乾きたる 秋の木立に 雨降りぬ
梅士 Baishi
今朝は雨である。
秋雨ではあろうが、まだ暖かく、室内は29℃近い。
乾いた秋の木立には恵みの雨であろう。
木立はまだ緑色で雨を欲している。
雨読課題は、「新しき大学の理念」「伊邪那岐 伊邪那美の秘密
に迫る」という幸福の科学新刊の二冊とほか二冊くらいは読破し
たいものだ。
伊邪那岐といえば、生長の家の開祖、谷口雅春氏とされてきた
が、間違いだったらしい。
初期のころの過去世認定は「方便」といいながらかなりの間違
いがあったということになっている。
信長、秀吉、家康の認定も間違いだったとされている。
天照大神は以来一度も地上に転生していないともされていた。
過去世認定はいまだお楽しみ、方便ていどに考えておいた方が
よい。
よく知られた人の言葉として引用しながらしゃべる人、研究論文
でも文献調査のような論文が多いが、ある意味栄光浴であり、他
人の七光に依存する虚飾である。
日下公人先生が申されるように、自分の認識、自分の思想とし
て語られたらよいと思う。
そこに新しい見解も創造されるというものだ。
ところで今朝の雨の先をたどると、なんとインド洋ベンガル湾上
に巨大なサイクロンがすっぽりとはまりこんでいるではないか。
ミャンマーやバングラデシュはいつものように大きな被害を出す
に任せて台風一過をまつのであろうか・・・。
【 先行投資型金融への転換なき円安は許せない 】
企業にとって円安というのは都合がよいらしいが、販売する側
の論理である。
もちろん、仕入れる以上の販売があってこその利益であるから
販売の都合を利することが景気回復には良いことなのだろう。
輸入型、消費型の企業や国民にとっては一方的な資産縮小に
ほかならない。
もし、通貨が株式で、国債が社債というべき資産であるとする
なら、円の増加発行は新株発行に相当する。
社債の発行は、返済能力の範囲でなければ発行してはならない。
それを転換社債とみるならば、結局新株発行における株主利
益をどう保障するのかと言う問題になる。
つまり、国家資産が増える範囲を越えて国債を発行し、あるい
は円を増刷することは、国民の資産価値を奪うことになると言う
ことである。
円安を単純に承認するわけには行かないと言いたいのである。
国民所得、資産価値を上げるための円の発行(金融緩和)でな
ければならず、国債の発行もこれに準じるものでなければならな
いと考える。
ということは金融緩和といっても、現有資産を担保とするような
融資ではゼロサムゲームであり、銀行の金貸し商売を利するだ
けのことである。
将来の資産増加をみこした先行投資型融資でなければ、円安
誘導的金融緩和や国債発行は許されるべきではないのである。
金融・財政政策の統合、金融緩和の先行投資型融資という方
向性を示していただきたいと思う。
金の矢を仕込まなければ、新たな発展には至らないであろう。
イスラム世界の貧困脱却、東南アジアの新発展、そこに日本
経済の使命があることを忘れてはなるまい。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党