放生会 浴衣に点る 花灯り
梅士 Baishi
放生会の祭りには参道が歩けないほどの人出がある。
延々と続く屋台の灯りはいかにも日本らしい祭りであ
る。
イベントに雨は致命的だが、祭りは傘をさしてでも賑
わうものだ。
それが、神事の縁というものだろう。
秋の祭りには浴衣姿の娘たちが花のようである。
浴衣の解放感は放生会にはよく似合っている。
祭りは娘たちが花を咲かせられる神域なのである。
祭りの賑わいは都会的である。
たくさんの人がいるが、知らない人ばかりである。
だから気を使わないで済む。
孤高を住処にしている者には、賑わいは都会的な変化
と気ままさを楽しめる風景なのである。
妥協に妥協を重ね、沈没寸前の戦艦のようになりなが
ら、集団的自衛権関連法案を議決しようとしている安倍
内閣には、神々の溜息が聞こえるようである。
国を護ろうということに、なぜそれほどに卑屈になら
ねばならないのか。
なぜ、強行採決といわれることを恐れるのか。
むしろ、強行非決をこそ問題とすべきであろう。
それが憲法違反だというなら、だからこそ、この憲法
を廃止し、独立宣言をしなければならないのだ、となぜ
言えないのか。
英霊は犠牲者でも加害者でもない。
見事に大義をもって生ききったのである。
彼らは、植民地主義国家と戦ったのであり、見事にそ
の意地を通したのである。
これに対して、朝鮮人たちは欧米と戦ったか。
チャイナ人たちは戦ったのか。
むしろ、ナンチャイナ共和国は、かつての欧米の植民
地主義を夢のように追いかけているのである。
その卑劣をこそ、恥じ入るべきであろう。
それで政権を失い、日本が売国奴の支配となり、国家
滅亡となっても、それは自業自得ではないか。
そうなってこそ、革命の火ぶたは切られるであろう。
そのような日本滅亡の危機的大異変が起こるであろう
と思う。
その時は、自分も軍門をたたこうと思う。
否、一人にても立つであろう。
死の大義は名誉である。
幸福の科学との出会いは、人生の大義であった。
その大義を実践せずしてこの人生を終わるべきでは
ないと思っている。
チャイナクラッシュの激動、加速する天変地異、チャ
イナの軍事的暴発・・・。
反日左翼との戦いが、錦の御旗を持てるとよいが。
皇室も、戦うべき時が近づいているのではないか。
幸福の科学に錦の御旗を下されたい。
皇室のルーツが幸福の科学に集合していることはご存
じのはずである。
平成天皇よ、神となられよ!
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党