彼岸花 一輪見つけ もう一つ
梅士 Baishi
秋の花は何と言っても彼岸花である。
如何にも鮮烈であり、祭りのように過ぎて行く。
万物は流転する。
変転万化こそは、創造であり、存在そのものであり、時間そのもの
である。
時間は存在の肉体であり、そこに宿る創造の魂がある。
むなしく流れる時間には魂が宿っていないのだろう。
変化の中にあって舟を操る船頭がいる。
変化とは関心を持って観察すれば、そこに創造のヒントがあり、楽
しむことができる。
創造もまた変転万化の中にある。
一節はあるが、次の一節に繋がる未完であり、終わりということが
ない。
交響曲のように、じゃ~んと言って終わりにはならないのが、この世
の仕事であり、関係であり、思いである。
だから、失望はすまいぞ。
生命は安泰であり、未来永劫である。
アダムスミスの言う神の手による調和という市場原理は、人間関係
というべき存在の価値創造にも当てはまる原理であろう。
そういう意味ではあくせくすることなく、最善を尽くすという生き方に
希望の未来があるというべきであろう。
激動の時代を不安の時代というなかれ。
激動の時代こそは、希望の時代というべきである。
激流の中に、人は鍛えられているということを信じようではないか。
独立不羈、敬天愛人・自助努力、愛・知・反省・発展である。
【 幸福実現テレビを家庭のテレビジョンのチャンネルに 】
マスコミ革命は、Webテレビを家庭のテレビで簡単に選局して見
れるようにすることで急進する。
Webチャンネルを登録選局できるようにするのである。
幸福実現TVを一発選局できることが肝要である。
シャープは、マスコミ改革という大義をもってWebTVを作ればよい
のではないのか。
身売りする前に、やれることがあるのではないのか。
液晶に命を吹き込む仕事があるはずである。
もう一つの課題は、NHKの視聴料徴収権をはく奪することである。
料金を払わなければ視聴できないようにできるのだから、あえて、
強制徴収するべき正当性はないというべきである。
ましてや、国営放送の実態はない。
むしろ、反日左翼宣伝のテレビ局でさえある。
国営放送というなら、内閣府の統制を受けるべきだろう。
公務員以上の給与を与えられるべきではない。
そこに、編集権や報道の自由という概念を入れるべきでもない。
自由競争のなかにあってこそ言える権利だからである。
NHK民営化法は簡単である。
「NHKの視聴料徴収を廃止する」とすればよい。
その後の問題は、経営問題である。
電波の独占も許すべきではないから、時間帯を販売する手法でも
よいではないか。
良い番組は有料視聴者が付き、そうでなければ売り上げが上がら
ない。
番組別の料金制度である。
NHK解体論は幸福実現党でもでてこないが、なぜだろうか。
これを公約に掲げる政党が現れてほしいものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi