出撃の 端に止まりたり アキアカネ
馬糞 Bafun
戦争末期、長崎駅前でのことであろうか、こともあろ
うに武装さえない練習機「赤トンボ」がB29を迎え撃って
キリキリと撃墜されるということがあったと母から聞い
たことがあった。
「見ていて涙が出た」と。
その情景が自分が目撃したかのように目に焼きついて
いる。
戦争を経験していない世代にも、敗戦のトラウマは受
けとめかねている。
「日本は戦争犯罪国だ、国民は犠牲者だ」と教え込ま
れてきた。
日の丸は悪の象徴、天皇も戦争犯罪の象徴だという思
想は日本共産党の根本思想でもあろう。
だから、ソ連が倒産しても、日本共産党は黒字を続け
ている。
もし、日本が戦争に勝っていたら、アメリカに勝って
いたら、戦争責任の問題も靖国問題もなかったであろう。
チャイナに対して賠償金を払い続け、頭を下げ続ける
こともなかったであろう。
公務員の分際で国旗、国歌を無視する人権があるなど
という、たわけた地裁判事もいなかったであろう。
問題の本質は、戦争が悪いとか、チャイナに悪いこと
をしたとか言う問題ではなく、戦争に負けてひどい目に
あったという恨みを、国民が日本国家に向けているとい
うところにある。
確かに、敗戦によって、日本の神々は隆盛を極めた権
威を失墜し、天皇は新聞や週刊誌の商売ネタにされて芸
能人並に貶められた。
60年間引きずっている敗戦の心の傷に、ハエのよう
なマスコミがたかり続けている。
しかし、それを望んできたのは日本国民である。
いやらしい日本人になった。
それが敗戦の傷である。
しかし、国民が国家に対して、戦争犠牲者だというの
は間違ている。
国家とは国民のことなのだ。
天皇制であろうと、大衆制であろうと変わらない。
国家に対して最も忠誠を誓っているはずの公務員が、
「人権」を持ち出して、国家の象徴である「日の丸」
「君が代」に敬礼をしないどころか、無視することを子
供たちに教え、無視してきたことを正当化する東京地裁
判決があったという。
世界に無類の恥とすべき判決である。
もっとも、植民地日本であるなら別だが・・・。
北京政府の意向にも沿っているはずである。
国家とは法律によって形成されているのではない。
伝統と慣習の上に形作られたものである。
戦争に負けたから許せないというなら、日本を出るべ
きである。
まして、公務員になるべきではない。
人権というなら、国籍離脱の自由の問題であった。
教職を辞めよ。
裁判官をやめよ。
そして、国籍を離脱せよ。
その人権が保障されている。
それだけのことだ。
安倍新総裁には、日本国家の独立宣言を期待したい。
獅子身中の虫を、ODAとしてチャイナに謙譲し、独立
宣言をしていただきたい。
日本は今、独立国家としての精神を回復しなければな
らない時である。
靖国問題の意義はそこにある。
Bafun