彼岸花 訪ねし道に 咲くものか
梅士 Baishi
老いるほどに、彼岸が恋しくなるものかもしれない。
彼岸花 行方も知らぬ 老いの道かな
腰が痛いという老母を散歩道から駅まで歩かせて見送
った。
母の人生は、敗戦から被爆、そして貧乏から立ち上が
った人生で十分にその努力を評価されるであろう。
エル・カンターレ信仰には至らないが、霊的人生観は
心得ている。
彼岸の道に迷うこともあるまい。
エル・カンターレが在世するこの世は、ある意味彼岸
の光にあふれている。
心の曇りでその光をさえぎっている者が多いのは残念
なことであるが、それも因果応報の自己責任なのではな
いか。
光が届いていないとは言わせない。
微力であったとはいえ、二十数年の伝道には、人々に
自己責任を問うだけの積み重ねはあるのではないか。
天災といえども、「なぜ私たちが罰されなければなら
ないのですか」と反論するだけの生き方をしてきたかを
自問自答するべきである。
亡国の左翼・民主党政権を選んだのは誰なのか。
反日教育を許してきたのは誰なのか。
仏神を軽んじてきたのは誰なのか。
その不明の責任は軽くはあるまい。
「日本にはもはや未来はない」というのが正論である。
多くの高級霊の厳しい霊言はそれを表現しているので
ある。
「いや、そうはさせない、日本の未来は明るいのだ」
と言 えるのは、エル・カンターレ、大川隆法総裁のみで
ある。
そのような慈悲の言葉に甘えてはなるまい。
使命を果たすために、兵站を考えなければならない。
しかし、兵站はあくまで手段である。
その上で、兵站確立こそは自由の動力源である。
学問にも信仰にも救国活動にも、兵站なくしては力強
さを欠くことになる。
多くの豊かな老人たちの最期の貢献は、そうした兵站
への協力である。
この国を滅ぼして、あの世に安住することも心苦しい
ことであろう。
民族が滅びるということは、あの世でも肩身の狭い思
いをすることになる。
ましてや、長く日本人として転生してきた多くの日本
人にとっては深刻な問題である。
霊的愛国心の問題である。
累々と積み上げてきた日本の文化文明を滅ぼしてはな
るまいぞ。
中国の属国になって生き延びれば良いという問題では
ないと知るべきである。
もはや時がない。
新憲法樹立政権を実現しようではないか。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi