すれ違う 人多かりし 初夏の宵
梅士 Baishi
ずいぶんと日が長くなった。
明るいうちに帰ると、いそいそと多くの人とすれ違う。
すれ違う人の中に、家人もいた。
時間の流れ方が違えば家人といえども過客として過ぎ去ってしまう。
Are You Happy7月号の私の三角形という性格分析を十数人の女の
子たちにやらせてみた。
「え~、私の愛されてる感、マイナス3点~、三角にならな~い」など
と、あちこちで悲鳴を上げていた。
その上で自分の評価を書いてもらい、発表してもらった。
みんな、興味津々、びっくりするほど当たってる~と大喜びのニャン
コだったりした。
一番多かったのがヤマアラシタイプ、次がニャンコ、あとは、象、コアラ、
馬、犬タイプだった。
ちなみに主催者は、ちょっと太り気味のどら猫だった。
動物占いではピンクパンサーだったが、どちらにしても猫族らしい。
まあ、マイペースの発想型である。
上司筋にも一切こびることがないし、気も使わない。
まあ、野良猫になっても気高く生きるタイプである。
みんな、わあわあと楽しそうであった。
Happyでよかった。
【マスコミ広告をやめよう、ベンチャーメディアを育てよう!】
企業はもう、新聞広告から離れるべきではないか。
その新聞が砒素のように反日の毒素を流し続け、不況を招き続けて
いる貧乏神であり、高齢者以外は既に、新聞から離れているからであ
る。
新聞世代は、それでも新聞を読む。
禁煙できないのと同じで、新聞毒から抜けられない。
全く無価値ではあるまいが、情報は新聞に依存しなくてもよい。
むしろ、日本を害したマスメディアへの制裁に義がある。
新聞もテレビも、傲慢な体質と、ニュースの信用失墜によって自滅
する運命にある。
たくさんの活字を見ると、世の中の動きがみんな書かれているよう
に錯覚する。
しかし、所詮、さまざまな情報統制の下に規制された書き物にすぎ
ない。
規制された記者の認識を、自分の認識の代理には使いたくはない。
もはや新聞は要らないのではないか。
自分も新聞から離れて十年ほどになる。
習慣化して抜けられなかっただけである。
購読中止して寂しいのは、チラシ広告とテレビ番組がないことだった。
今は、チラシも、テレビ番組もインターネットで取れる。
信用できる情報は、ネットをとおして入ってくる。
新聞に残る最後の価値は、ゴミを包むのに重宝な新聞紙という程度
である。
まして、偏向した記事やバカ騒ぎばかりのテレビ番組など時間の浪
費以外の何者でもない。
新聞の広告効果は新聞世代に対するもので、年々伸びてくるネット
世代にはほとんど届くまい。
還暦過ぎのベビーブーマーでさえ、ネット世代というべきではないか。
これからは信用が大事である。
幸福の科学がネット新聞を作り、TV放送番組を作り、全世界に取材
記者を配置すればよい。
ネット通販も、幸福の科学がセレクトしたショップが幸福ショッピングサ
イトに集合して幸福価値の高いショッピングが実現するようになるだろう。
最高の宗教とは最高の信頼なのであり、最高の信頼こそは最高の情
報プラットホームとなるのである。
幸福の科学こそは、最高の宗教としての情報発信基地であり、教育、
流通、金融、商品ブランドの根源となってゆくだろう。
現代の情報商品とは、人集めのための大衆娯楽ものである。
これからの情報は、知ってもらうための無料情報と、投資価値のある
差別化希少価値情報に選別されるだろう。
希少価値も古くなれば無料情報化される。
情報投資と商品化がこれからのメディアビジネスモデルの課題とな
るであろう。
チャンネル桜の情報は、無料情報のレベルであろう。
そのかわり、これを信頼するファンにとって、チャンネル桜ブランドの
商品が売れるはずである。
あるいは、共感者番組の枠を有料提供すればよいのだ。
あるいは、私募債を募集してもよい。
ビジネスとして成立しなければ、顧客サービスが不足しているという
べきであろう。
チャンネル桜が幸福の科学を認めているわけではあるまいが、保守
勢力として、日本を守りたいという仲間ではあるだろうと思っての老婆
心である。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi