すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

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■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

# 花伝い・・・ 忘れていた東長寺の桜  レコード不調  「サンベアコンサート」  武士道にとって代わった事なかれ主義

2021年03月29日 20時24分37秒 | ◆ 日本国独立運動

 

 

  花毎の  春を伝いし  弥生かな

   中村 梅士 Baishi

  

 

 

 

 街の桜はまだ満開の木が多い。

 早く咲いた山桜は葉桜になったが、多くは花吹雪を散らし

ながらもまだ満開である。

 

 花から花へ伝い歩いているようにも思える。

 残り数日の至福である。

 堪能してもよかろう。

 

 そういえば、子安観音の枝垂れ桜に見とれて、東長寺の桜

をすっかり忘れていた。

 あれも年に一度見回りたい縄張りである。

 ああ、今日はそこに立ち向かうべきだったのだ。

 

 さて、昼飯抜きで90分しゃべりっぱなしのゼミを終えると、

さすがに頭の中が空白状態になる。

 さらに40分かけて4kmの道のりを下城し、シャワーで

ロナを洗い流すとさっぱりとするが、もう一仕事という気分

も脱落する。

 

 シャワーついでにレコード盤もシャワーしたら、少し良い

音になった。

 ベルトドライブのターンテーブルだったが、ベルトを交換

したら途端に音がふらついて聞けなくなった。

 仕方なくダイレクトドライブのマニュアル操作機に取り換

えたが、何かしら音が冴えない。

 

 折角レコード音楽に復帰したのに、音に満足できない。

 どうしたのだろう・・・。

 耳がよくなったのか、レコード盤が汚れているのか、ター

ンテーブルの機能が低下したのか・・・。

 耳慣れた音質というものは中々妥協できないものがある。

 

 今日のジャズタイムは、キースジャレットの日本公演「サ

ンベアコンサート」を聴いている。

 奇声を発しなければよい演奏なのに、それが玉に傷である。

 

 

 

 

 

 スポーツの諸問題を講じるにあたって、武士道精神は折に

触れて出てくる美意識である。

 しかし、現代日本からすっかり姿を消してしまった美徳で

もある。

 

 武士道にとってかわった日本的価値観は、事なかれ主義で

ある。

 公務員の根本精神でもある。

 十七条憲法など、跡形もないであろう。

 

 競技団体のお偉いさんというのは、たいがいボランティア

の名誉職だが、普段はその地位をひけらかし、一旦ことが起

こると「わたしゃ、ボランティアのお飾りですから」と責任

を回避する。

 武士道が残っていれば、責任をとって殉じるべきところで

ある。

 

 せめて教育現場では、男女ともに武道を必修実技授業にし

て武士道精神を教育するべきである。

 男は柔道や剣道、女は小太刀、長刀道がよい。

 男女共によいのが、古武道や弓道である。

 

 幸福の科学学園やHSUでは、武道やスポーツにも力を入れ

てほしい。

 スポーツなくしては、リーダーシップは育たないからであ

る。

 リーダーシップとは公的幸福に尽くして統率し、職務に殉

じる覚悟のある武士道精神にほかならない。

 

 

日本国独立宣言・神聖九州やまとの国

New Asia Happiness Party


 

 

 

 

 

 

 

鬼学入門

 

ザ・リバティ 2021年1月号 大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(1) ザ・リバティ 2021年3月号

 

 

 

ザ・ヒーリングパワー  秘密の法  自助論の精神

 

  

 

 ç¿’近平守護霊 ウイグル弾圧を語る   地球を見守る宇宙存在の眼  大中華帝国崩壊への序曲           

 

 

 

 

   大川隆法 思想の源流

 

 

 

 

 

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# 花吹雪・・・ 諸行無常と中共100年の不幸の顛末  性差別と行き過ぎた男女平等論  「男らしさ」とは何か  差別とは何か  思いやりのある男女観

2021年03月29日 07時58分38秒 | ◆ 日本国独立運動

 

 

  花吹雪  手を振るように  風に消え

   中村 梅士 Baishi

  

 

 

 

 花吹雪は花の圧巻である。

 ところが、なかなか撮影が難しい。

 風を待って立ち尽くしていても、そんなときには散らない

ものである。

 

 それでも、花吹雪は美しい。

 どこに桜があるのだろうと思えるところにも花びらが積も

っていたりする。

 そんな季節も来週には葉桜になっているのだろう。

 春三月も、今日を入れて残り三日である。

 

 ずっと先の事のようだった春の彼岸も、すでに過去のこと

になった。

 そろそろ三寒四温だろうかと思っていたのに、今はすっか

り四月上旬の気温になった。

 

 幸せの最中にあっても、過ぎ去るものの切なさに満ちてい

る。

 諸行無常である。

 悪魔の中共は今年7月で100周年を迎えるという。

 地獄の苦しみが100年も続いてきたのは長い。

 

 しかし、それも間もなく終焉を迎えるだろう。

 諸行は無常だからである。

 悪魔・始皇帝の在位は26年、それでも長いが、あっけな

く終焉を迎えたともいえる。

 

 愛の覚悟は殉じることである。

 諸行無常の中にも愛に殉じるレガシーを遺したいものだ。

 

 

 

 

 

 かつて、ヒステリックな「ウーマンリブ」という男女同権

運動があった。

 今は男女平等だけではなく、倒錯した性意識の同性愛者を

含めて正当と認めよと言っている。

 男も女もないという性の社会性否定にまで及んでいる。

 

 スポーツの社会でも男女平等が叫ばれ、アメリカでは「タ

イトルⅨ」という法律で性差別を禁止している。

 確かに、不合理な差別は “man up!" という男性優位の責任

感の裏返しとしてあったことは事実であろう。

 

 しかし、 “man up!" という男らしさは、差別用語というよ

りは、責任感と言うべきであろう。

 女を支配することをもって男らしいとは言わないのだから。

 男らしさを否定することは、男が軟弱で自己中になること

を意味しているのだ。

 

 男女は人間としては同じであり、そこに差別があってはな

らない。

 しかし、性を設けたのは神の計らいである。

 女は美と母性愛の意識が強く、男は正義と守護の意識が強

い。

 これを否定する男女平等観には修行論が欠けている。

 

 差別とは、弱い者いじめのことである。

 女性も健康で逞しく、自立した人間を目指す権利がある。

 それは向上心と言うものだ。

 スポーツにおける女性差別とは、女性の向上心を妨げる軽

視があるというべきであろう。

 

 しかし、女性保護の配慮が必要である。

 女性アスリートの苦しみは見過ごしにしてはならない。

 それが、「思いやりのある男女観」ではないのか。

 男らしさも女らしさも、そこに逞しい表現があってしかる

べきであろう。

 しかし、配慮は必要である。

 

 スポーツの自由は保障されなければならない。

 しかし、性への配慮を見失ってはならない。

 そういうことであろうと思う。 

 

 

日本国独立宣言・神聖九州やまとの国

New Asia Happiness Party


 

 

 

 

 

 

 

鬼学入門

 

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