇権主義の政治になるからだ

と。

 

 幸福の科学については、創価学会とオウムが引き合いに出

された。

 同類という認識であろう。

 結局は、教養が浅いなあと思わざるを得なかった。

 

 貧乏を克服した勤労も、辛抱の経営も、彼の人格を鍛え、

磨いてきたことは確かだろう。

 しかし、彼にとって、貧乏は自慢話なのだ。

 自慢話の貧乏や苦労というものは、相手を非難する息苦し

さをもっている。

 

 それもまた、貧乏を抱きしめている姿ではないかと思った

ものである。

 

 幸福の科学は排他的な宗教ではない。

 再誕の仏陀による、伝統宗教を統合して生かしめる最高峰

の宗教思想である。

 

 だからこそ、キリスト教徒である自分の信仰と並存して、

むしろ発展した。

 だからこそ、神社神道に親しみ、八百万の神を誇りにもし

ている。

 イスラム教徒に対しても、その敬虔を美しく感じる。

 

 排他的ではなく、それぞれの風化や不足を補って発展せし

める最高度の教えなのである。

 それが、現代の救世の法なのである。

 

 祭政一致が不幸を招く政治スタイルだとしたら、アメリカ

が世界ナンバーワンの国になるはずがないではないか。

 民主主義の当然として政教分離だと思い込んでいる人々が

大半なのであろう。

 しかし、その論理的関係とは何なのか。

 

 『民主主義といえども神と法の下にある』と知るべきであ

る。

 これこそは、現代のマグナカルタである。

 

 人による人の支配こそが、覇権主義に通じている。

 政教分離のまやかしをこそ、警戒するべきである。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

  

 

         

 

 

 

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