薄穂を 一刀流に 構えたる
梅士 Baishi
この季節の芒穂は抜き身の新鮮な輝きがある。
真剣を抜いて、一刀流に構えた気持ちにもなる。
殺人剣は、胸元を突くか、骨を打ち砕くかであろう。
今世、真剣を手にしたことはないが、真剣は、もののふの覚悟を
秘めている。
阿蘇に行くと、芒が美しいであろう。
しかし、高千穂の芒を見たいと思う。
そこに歴史があるからである。
国つくりの気概が、芒穂の一刀にも秘められているであろう。
捕らわれてはいても、心は雲水のように動いている。
芒穂とは言えども、一刀を構える。
日本人よ、国家としての意識を持て。
国家あってこその世界である。
「世界市民」などというきれいごとは、未だ妄想である。
なすべき努力があるであろう。
それが、国家としての独立である。
人時所を誤れば、悪となる。
努力なき未来を現実に置き換えることもまた悪である。
希望とは努力して達成せんとする願いである。
軍神たちよ、国家独立の気概に目覚めるべきである。
大和は、軍神たちが建国した国、武士の国である。
秋を愛でた額田王であるが、軍船出陣の歌で時を告げた皇后で
もあった。
熟多津に 船乗りせんと 月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
【 信仰決断の時代~ 宗教の序列 】
われわれは今、その信仰が問われているといえる。
世界から日本人の気概が問われ、侵略をもくろむ中国からも神
国で
あるか否かが問われている。
いつまでも、無神論であってはならない。
神も仏も無い政治・教育・経済であってはならない。
仏神とは、人格神、人の姿をとってこの世に生まれ、文明の構築、
正しい宗教の創始、救世の指揮、国づくり、時代精神作りなどの指
導
実績と歴史に耐える評価を得てきた人類の指導者である。
そこには、当然にその魂の由来と歴史・功績による序列がある。
八百万の神々というように、多くの神々が人類を指導し、民族を指導
してきたが、そこには役割の違い、思想の違い、歴史の違いなどに
よる多様性がありかつ、神格の序列がある。
その歴史は、「黄金の法」に詳しい。
人格神の領域からさらに宇宙創成の意識としての根本仏の存在
も形而上には想定されるところであるが、人知の及ぶところではない。
しかし、この神の対極には、悪魔の存在があり、宗教を指導してい
るという。
それが、邪教の存在である。
今、人類の危機の時代、侵略と防衛の戦争の危険をはらんだ時代
には、邪教を介した悪魔の暗躍が活発になっているという。
だからこそ、時代をリードしてゆくためには正しい信仰が必要であ
るし、まちがっても、邪教に手を染めてはならない。
大川隆法著 幸福の科学出版刊『宗教選択の時代』、『宗教決断
の時代』が刊行されているが、この時代を生きる人間にとっては肝腎
要の智慧であろう。
新しい世界宗教が、再誕の仏陀、エル・カンターレ大川隆法総裁の
下に創始され、自分もた、そこに縁をいただいている。
それが、幸福の科学である。
しかし、それ以外にも、時代不適応を起していたり、神格の序列が
低かったりという問題はあれ、邪教ではないと認定されているものも
ある。
世界宗教である、キリスト教(ただし、キリスト教を偽装する統一教
会、エホバの証人などは邪教である)、イスラム教のほかに、日本国内
の比較的新しい宗教としては、神道系の生長の家、天理教、日蓮系
の立正佼成会くらいである。
人間は未来に指針を求め、精神性を求めるが、自助努力と慈悲の
心を見失ってはならない。
努力なく他力にすがることは、やはり虫が良すぎる。
かといって、無神論・唯物論は邪教に匹敵する社会主義ないし、拝金
主義の過ちを犯している。
医療や産業科学技術の唯物論は、傲慢の過ちを犯している。
日本人の気概が世界に問われている今、もはや、宗教音痴では
いけないのである。
せめて、武士の気概を取り戻したいものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi