鶯の 声のあたりの 春らしく
中村 梅士 Baishi
今日も一日仕事になった。
日が暮れてからゴミ出しに出たのが今日の外遊である。
今日は暖かな一日だったらしく、ストーブを付けていたつ
もりがストーブなしで過ごしていた。
今晩のジャズナンバーはダラーブランドの『昔』という日
本語表記のナンバーである。
尺八を吹いているのだろうか。
昔の日本は味わいがあったのだ。
今日のワインはチリの安い赤ワインである。
といっても、高いワインを知らないから、うまいワインで
ある。
安いというのはスクリューキャップだからである。
しかし、スクリューキャップはすぐに開けられるからほっ
とする。
今後は、値段は少し高くなるがオーストラリアワインを買
いたいと思う。
China から輸入禁止の嫌がらせを受けているからである。
オーストラリアワインは、カンガルーの袋の中で発酵させ
たものなのではないか、などと連想する。
台湾パイナップルも輸入禁止の嫌がらせを受けているが、
ナンチャイナってなもんで、日本に輸出してくれたらよい。
できれば、台湾バナナも回してほしい。
スーパーにも台湾パイナップルが並んでいるかもしれない。
さて、明日は登城日である。
春三月の陽気のようだ。
春を楽しみたい。
光のない闇はない。
闇とは光を奪う存在か、光が少ない存在を言うのだ。
闇の存在が、光の存在感を高めているともいえる。
悪魔というのは、狡猾で厚かましく人を騙し、暴力的である。
習近ピラのように残忍で悪徳そのものである。
しかし、それが人生問題の所在でもある。
しからば、如何に光を当てるかを考案するべき課題である。
外科手術をして切り捨てても、癌のように転移する。
だから、癌を受け付けない体質に変えるのが一番なのだ。
それが、信仰生活であろう。
闇が好む光は、神の光ではなく、欲望や恐怖のエネルギーな
のである。
そこに寄生するのが悪魔の習癖である。
闇の存在は心を糺す手がかりである。
反省が闇を遠ざける秘法である。
しからば、悪魔の中共の侵略を阻止する対策は、中共のち
らつかせる利権に心を動かさないことだ。
欲しがれば、拒否されることを恐れるものだ。
そうするとさらに悪魔の術中にはまるのである。
今の日本政府や財界が餌食になっているメカニズムである。
対策は、チャイナ利権を捨てることだ。
そして、チャイナの攻撃をかわす包囲網を強化し、毅然と
して戦う姿勢を示すことだ。オーストラリアやインドのよう
に、毅然と戦う姿勢を示している国家こそは独立国家の気概
を持つものである。
悪魔の戦闘力はそれほど強くはないはずだ。
なぜなら、所詮、嫌われ者だからである。
内にも外にも敵がいる細々とした経営を強いられている。
恐れないことだ。
ナンチャイナに愛国心なんてないのである。
騙されないことである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party