木枯らしの 下駄の歯音の 小走りに
中村 梅士 Baishi
今時、 下駄を履いている女性などいない。
京の舞妓さんくらいだろうか。
しかし、木枯らしが吹くころ、カタカタと下駄の歯音が駆
けて行く音が聞こえてきそうである。
許されるものなら、下駄履き、雪駄履きで通勤したいもの
である。
もっと、日本らしい正装を推奨する政令を出しても良いの
ではないか。
下駄の似合うファッションをテーマにファッションショー
を仕掛けてみたい。
あるいは、新しいビジネスファッションをテーマに仕掛け
てみたいものだ。
このところ、木枯らしよりも、イベント行事に追われた。
やっと一服である。
さて、次の仕掛けは、『スブンロコ TV』の開局である。
テレビ局をつくる。
しかし、マスコミではない。
お便りコミュニケーションとでもいうべきか。
そんなふうに、新しいことに取り組んでこそ、仕事が楽し
くなるというものである。
【中央集権化の効用としての平和】
江戸時代、日本は鎖国のために貧乏はしたが、徳川幕府に
よる中央集権化によって、天下泰平の時代を謳歌した。
しかし、軍事競争がなくなったことから、軍事小国となり、
海外の脅威にさらされて明治維新の戦争をしなければならな
くなった。
20世紀は国際的な戦国時代であり、アメリカ合衆国が天下
をとることによって、世界大戦はおさまった。
しかし、国際的中央集権化が確立されたわけではない。
国連は、中央集権の仕組みではない。
政治の中枢でもない。
いわば、国際協調の象徴であろうとしているが、集権的権
力なくしては、象徴としても確立されない。
一度は軍事的に天下を治めなければ、統一の象徴とはなら
ない。
国際的中央集権が確立するまでには、まだ、数百年の歴史
作りが必要なのだろう。
すなわち、国際政治の世界では、軍事競争の時代が終わっ
ていないということである。
その時代に軍事放棄するというのは、平和主義ではなく、
亡国主義である。
ヘルメスでさえも、地中海世界に秩序をもたらせるために、
剣を取って闘ったではないか。
その地中海が、太平洋、大西洋、インド洋にまたがる全地
球的規模に拡大したのが、現代の戦国的国際社会である。
その覇権をめぐって、中国が野心を抱き、あるいはフラン
スが今でも姑息な野心を抱いているであろう。
平和を望むなら、アメリカを助け、アメリカを軸とした軍
事権力を確立する必要がある。
日米に、インド、台湾、韓国、英国らが加わってゆけば、
世界大戦を避けることが可能となる。
民間企業はいわば国際政治の血流であるから、下克上的な
野心を持つ国とは距離を置くべきなのだ。
中国に投資する企業は、いわば、悪徳商人というべきであ
る。
ビジネスの倫理とは、国際政治の道理をもわきまえなけれ
ばならない。
このように考えてゆくと、国内の地方自治については、廃
止すべきである。
普天間基地問題についても、地方自治の仕組みが禍し、日
本の危機を招きかねない状況にあるではないか。
幸福実現党の構想にあるように、大統領制による中央集権
体制を整備するべきである。
外交については、アメリカを軸とする軍事的中央集権化を
推進するべきである。
いわば、アメリカに幕府を置き、これを日本が支えるとい
う構図である。
しかし、その体制は、幕府の段階である。
大名的国は、しっかりとした軍事力と忠誠を持たなければ
ならない。
このように考えてくると、今の民主党政権は、日米ともに、
世界を戦国の世に引き戻そうとする反平和主義の政権という
べきであろう。
結局は、経済人が行くべき方向を見定めて行動し、意見を
言わなければ、国を失うことになるであろう。
このような国際政治の大局観は、人々が持つべき良識とい
うべきである。
それが、民主主義でもある。
戦争と平和とは、相反するものではない。
平和をもたらす引力として、軍事があるということを忘れ
てはならないと思う。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi