夏の端の 夜道に虫の 鳴きたるを
浴衣の裾の 風に聞きつつ
梅士 Baishi
スケベな空想で人を陥れようとするヒトがいるそうですが、まあ、
恥さらしですな。
元幸福の科学の幹部がエロ本作家顔負けの誹謗中傷記事を週
刊文春と協同して出版したという事件です。
恩を仇で返すという身の程知らずがいることには驚きますが、ちょっ
と迷惑なお手盛り人事があったようで、そこは反省すべき所です。
幸福の科学の信者としては、本部人事には信頼しているわけです
からねえ、ちょっと、信用できないなあというタネウマ事件でした。
結局、経営者責任を問われているということでもあるわけです。
もちろん、芥川賞や直木賞を選出している文芸春秋社の悪質な嫉
妬体質と異常性が最大の問題です。
それにしても、これで芥川賞や直木賞の権威は失墜ですな。
文芸春秋社の創業者、菊池寛も地獄の一丁目で無頼な生活をし
ながら、文春を助けているということですし、芥川龍之介氏は、生前
助けられていたこともあってあまり厳しく糾弾することには躊躇しつつ
も、出版業を廃業して宝くじでも売ってはどうですか、とアドバイスし
ているくらいです。
結局、文芸春秋社が地獄体質の出版社であることが明らかになっ
たわけですし、その手掛ける私小説的文芸の時代が終わったという
ことですな。
すなわち、小説なんてのは教育的にもよろしくない、芸術外の代物
になり下がっているということです。
殺人もので売っている小説家やエロ本作家というものは、結局は
地獄の住人ということですな。
松本清張も地獄で陰気なチョウチンアコウのようにしているそうで
すが、なるほどと思いますね。
テレビドラマでは、現代刑事もの一色で、殺しのミステリーがテーマ
ですが、もはやテレビ娯楽の時代が落ちるところまで落ちたというこ
とでしょう。
まあ、混浴露天風呂殺人事件シリーズは、おっぱいの多様性を観
察するには参考になりましたけど、ワコールでもない限り、それ以上
の意味はなかったということですかね。
マンガの世界でも、エロで食っているそうですが、信仰なきマンガ
もまた、地獄絵ということのようです。
信仰心があると、性的風景にも美学というものがあるということな
んですがね。
それで、芸術と猥褻が識別されるわけでしょうから。
そういう堕落は、元禄時代から始まったともいえそうですけど。
井原西鶴あたりからですか。
もちろん、昨今の薄っぺらい小説家風情とは別格とは思いますけ
ど、週刊誌の走りのような気がします。
それとも、立派な天国に帰られていらっしゃるんでしょうか・・・。
渡辺淳一とかいうエロ本作家が小説家だそうで、そういうのでない
と売れないということでしょうが、麻薬の売人とどう違うんでしょうか。
チャタレー夫人の恋人でさえも、猥褻の罪に問われたのに、なんで
問題にならないんですか?
おそらく、検察がエロ本好みということでしょう。
まあしかし、選民思想的男女問題というか、一神教的男女問題と
言うのは紛争が絶えません。
そこに文芸の住処があるんでしょうけど、悪い趣味です。
神様でさえ一神教は紛争に発展するのですから、多神教と言うか、
序列がありますよという程度でないと、自由ではなくなるわけで、安珍・
清姫的な怖さを感じますな。
つまり、一神教にせよ、男女関係にせよ、排他的選択に嫉妬が安
全装置でもあるかのようについてくる。
そこに落とし穴がありますな。
すると、触らぬ女神に祟りなしということでしょうか。
浴衣の裾のお色気が、怖い話に展開しましたけど、風景として見
ているくらいがちょうどよいようです。
とは言っても、少子化ではこまりますので、とにかく機嫌よく恋愛を
して、機嫌良く子供を生み続けるという無為自然の道が大事なこと
ですかな。
まあ、あんまり欲張らないことが肝要かと思いますね。
嫉妬、これが一番こわいです。
地獄のマインド(不幸感覚)の一番大きい部分ではないでしょうか。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi