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+ 放生会の流れ・・・ 賑わいとは何か  ビジネスとは人の幸福を願う繁栄への創意工夫である  

2011年09月18日 10時09分16秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 賑わいを  掬いて放ち  放生会 

    梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

  放生会最終日の日曜日の朝は小雨模様である。

 イベントに雨は禁物であるが、雨が降っても人の流れが

途絶えないのが筥崎宮の放生会である。

 

 今年も大変な賑わいが続いている。

 別に、買い物や食べ物を求めているわけではないのだ

が、賑わいには何かがありそうで、人々が集まるのだろう。

 

 因みに、津屋崎の宮地嶽神社の放生会は彼岸の23日

まで、宗像大社は10月1日からだそうである。

 賑わい前線が通り過ぎると、櫛田の銀杏も黄金に染まる。

 いよいよ本格的な秋になる。

 

 

 

 

 

 

 この季節、あちこちでイベントが開催されているが、放生

会ほど人が集まり、賑わう祭りはない。

 そこに神祭りと商業祭りの決定的な違いがあるのだろう。

 

 放生会は日ごろ食事として殺生している生き物への感謝

と供養を目的とする神事である。

 これに対して、商業イベントないし、文化イベントは神事

ではなく、人事である。

 

 しかし、共通している魅力がある。

 それは、賑わいである。

 賑わいの演出そのものに意義がある。

 

 賑わいには、繁栄の願いというべき神事に通じる大義が

あると思う。

 だから、賑わいは縁起が良い。

 繁栄を愛するべきである。

 

 

 

2011.09.17 筥崎宮放生会の賑わい 

 

 

 

 このように考えてくると、商業イベントであっても、文化的

イベントであっても、賑わいを演出することは、神意であり、

神事であるともいえるのではないか。

 そう思って賑わい作りに関わるべきである。

 

 閑古鳥が時計の音のように響いている店、観光地は、

即ち、賑わいがない。

 貧乏神が座りこんで縁起が悪いから、いっそう人が近寄

らなくなる。

 

 日頃静かな農村であっても、賑わいを生み出す祭りが

なければ、ただ見捨てられた過疎地に過ぎない。

 縁起のよさ、賑わう力、そういう魅力がなければただの

ゴーストタウンである。

 

 では、賑わう魅力とは何か。

 

 

 

 

  

 

 賑わいを生み出すものとは何か。

 まず、気持ちの明るさが大事だ。

 笑う門には福来るという縁起よさである。

 

 次には繁栄の雰囲気である。

 彩り、賑やかな演出、楽しい雰囲気、清潔感、あたたか

な雰囲気である。

 即ち、繁栄の予感と言う縁起よさである。

 

 三つ目を上げるとすれば、神聖なものにつながっている

という縁起よさを演出することであろう。

 地鎮祭でも神事として私邸の建設を始める。

 門の入り口に塩を盛るのもそうである。

 結界を作るということでもあろう。

 

 世俗と言う欲望のままであっては、本当の賑わいは生ま

れない。

 バール信仰のような欲望の繁栄であってはならない。

 七福神が応援したくなるような、人々の幸福を願う繁栄

でありたい。 

 

 

 

 

 

   

 

 商売とは人の幸福を願う繁栄への創意工夫である


 「花王」のように、日本という国の中に一定の企業として

の成功を得られたにも関わらず、反日宣伝活動に資金提

供するというのでは買おうという気にはなれないし、花王と

いう名にも恥じる邪悪というべきであろう。

 もはや、花王石鹸は不潔である。

  

 感謝なくしては、繁栄の願いも成り立たない。

 他人の成功・発展を妬むようでは繁栄は根付かない。

 日本のマスコミはまさに邪悪である。

 NHKは国民から金を徴収して国を貧しくし、あるいは亡国

を画策しているのであるから、もはやその存在そのものが

国民の不幸である。

 

 繁栄は事なかれ主義からは生まれない。

 繁栄は妬みの心情からは生まれない。

 繁栄は欲望(奪う愛)からは生まれない。

 

 

 

 



 繁栄は、新しい価値を生み出そうとする努力である。

 繁栄は、他人の幸福を生み出す誉である。

 繁栄とは人々の幸福を願う「与える愛」から生まれる。

 繁栄は神の願いである。

   

 賑わいを生み出そうとする願いは、そうした神聖な努力

と創意工夫に他ならない。

 倒産の危機にある企業よ、商店よ、謙虚に反省しようで

はないか。

 ほんとうに人々の幸福を願う賑わいを思い描いていたかを。

 リターンを得ようとする自己保身が意識を占領していな

かったかを。

 

 繁栄の願いが本物であれば、そこに七福神が働かない

はずがないのである。  

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

 

  

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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