《鎮魂の歌》
一仕事 終えて還りし 彼岸かな
馬糞 Bafun
《空想的考古》
諸行無常、春の花の下に友が去り、同僚が去り、恩師
が去った。
私もまた、西行のように願って、桜花の季節に去りた
いと思う。
そして、彼岸の花の下に還るのである。
敬礼をして、兵士のごとくに。
クリシュナ幻想・・・
かつて、クリシュナの時代に、そのように戦って、散
ったことがあっただろうか・・・
クリシュナ様は、理想郷というべき国をつくり、人々
を守らんとした。
大軍が迫った朝、王は言われた。
家族ある者は家族を護れ。
われらはこれより、天の道を開かんとする。
人々が泣きながら見送る中、王クリシュナは精鋭を連
れて城門を閉じ、一声された。
「これより新しき国を創る。」
われらは最後の戦いに撃って出た。
それから千年あまりのときを経て、クリシュナ様はカ
ナンの地に転生された。
イエスキリストである。
ところが、イエス様は、国を守ろうとはなさらなかっ
た。
そして、一人で戦って死んだ。
いったい何を守らんとなされたのか。
後を追って転生したクリシュナの精鋭たちはなすすべ
を知らず、イエス様をゴルゴダの丘に置き去りにして逃
げてしまった。
イエス様が救世主であることの確信が揺らいだのだろ
う。
まさか、救世主ともあろう方が、これほど惨めに十字
架を引きずり、罪人として辱めを受けてなすすべがない
などということがあろうか・・・。
そう思ったにちがいない。
そう思うと、恐怖心が先立ったにちがいあるまい。
神の孤高に、人はただ天を仰いで涙するばかりである。
戦士とは哀れである。
戦って死ぬことに恐れはないが、武器を持たない主を
信じ、武器をもたないで戦うことに戸惑ったのだ。
信仰とは何なのか。
今世も決意して生まれてきたはずである。
救世主を守ろうと、幼い魂に刻んだものである。
しかし、武器を持って戦う時代ではない。
学ばなければならない。
学んで伝え、学んで新しい国を建設しなければならない。
「新世界建設」
黄色い土木ヘルメットに刻んだ名前である。
一人にても、国造りの土を打とう。
この世を去る花の季節まで・・・。
わが過去世への空想的考古である・・・。
木蓮の 白き翼で 春去らむ
青限りなき 彼岸の空に
白川 馬草 Magusa
木蓮の 白き翼を 羽ばたきて
天使の列は 君を迎えむ
白川 馬草 Magusa
《3.23鎮魂》
魂もまた、巣立ってゆくのであろうか。
昨年の春も、桜のころに高潔の女史が急逝された。
そしてまた、福岡の教育を堕落から守ってこられた人
格者が急逝された。
3月23日朝、草稿中の訃報であった。
この場を借りて、ご冥福をお祈りする。
不自由な肉体を去れば、また、豊かな魂は自由を得て、
新天地でその輝きと役割に目覚められることであろう。
吾もまた、寒中にその花を仕込んでいる。
2007年3月23日Fri
馬糞 Bafun