すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 杯の花・・・ 国家の大計は教育投資にこそある

2008年04月13日 15時46分47秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  


 

 

 一花を 杯に受け 国の春


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 福岡の西公園や福岡城跡の大濠は、桜の名所である。

 人が多いので、滅多に行くことはないが、さすがに爛漫の咲きっ

ぷりである。

 

 桜の花は、もう終わろうとしているが、天下国家を論じる花でも

ある。

 

 福岡藩は、黒田如水に始まる50万石ほどの外様であったが、

城跡には城郭もなく、明治維新には、薩長土肥のような活躍もな

かった。

 その意味では、黒田武士の誉れが途切れてしまった感がある。

 

 明治維新には、一体何をしていたのだろうかと思うことがあった

が、脱藩して尊皇攘夷に身を投じた武士がいたことを、平野二郎

國臣の銅像で知った。

 

 

 わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば

 煙はうすし 桜島山

 

 

 

 

 

 平野は、西郷隆盛と共に、弾圧の危機に晒されていた尊王派の

僧、月照を伴って薩摩に逃れた。

 しかし、久光の命により、逆に刃を向けられる。

 

 人情派の西郷は、月照と共に、錦江湾に身を投じたが、平野が

これを救い上げた。

 それだけでも歴史的な功績である。

 

 平野は結局、安政の大獄の弾圧で処刑されることになるが、

福岡にとっては、維新の志士を得て、面目躍如であった。 

 

 

 散る花は問う。

 如何に生きるべきか。

 志や如何。

 

 教育の現場にあって、ここを終いの住処とするほかはあるまい。

 青年たちの心の危機は、日本の未来の危機でもある。

 

 その、心の闇を照らし、鍛えることもまた、一花に恥じない志で

あろう。

 

 貧者の一灯といえど、その志は燎原の火のごとく、燃え広がっ

ているはずである。  

 

 

 

 

 

 

 国家の大計に、教育があることを忘れてはならない。

 これが、国家責任の原点にある。

 子供たちだけではない。

 人間、死ぬまで勉強である。

 

 ならば、学ぶための投資をこそ、最優先課題とするべきである。

 長岡藩の米百俵の逸話こそは、現代日本の政治課題である。

 即ち、「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれ

ば明日の一万、百万俵となる」 と諭して、食糧援助の米を売った

金で学校を作った、藩の大参事小林虎三郎の英断である。

 

 

 外交問題、経済問題、年金問題など、国難とも言うべき難問が

山積してはいるが、それでも、教育こそは、最優先の国づくりなの

である。

 

 

 故に、国歌・国旗に反対する公務員教師を懲戒解雇せよ。

 学校設立を自由化し、新しい教育を育てよ。

 公設民営化を学校運営の基本とせよ。

 大学もまた、基本は教育機関であることを本則とせよ。

 

 このように、主張、提案し、青年たちの心の闇に灯をともす努力

を続けることにする。

 

                             梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする