坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

ある出会い

2008年10月16日 | 坊主の家計簿
 10月16日

 雑費  きしめん           230円
     たこやき           500円
     タンガクラブ・ビール2   1000円
     タクシー           200円
     くうげ           1300円?
     野菜ラーメン         730円

 合計                3960円
 10月累計            80590円

 休み♪
 っちゅう事で、おもくそ二日酔い。
 夕方4時から街中で会議だったので、なんとか気力を振り絞って出かける。偉い!私は偉い!っちゅうか、それ以前に、昨日、飲み過ぎや、っちゅうねん。終電で帰って、あの二日酔い具合はただ事ではないぞ。
 っちゅう事で、会議、会議と。
 会議後に、恒例の飲み会は参加者が少なく、タコ焼を買ってタンガクラブへ。後に、タンガクラブの三浦氏も含めて『くうげ』っちゅうバーに行く。
 っちゅう事で、今日も結構飲んでまふ。

 今日の会議は、大阪の本町、っちゅう所にある『南御堂』ちゅう所で。
 会議が終わって、帰ろうと思てたら同じ建物の中で某先輩に会う。
 その先輩は、このブログを読んで頂いている先輩でもある。少し話をしていたら、その先輩が御自身のブログで訃報を書かれていた、私が会った事のない先輩が、タマにこのブログを読んで頂いていたそうな。

 私が会った事のない先輩。名前を聞いても解らない先輩。でも、このブログをタマに読んで頂いていたそうな。
 なんか、嬉しかった。嬉しかったと同時に、会いたかった。会って、出来れば同じ教えを学び合う者同士として、色々と話をしたかった。
 「お前が書いている事は、」なんじゃかんじゃと、云う事を手がかりにしながら、色々とお話したかった。批判も聞きたかったし、当然、私もその意見に対して批判するだろうし、つまり『同朋』としての交わり、関係をしたかった。
 でも、出来なかった。

 私はその先輩の事は知らない。でも、こういう出会い方もあるのだなぁ~、と。
 やっぱし、会って直接批判を聞きたかったけど、でも、「見てたぜ」と云う事を伝え聞く事によって、全く知らない先輩がこのブログをタマに見てい下さっていた事を知る事によって、私は私なりに影響を受けた。
 こういう出会いもあるのだなぁ、と。
 嬉しいし、背筋が伸びるし、怖いし。
 でも、それが新しい出会いなんだろうし、その人が亡くなった後に、全く知らない先輩がなくなった後に、でも、明かに今の私に影響を与えている。
 有り難い。
 こういう出会いもあるのだな。

カツラ?

2008年10月15日 | 坊主の家計簿
 10月15日

 食類 寿司&海鮮        300円
 雑費 タバコ10(数日前)  3000円
    するめ          105円
    タンガクラブ・ビール   500円
    ドグラマグラ      1400円
    アイスモナカ       126円

 合計             5431円
 10月累計         76630円

 次の日、休み♪
 っちゅう事で、ミナミへ。
 酔うた。。。ドグラマグラのマスターから「足がちゃんとしとらんぞ」っちゅうぐらいに酔うた。。。

 んで、出かける前に見てたテレビニュースで話題になっていた、あの子宮なんとかの人。まあ、容疑者らしい人。医者の資格がうんたらかんたらの人。
 え~。。。カツラやんな。

娑婆の優先順位

2008年10月14日 | 坊主の家計簿
 10月14日

 食類  諸々         629円

 合計             629円
 10月累計        71199円

 朝、さむ~。小雨も降っとるし「仕事行くのイヤやよ~」と駄々っ子になろうかと思たんだが、そんなわけにもいかず御仕事、御仕事。んが、今日は早く終わる。
 昼間のマッタリとしたテレビ番組を見てると「お!メッセンジャーやんけ」と。現在日本でナンバー2の漫才コンビである(ちなみにナンバー1は『オール阪神巨人』)メッセンジャーを全国ネットで見る事は非常に珍しい。黒田だけが出る事はあるのだが、私が尊敬する『あいはら』の方はゲスなので関西ローカルしか通用しないのだろう。今日も、あいはら節、つまりゲスネタは封印して、単なる黒田の付き人と化していたし。まあ、それでもボンヤリと見る。あ、番組は、え~。。。ほれ、小堺一機が出てる、マッタリとした番組。名前は忘れたし、別にエエわ。
 13時30分前に番組終了。昼ドラには興味がないのでチャンネルをいじる。
 「うわ!真奈美タンやんけ!」
 と。え~。。。『徹子の部屋』か。徹子の部屋に小西真奈美が出てた。
 何やら明後日、木曜日21時からドラマの主演をやるらしい。
 大丈夫か。。。前の『きらきら研修医』は見事に転んだやんけ。まあ、22時からやったらか低視聴率でも良かったのかもしらんが、今回は21時からやぞ?大丈夫なのか?
 番組の名前は『小児救命』(http://www.tv-asahi.co.jp/kyumei/)とかいうらしい。今週の木曜日は外出予定があるので初っ端から見れないのだが、まあ、どうせ全部録画するつもりなので別にエエか。

 医療で思い出したのだが、何やら鳥インフルエンザのワクチン接種に優先順位の試案があるらしい。長いけど、リンクが切れたらイヤなので、引用。



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  <プレパンデミックワクチンの接種対象者>

 ■カテゴリー1

(1)感染拡大防止、被害の最小化に資する業種

病院、一般診療所職員▽保健所職員▽救急隊員、消防職員▽在外公館職員▽税関・入国管理局・検疫所職員▽警察職員▽宿泊施設従事者▽自衛隊員▽海上保安庁職員▽航空運送事業者(国際線)▽空港管理者・機能維持者▽水運業(外航海運)▽外航海運代理店業▽水先業

 ■カテゴリー2

(2)新型インフルエンザ対策に関する意思決定に携わる者(首長など)

国家機関▽都道府県機関▽市町村機関

(3)国民の生命、健康の維持にかかわる業種

病院、一般診療所、在宅看護サービス▽歯科診療所▽その他の医療業▽老人福祉・介護事業▽児童福祉事業▽障害者福祉事業▽医薬品製造業▽医薬品販売業▽医療機器製造販売業者

(4)国民の安全、安心の確保にかかわる業種

消防職員((1)以外)▽警察職員(同)▽自衛隊員(同)▽海上保安庁職員(同)▽海事関係職員▽港湾管理者▽国会議員▽国会議員公設秘書▽国会事務局職員▽都道府県議▽市区町村議▽地方議会議員事務局職員▽放送業▽新聞業▽電気通信業▽電気通信に付帯するサービス業▽矯正職員▽更生保護官署職員、保護司、更生保護施設職員▽検察庁従事者▽裁判官

 ■カテゴリー3

(5)ライフラインの維持にかかわる業種

電気業者▽原子力事業者▽上水道事業者▽下水道事業者▽工業用水道事業者▽ガス事業者▽熱供給事業者▽石油精製業者▽石油販売業者▽LPガス事業者▽石油備蓄事業者▽石油採掘事業者▽航空運送事業者(国内線)▽港湾管理者▽空港管理者((1)以外)▽水運業(内航海運)▽海運代理店業▽港湾運送業▽その他の運輸付帯サービス業▽鉄道業▽道路旅客運送業▽道路貨物運送業▽運輸関連業者▽道路管理者▽倉庫業▽精穀・製粉業▽パン・めん類など製造業▽乳製品製造業▽缶詰製造業▽レトルト食品製造業▽冷凍食品製造業▽せっけん・合成洗剤製造業▽トイレットペーパー製造業▽ごみビニール袋製造業▽衛生用品など製造販売業▽食品流通関係者▽食料品・生活用品小売業▽金融機関▽日本銀行▽保険会社▽政府系中小企業金融機関▽ソフトウエア業▽情報処理・提供サービス業▽インターネット付随サービス業▽郵便局▽国家公務員▽都道府県職員▽市町村職員▽独立行政法人職員▽火葬・埋葬業▽廃棄物処理業

 ※(1)~(5)が優先順位

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080919ddm012040002000c.htmlより
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 う~ん。。。『僧侶』という職業は入っていないようである。『火葬・埋葬業』になんとか食い込みたい気もするのだが、「え~。。。私たちもセットと云う事で」と揉み手しながら近づいて行きたい気もするのだが、まあ、無理か。
 
 しかし、この中に『天皇』や『皇室』が入っていないのは、どういう事だ?まあ、皇居で守られているから大丈夫なのかも知れないが。それとも、これは自民党政府の陰謀で「鳥インフルエンザで皇室を滅ぼして大統領制の導入へ!」という事なんだろうか?とか、微妙に疑ってみたりもするのだが、まあ、『別』なんだろう、変わらず。変わらず天皇家の皆様は、当然の如く最優先でワクチンを接種出来たりするのだろう。常に先端医療を最優先で受ける事が出来るのだろうし。
 っちゅうか、この試案が正式化されたら、あるいは現時点でも、共産、社民辺りの議員が「この試案には『天皇』は書かれていませんが、天皇はどうなっているのですか?」と是非質問して頂きたいものだ。まあ、『国家機関』の中に含まれるのかも知れんが、国家機関なら『天皇』のみであり、皇室は関係なくなる。と思うのだが、どうなるのだろうか?

 まあ、非常時になると、優先順位が当然の如く出てくる。なんせ『国家』なんだし。より多くの国民の命を守る為には優先順位が出て来るのだろう。上記されているのは『助ける側』の優先順位なんだし。医療従事者を筆頭に助ける側が機能しなければ、助けられる側も困るわけだし。娑婆でんな。娑婆の現実でんな。

 娑婆には当然の事、何らかの優先順位があるのだろう。
 だが、それは所詮、娑婆の優先順位であり、娑婆の何かの価値観でしかない。
 価値観は所詮、妄想でしかない。当り前の話である。誰にも決められる事が出来ないのだから。
 人間が鳥インフルエンザ・ウイルスよりも偉い、と決めつけているのも価値観でしかない。鳥インフルエンザ・ウイルスを『殺してイイ』と決めつけているのは人間中心の価値観でしかない。鳥インフルエンザ・ウイルスにとっては、そんな価値観なんぞ大迷惑にしか過ぎない。
 価値観なんぞは、所詮、そんなものでしかない。何かの基準でしかない。

 例えば『五体満足』という言葉があるが、五体満足が人間の基本概念であれば、それから外れた人は人間でなくなる。
 そんな事は、所詮、妄想にしか過ぎない。その妄想を絶対化し、それでなくとも娑婆で生き難い人達に、より一層の『苦』を与え続ける。娑婆しかない価値観でもって、当然、娑婆の価値観だけを他者に押し付ける。
 娑婆の価値観は、所詮、娑婆の価値観でしかない。
 
 娑婆の価値観でなんと云われようが、事実、生きとるやんけ。
 価値観を越えて、生きとるやんけ。
 『生きている』っちゅう事実の方が、価値観なんぞの妄想、『思い』よりも、遥かに素晴らしい。

「○○したから」

2008年10月13日 | 坊主の家計簿
 10月13日

 1円も使ってません。

 10月累計       70570円

 お昼前から法事だったのだが(休日だったのね、今日って)、舌が回らん。
 しかも、微熱の時にタンマになるのだが、舌の奥が少し腫れているのか、舌が奥歯に当ってうっとうしい。かつ、仕事が終わって「サロンパス、サロンパス」で、若干楽になったが肩が張って張って大変でっせ。
 っちゅう事で、今日はお部屋でマッタリと。っちゅうか、「今日も」なんだが。

 昨日借りて来て見れなかったDVDを見て過ごす。

 『サイン・オブ・ゴッド』
 イエスのビデオ映像の話。タイムスリップしてイエスの姿をビデオカメラに収めて来た事に関する映画なんだが、宗教観の違いを見せつけられる。まあ、『キリスト教』といっても、一概に決めつける事は出来ないのだろうが。。。
 
 『明日への遺言』
 御近所レンタル屋の『蒼井優コーナー』にあったから借りたのだが、非常に残念ながら蒼井優ちゃんはワンシーンしか出て来ない。
 何やら戦犯で絞首刑になった岡田資氏が主人公らしいのだが、なんか、『潔さ』みたいなものがこの映画にも一貫して流れている。

 法事が終わって、最後の御参り先へ、自転車でチャリチャリと。
 御参り先はマンションの2階。丁度エレベーターも1階に来てたのでスイッチオン。扉が開く。
 心の格闘。
 「2階ぐらいまで歩け。電気が勿体ないやんけ」
 「何を云うてるねん。法事の後やし、自転車でここまで来たんやし、別にええやんけ。それに昨日の休みかって葬式に行って働いたやんけ」
 「そんなもん関係あるか、ボケ」
 っちゅう事、エレベーターを断念。階段をテクテクと2階まで上がる。なんせ、2階やし(笑)

 でも、我ながらオモロい。
 階段を使うか、エレベーターで2階まで行くかなんぞは「どっちでもエエ」のだが、階段を使わずにエレベーターを使う大義名分として「俺は○○をしたから」という心が出てくる。
 「俺は○○をしたから」まあ、非常によくある事であって、日常茶飯事なんだが。

 「私は○○をしたから」。当然、この○○の中には個人的事情が入っている。個人的事情しか入っていない。個人的事情は、あくまでも個人的事情であって、他人には直接関係がない。
 私が仮にどれだけある共同体の中で素晴らしい事をしたとしても、それはその共同体内部での話である。
 日本では『英霊』と戦前されていた兵隊さんも、違う共同体、日本が攻め込んだ共同体の人達にとっては『英霊』でもなんでもない。『英霊』が『英霊』として認識されるのは、同じ価値観を有しているからに他ならない。
 また、ある『社会的貢献』をした人達であっても、その仕事を『社会的貢献』と認めない人達には全く関係がない。
 「私は○○をしたから」と云う事で、特別扱いをしなければならない筋合いは一切ない。それが成り立つのは同じ価値観を共有する人達だけの間である。
 当然、「私は高貴な血筋である」なんぞも同じである。同じ価値観を共有する人の中でしかそんなものはエバれない。偉そうになんて出来るわけがない。
 その逆もある。「私は○○をできなかった」

 何か自慢出来る事柄や、あるいは苦労をかさにきての自慢なんぞで偉そうにして、当然、その逆の状態の時には卑下する。うろちょろ、うろちょうろ迷っているわけでんな。決して潔くなんかあるわけがない。自慢したり、卑下したりの毎日でしかない。
 しかし、それでも生きてたりする。潔くなくとも生きてたりする。

戦争の犠牲者

2008年10月12日 | 坊主の家計簿
 10月12日

 雑費  ココア       170円
     レンタル2     520円
 外食  かすうどん     580円
 食類  諸々        882円
     黒霧島      1580円
 
 合計           3732円
 10月累計       70570円

 レンタルは
 『サイン・オブ・ゴッド』
 『明日への遺言』

 今日もお休み♪
 だったはずなんだが、葬儀で休みが吹っ飛びました。
 昨日、今日と、なぜ土日に忙しいはずの坊さんが休めるかというと、非常に単純な話であって、「祭で身動きできまへん」っちゅう事である。
 そうなのである。わが泉州は、昨日、今日と『だんじり王国』へと変貌をして、っちゅうか、何時もなんだが、まあ、祭の本チャンやし。よって、道の多くは『だんじり専用道路』とかし、車なんぞで身動き出来ないし、御近所の人達もだんじり祭で忙しく、とてもとても仕事なんぞ出来る状態ではないのだ。
 だが、葬儀。しかも、葬儀会館の場所はだんじりメインストリートの真ん前であり、「どないせえ、っちゅうねん。。。」やったのだが、その道がメインなのは昨日の夕方までだったらしく、結構すんなりと会場に行ける。
 しかし、火葬場はそういうわけにはいかず、結構遠方の火葬場まで、しかも多くの道が『だんじり専用道路』となっているので、ちょい大変。

 っちゅう事で、休みにも関わらず働いたので、仕事が終わって帰宅後「ビデオ、ビデオ」と御近所レンタル屋に行く。
 んが、借りて来たDVDを見ようとしてたら「あ、今日は22時からNHKで竹中彰元の番組やる日やんけ」と予定変更でDVDを諦める。
 竹中彰元氏は「戦争は罪悪である」という言葉を残した人。戦時中に捕まった大谷派僧侶。夏の終わりに寺参りをして来たので、当然チェックである。ついでに録画する。
 この『戦争は罪悪である』という言葉に異議を称える仏教徒は今の時代では殆ど居ないであろう。

 アメリカが北朝鮮に対するテロ支援国指定を解除したらしい。平和への道である。喜ばしい限りのニュースである。
 だが、北朝鮮による拉致被害者の家族や、支援する人達や、あるいは国会議員の一部には評判が悪いのかも知れない。
 だが、戦争は罪悪である。それ以上でも、それ以下でもなく、戦争は罪悪である。
 当然、北朝鮮の拉致も罪悪である。だが、テロ支援国指定解除は平和への道ではないのか?その事を喜ばずしてどうするのだ?
 それともなにか?アメリカと一緒になって北朝鮮に対して攻め込み、北朝鮮をアフガニスタンやイラクの様にして、で、その中で拉致被害者を探すのか?多くの北朝鮮の人達の死骸を踏み分けながら探すのか?なにやら支援者の中には「北朝鮮に攻めにいけ」等という人達もおられるみたいだが、それって単なる戦争ではないのか?
 確かに大義名分はある。拉致被害者を救出する、という大義名分はあるが、それでも戦争は戦争でしかない。
 また、アメリカ、あるいは日本が経済的に追い込む事によって北朝鮮には食べるものがなくて亡くなられる方が多いという。
 で、日本のボンクラマスコミは北朝鮮に侵入取材なんぞをして、「ご覧下さい。北朝鮮国内にはこのように多くの方々が餓えておられます。軍部や幹部には食料が行き渡りますが、このような餓えに苦しみ人達もいるのです」なんぞとヌカす。
 で、「ご覧下さい、この子ども達を」なんぞと、ヒューマニズム馬鹿が泣き出しそうな子どもを使った映像を流す。
 え~。。。籠城中に軍部や幹部に優先的に食料を廻すのは戦争の常識なんだろうし、北朝鮮もそれをやっているにしか過ぎない。
 また、その籠城をしている国側が、籠城中の敵地で取材して「ご覧下さい。この惨状を」と、敵国の体制批判をするのは脳味噌が『敵国・北朝鮮』と云う事で腐っているに違いない。
 飢餓で餓え死ぬ人達が居ているのであれば、その原因の一つが『テロ支援国指定』でないのか?
 自国の人間さえよければ、敵国の人間はどうなっても構わない、というのは非常に解りやすく、つまり、残酷極まりない発想でもって、非常に解りやすいのだが、そんなものも罪悪にしか過ぎない。当り前である。
 敵は信じられない、のも当然である。何故なら『敵』だから(笑)理由は他にはない。単純に『敵』だから信じられないだけの話である。敵、つまり『鬼畜米英』という言葉が解りやすいように、鬼畜米英が単に鬼畜中朝に変わっただけの話である。きっと頭の中の北朝鮮には角が生えているに違いない。

 「やられたら、やりかえせ」というが、やり返すには力が居る。当り前の事なんだが。
 例えば中核と革マルの内ゲバでも力があったから内ゲバ出来たのだ。
 じゃあ、力のない人はどうすればいいのか?やられたらやりかえす力がなければ、どうしたらいいのか?仏教だけでなく、結構、宗教っちゅうもんは、そういう問いを大事にするもんだと思うが、でも、まあ、「やられたらやりかえせ!」が流行るのも解りやすい。人間なんだし。私なんぞ反射的に、肉体に染み付いているので、1やられたら10ぐらいで仕返ししてしまうが、そんなもんは罪悪でしかない。
 何かの大義名分、つまり『解放』なんぞというのがエエのだろうが、解放の為にどれだけ多くの犠牲を出せばエエのか?
 
 人間は、人間中心でしか物事なんぞを考える事は出来ない。どこまでいっても自己中心的でしかない。自己中心的な人間が『解放』という大義名分でもって、あるいは「拉致被害者を救出する為」に、なんぞという大義名分でもって、敵国の人達を経済的に追い込む、つまり兵糧攻めして殺している事を罪悪であると思わずに、その事を敵国政府のせいにしか出来ないのは、如何なものか。
 また、あるいは、『解放』という名目でもって、つまり、自分が好き勝手にしているにしか過ぎないにも関わらず、世界平和の為であるとかなんとかかんとか、あるいはエコだの、環境保護だのと、うんたらかんたら。
 地球環境が変わって困るのは自分なんだろうが。「北極の白クマが」って、毎日を繰り返しながら戯言をヌカすな。困るのは『私』であり、私中心の世界が、つまり、人間っちゅうもんが快適に生きれる為に必要な為のエコであったり、環境保護でしかない。故に「日本でもマラリアが。。。」なんぞとヌカしているのだろう。「日本でもマラリア原虫が生きれるような環境になりました。これは素晴らしい事です」なんぞという事は、まあ、あまり聞かない。聞かないのは単純に「自分(達)さえよければそれで構わない」からだ。
 そんなもんである。
 そんなもんでしかない。
 故に、北朝鮮のテロ支援国指定解除が問題になるのだ。

 正義。ああ、なんて甘美な響きか。。。
 当然、正義の味方に成りたがる。正義の味方になるには悪のショッカーが必要である。
 左翼なら右翼である(笑)あるいは体制か?(笑)
 まあ、なんでもエエのだが、正義で脳味噌が腐ろうが、そんなもんは『腐っている』にしか過ぎず、酔っぱらいにしか過ぎない。酔っぱらい、つまり、煩悩を抱えているのだ。罪悪深重、煩悩具足の凡夫にしか過ぎない。
 故に、「イラク人質事件の時の自己責任論は官邸から出て来た」なんぞというカルト的な妄想、つまり、オウム真理教の人達が「阪神大震災は米軍(CIAやったかな?)の陰謀である」と云うのと何ら変わりない妄想が出来る。
 そんなもんなのだ。
 やはり、なにか、自分(達)にとって都合のイイ妄想を膨らましてしまうもんだ。
 当然、その逆の『悪い妄想』も同じである。悪い妄想であっても、自分中心の妄想にしか過ぎない。
 他人を自分の眼でしか見れないわけだし、あ、この『自分の眼』っちゅうのは差別表現であるが、そんな事をごくごく自然に使ってしまうわけだ。しょせん、そんなもんにしか過ぎず、そんなもんでしかない。

 『やられたら、やりかえせ』の論理は、結局『やられたら、やりかえせ』が出来ない人達、つまり、『弱者』が困る。力をもった弱者ではない。徹底して力のない弱者である。歯向かう事すら出来ない弱者である。マイナス20℃の極寒の中、地下室に閉じ込められ、糞尿塗れの手で、憶えたての言葉で「神ちゃま」としか云えない幼子である。

 『狼は生きろ、豚は死ね』
 そんなのが実態でしかない。
 アメリカだろうが、日本だろうが、北朝鮮だろうが、平和活動家だろうが、何ら変わる事はない。
 アメリカによる、テロ支援国指定解除。素晴らしいではないか。戦争による被害者は、つまり、例えば横田さん達の悲しみは少ない方がイイに決まっている。ああいう悲しみを持たれた方を増やして行こうとするのは絶対におかしい。

皮を剥がせば血塗れ同士

2008年10月11日 | 坊主の家計簿
 10月11日

 雑費  交通費        540円?
     土産焼酎&水    2028円
     チーズバーガー    120円
 外食  ラーメン       690円

 合計            3378円
 10月累計        66838円

 休み♪
 なんだが、夕方より所属寺の報恩講に行く。当然、昼の部もあるのだが、「なんで久々の休みの日に朝から外出せなアカンねん」っちゅう事で行かない。日々の仕事なら体調が悪かろうが熱があろうが「仕事でっせ」っちゅう事で行くが、仕事でない以上は自由意志なので行きたくなければ行くわけがない。まあ、夕方からなら完璧に気分は「お休み♪」だし、報恩講なので行く。
 で、当然の事ながら真宗寺院なので夜は酒を飲み、っちゅうか、自分で買って行った焼酎を飲んで、結構、酔っぱらってまふ。
 
 で、帰宅してビックリ。
 なんと、なんと、フルハム三浦、ちゃうわ、三浦和義氏が自殺したらしい。当然、今現時点での報道であり、真相は解らないのだが。
 自殺、っちゅうのは、死であると同時に殺人でもある。え~。。。私は『心優しい教』に入信していないので『殺人』とも書く。
 ある意味、精神的な自然死でもあるのだろうが、やっぱり殺人でもある。
 三浦氏が自殺であったのかどうかは解らないが、現時点報道されている段階ではそうなのかも知れない。
 だが、自殺であろうが、他殺であろうが、死には変わりはない。人間は死ぬ存在であり、殺す側にもやはり何らかの悲しい事情があり、何かに追いつめられた事情があり、そして殺すのだろう。

 『殺す』と云う事を他人事にする。簡単である。「殺したのは私ではない」と。当然、私ではないのだが、でも、一緒に生きているのではないのか?この世に、一緒に生きているのではないのか?当然、それが故に殺すのはおかしいし、殺されるのはイヤに決まっているのだが、だからといって『殺した人』を他人事にして、「悪いヤツ」、あるいは自殺した人を「弱いヤツ」と決めつけるだけで終わらせるのもどうなのだろうか?

 あえて、問題を『自分を殺す』だけに絞る。いや、結局、同じなんだが、都合の悪い存在は殺すのだ。
 裏にあるのは、裏側の幻想は何?何を目指しているのか?
 何を目指した上での幻想なのか?何を目指した上での『夢』なのか?

 当然、夢も幻想もなくなるわけがない。

 世の中には様々な意見の人達が居る。当然である。60億人の人達が居れば、60億の考え方がある。
 その中で私の考え方がある。違って当然である。
 んが、その違いを「いや~、そうでんな」なら、違いが違いにならない。なり得るわけがない。当り前である。違う意見に賛同しているわけなんだから。
 例えば、ある限定された条件なんだろうが、原爆の話がある。人間がおこした最大の大量虐殺の話でもあるのだが、違う見方をすれば日本が植民地支配していた人達の解放の為でもある。
 だが、『解放』という大義名分によって、人類が殺人を犯して来た、つまり日本が朝鮮半島を『解放』という名目によって虐殺をしてきたのと同じく、原爆によって虐殺されただけの話である。
 見方が違えば『解放』なんだろうが、その解放とは虐殺である。その解放を純粋に喜ぶのは、日本が植民地下で虐殺という解放をしたのと何ら変わりがない。

 最近の流行は『自虐史観』とでもいうのだろうが、別に日本だけが虐殺をしたわけでもない。当り前である。それが『戦争』なんだから。
 「日本軍はそんなに酷い事をしていない」
 っちゅうのは、自分がキレイな存在に居たいだけの話なんだろうし、その逆に、
 「日本だけが酷い事をした」
 っちゅうのも同じである。
 
 「私って、こんなに悪い子」
 「私って、こんなによゐこ」
 も変わらん。
 決して、等身大ではない。

 よゐこも、悪い子もない。人間は人間なのだ。
 縁、っちゅうか、その場のその人であるのなら、間違いなく虐殺もしてしまうのが人間なのだ。
 『同じ人間』とよくいうが、『同じ人間』なら、東條英機氏だろうが、宅間氏であろうが、マザーテレサであろうが、『同じ人間』でしかないのだ。

 虐殺を肯定するのは、植民地支配から解放された人達も、植民地した人達も何ら変わる事がない。
 それが人間でしかない。
 それが、悲しい、非常に悲しい、人間でしかない。
 「自分さえよければイイ」
 「自分(達)さえよければイイ」
 と、あくまでも、自分中心の考え方中心にしか他ならない。
 当然、自分中心の考え方なんぞなくなるわけがない。
 いや、無くすのは簡単である。自分を殺せばイイ。他人の考え方に合わす事によって自分を殺せばイイ。

 自分を殺し、相手を殺しているのが、『都合』であり、わがままでしかない。当然、そんな事はなくなるわけもない。煩悩がなくなるわけもない。
 都合が悪ければ相手や、自分を殺してしまうのが人間である。

 でも、それが人間同士でんがな。
 誰も裁く事は出来ない人間同士でんなが。

欲ボケ

2008年10月10日 | 坊主の家計簿
 10月10日

 外食  ちゃんぽんセット     700円
 食類  諸々           781円
     有機ワイン        598円
 雑費  原チャリ保険     14070円
     レンタル         280円

 合計             16429円
 10月累計          63460円

 ぬぉぉぉぉぉ。。。しんどいやんけ。。。なんせ、え~と、俺は何時から休みなしで働いて居るのだ?まあ、一ヶ月は経ってないけどやなぁ、さすがにしんどいぞ。なんせ、休みの予定の日に限って葬儀が入り、当然、仕事だから呼ばれたら行くのだが、やっぱししんどい、っちゅうねん。
 とは云え、前の寺は、今の寺の倍忙しく、で、そういう状況下の中で40日ぐらい連続で働いた事もあるから、しかも『盆』というクソ忙しい時期込みで40日ぐらい連続で働いてたんだから、これはひとえに、今の寺で楽させて貰って居るから、体と気分が怠けているんだろう。気合入れんかい!労働者の誇りを持て!

 っちゅう事で、労働者の誇りである。
 ん?なんか、書こうと思てた事と全然違う方向に向かっているのだが、まあ、毎度の事である。しかし、え~。。。今日のレンタルDVDは『エリザベス:ゴールデン・エイジ』でした。騎馬武者が見たかったから借りたのでイマイチ。

 で、労働者の誇りである。
 何やら世間では『勝ち組』『負け組』なんぞという差別的な偏見が横行しているらしい。馬鹿者!貴様らは労働者の誇りを忘れたのか!
 と、意味なく怒る。
 いや、でんな、今日も株価が暴落したらしい。
 ちなみに『株』とは最早博打である。証券なんぞも博打である。銀行がやろうが、証券会社がやろうが、株が「おお、エエ仕事してまんがな。兄ちゃんにもちょっと投資させてもらおか」ではなく、投機になって「この会社の株価が値上がりせへんかなぁ。。。」は、単なる博打である。
 博打をする人を博徒という。まあ、ヤクザもんである。
 つまり、自分が持っている株価が暴落した事で騒いでいる人はヤクザもんである。背中に入れ墨もなければ、一定の社会的地位なんぞも持っているのだろうが、ヤクザもんである事には変わりがない。『丁』か『半』かのサイコロを振る変わりに、鉄火場に出入りする変わりに、株や『金融商品』なんぞというもんに手を出しているだけの話である。
 今日もテレビニュースで株価が下がった事を嘆いておられる上品そうな方がおられたが、んなもん、ヤクザが丁半賭博で下手こいた事と一切変わらない。
 あるいは「信頼していた銀行なのに。。。」なんぞと云い、銀行等から『金融商品』を買っていた人も同じである。

 博徒の博打により株価が大変な事になっている。「資本主義の崩壊」と、ある人は云っていたが、そうなのかも知れない。なんせ世界中の博徒が扱う金は『京』の単位である。そんな金なんぞ世界中にあるわけがない。6京とか、7京とか、わけの解らん数字が博徒達が動かす鉄火場での金であり、そんなもんに替えれるものはない。全く実態のない架空の金が鉄火場で動いて居る。
 しかし、何やら世界は、そのヤクザもんが動かす、いや、本当のヤクザさんに対して悪い表現なので『金星人』とでも呼んでおくが、いや、ホンマに金星に人がいたら、「一緒にするな!」と云われそうなので、え~。。。投機家とか、相場師とでもいうのか?
 とにかく、『金で金を産む。』っちゅうわけの解らん、事でもって金を稼いでいる人達が多く居られ、その人達によって『経済』っちゅうもんが爆発してしまい、爆発してしまう、つまり欲の爆発にみんなが乗ってしまっている現状があるのだろう。

 しかし、人間っちゅうもんは、ホンマにオモロイのぉ。。。と思う。私にはタマタマそういう縁がなかったから相場師にはなっていないが、相場師になっていたら同じ事を当然やっていただろう。『金で金を産む』っちゅう事を『当り前』としていたのだろう。今も現実にそういう人達が居られるのだし。居られる限りは私がそういう人であっても不思議はない。タマタマ縁がなかっただけの話である。
 で、そういうマネーゲームの影響は一番弱い所に出てくるのだろうし、派遣労働なんぞの仕事も減って行くのだろう。全くマネーゲームなんぞをしてなくとも、やはり、『世界経済』っちゅうもんの、『資本主義』っちゅうもんの社会に生きているわけだし。その影響は、社会の歪みは一番弱い所にやって来る。
 なんでやねん。。。なんで来なアカンねん。。。
 なんだが、そういう社会の仕組みなんだろう。

 『勝ち組』『負け組』という資本主義バリバリの発想方法では、当然、『負け組』とは『金がない人』である。そして、やはり金のある巨人が優勝しやがった。。。なにが『伝説』じゃ。脳味噌腐りやがって。金で核兵器を集めまくっただけの話やろうが。
 あ、愚痴が。。。

 金が中心で、金、つまり、欲を満たす事が豊かな人生であって、つまり、思い通りに生きれる事が豊かな人生であるが故に『勝ち組』ちゅう言葉があるのだろう。
 多分、こんな時代であっても、金儲けの上手な人は『勝ち組』のマンマで居てられるのだろうが、今よりも多くの『負け組』が出てくるのだろう。
 で、なんで資本主義バリバリの価値観に自分が従わなければならないのだろうか?
 「ああ、俺は負け組や。。。」と、なんで資本主義に魂まで奪われなければならないのか?
 それぞれの信仰は、資本主義に劣るのか?
 っちゅうか、信仰が『資本主義教』なのかも知れないが。それが故に『勝ち組』『負け組』なんだろうが。

 『負け組』とは、あくまでも資本主義教での言葉である。そんな宗教なんぞ辞めてしまえばエエ。
 また、『負け組』が社会の隅でコソコソと生きて行かなければならない筋合いもない。「私は負け組ですから。。。」なんぞと思う必要もない。思ってしまった事を契機として、「ああ、俺は骨の髄まで資本主義に犯されとるのぉ。。。」と気づき、そこから堂々と生きればイイ。
 同じ『負け組』に対して偏見を持つ事なく、『勝ち組』にも偏見を持つ事なく、つまり『負け組こそが素晴らしい!』なんぞという資本主義ベッタリの発想でなく、なにか一つの価値観に縛られ、そういう価値観の中で生きている現実を見据え、そこから、あらゆる価値観、偏見から解放される道を選べばエエ。
 また、『勝ち組』でエバって居る人達にエバられたら、え~。。。『エバられる』とは解らんか、偉そうにされたら、「貴様に偉そうにされる筋合いはない。自分で死ぬか、南港か関空かどっちか選べ」。。。ちゃう!まあ、「脳味噌腐ってるのと違うか?」ぐらいの『悪い言葉』は吐いてしまうが、まあ、偉そうにされる筋合いはないし。

負の遺産

2008年10月09日 | 坊主の家計簿
 10月9日

 諸々  回転寿司うどん      340円
     居酒屋         6060円

 合計              6400円
 10月累計          47031円

【「ここの土地は草木に至るまで少し赤色を帯び、ちょうど血に染まったようである。その地を履む者は、棘に刺されたように感じる。疑う者も信じる者も悲愴な気持ちにならないものはない」】(玄奘『大唐西域記』より 但し引用はNHK出版『ブッタ大いなる旅路3 P40『ガンダーラ 血に染まった土地』より)

 当然の事、その大地を血に染めたのは私(達)の欲望でしかない。つまり、「私さえよければそれでイイ」という事でしかない。つまり、私(達)の毎日、日頃の、日常生活そのものでしかない。

 生きると云う事は殺す事である。生活の裏には死殺がある。毎日、毎日、わけの解らん大量虐殺を日々繰り返しているのが私(達)の実態にしか過ぎない。戦争はその極地である。いや、日常の私(達)の生活を非常に解りやすく問うて来る事柄である。

 根津茂先輩が本を出した。
 『20世紀世界の「負の遺産」を旅してー戦争の惨禍から見えてきたもの』(明石書店)
 http://www.bk1.jp/product/03050717

 人間は戦争をする存在である。当り前である。毎日の限りを尽くしているではないか?
 「今日は天気が良いから布団を干そう」と、大量のダニを殺すのが私(達)ではないのか?
 ダニを殺すのも、人間を殺すのも、同じ生命を奪い殺す事には全く差がない。「ある」という人は単に優生思想に、進化論に脳味噌が犯されているだけの話である。
 しかし、残念ながら、差別主義者が実態である。故に対等になんぞ見れない。
 だが、『同じ人間』である、という事なら少しは違って来る。
 『同じ人間』でありながら、様々な大義名分をつけ、戦争をしてする。
 いかなる大義名分があろうが、はでしかない。人間に食べられる為に生まれ育った牛は居ない。居るわけがない。居るというのなら、それは単に大義名分、あるいは様々な妄想の思想によって自分を誤摩化して居るにしか過ぎない。

 『負の遺産』は、人間を、人間たらしめる為に、見つめなければならない事である。
 人間が、人間として生きて行くチャンスである。
 私が私として生きて行く、つまり、『都合のイイ私』だけを引き受けるのでなく、『どんな私(達)であっても』のチャンスである。
 誰も『敵』になんか出来ない、絶対平等への道である。

『20世紀世界の「負の遺産」を旅してー戦争の惨禍から見えてきたもの』
 
 は、お勧めする。まだ読んでいないが、根津先輩の日頃の言動から、そんなもんは解り切った事である。

 っちゅう事で、御近所の根津先輩と飲んでました。
 う~。。。酔うたぞ、今日も。

水からの伝言

2008年10月08日 | 坊主の家計簿
 10月8日

 雑費  ココア         157円
 食類  かしわ         238円
     しろな         118円

 合計              513円
 10月累計         40631円

 思うのだが、巨人は子どもの教育に良くないのではないのか?たとえ、学校やPTAで何を云われても、「所詮世の中カネやんけ。カネ持ってるもんが強いんやろ」とでんな。非常に教育に良くない。巨人がある世の中だからギャンブラーが支配する世の中になり、そのギャンブラーの気分で株価が暴落したり、あるいはガソリンが一時期よりは安くなったとは云え、それでも原油価格は1バレル50ドルをまだ切らない。影響で運輸関係の仕事をして居られる方々は大変な生活に追い込まれ、証券なんぞのギャンブルとは無縁のはずの漁師の生活に影響を与えている。その全ては巨人が悪いのだ。巨人が金を使って選手を漁って来るからこんな社会になるのだ。
 よって、読売グループに教育を語る資格はない。教育を語るのであれば、まずは巨人から小笠原を阪神に与え、グライシンガーを阪神に与え、え~。。。後は要らんか。とりあえずその両選手を阪神に与えてから教育に関して意見を述べるべきである。それでないと読売グループが何を意見しようが、何を報道しようが、「世の中はカネを持っている人間が強く、何をしても構わず、そして嘘をつく」という事を伝えているにしか過ぎない。そういう教育でしかない。

 そういう読売グループの関西ローカル番組で、少し興味がある特集をやっていた。
 何やら『水からの伝言』という画期的な学術写真集が出ているらしい。何やら容器に『ありがとう』等という良い言葉を紙に書いて張ると、キレイな結晶(つまり氷)ができ、『ばかやろう』等という悪い言葉を書いて結晶を作ると汚い結晶が出来るらしい。
 素晴らしい。。。これはノーベル賞候補ではないのか?これでノーベル賞を取れなければノーベル賞は嘘っぱちである。残念ながら岡田監督の『勝利の方程式』は今年度の受賞を見送られたみたいだが、『水からの伝言』は受賞間違いないだろう。
 ホンマやったらの話なんだが(笑)

 しゃて、我が街大阪は喪に服している。まあ、これから挑戦者の立場になった阪神に期待するしかないのだが、直接対決で連続して負けるとは。。。
 きっと、今頃大阪の飲み屋では「岡田のボケ」であるとか、「死ね!」であるとか、そういう罵詈雑言が飛び交っている事であろう。
 っちゅうか、別に大阪の人間、っちゅうか、大阪にもお上品な人は居てるのだろうし、そういう人達はきっとお上品な言葉を使うのだろうが、基本の言葉は『悪い言葉』である。「アホ」「ボケ」「カス」「殺すぞ」「死ね」は日常用語であり、大阪は『悪い言葉』で満ちあふれている。
 っちゅうか、全国でも下町っちゅうのは、そんな『悪い言葉』で満ちあふれている気がするのだが。

 人間の体の7割は水分で出来ているのから、何やら『水からの伝言』によると『悪い言葉』を使うと人間の体に影響を与えてしまうから、使ってはイケナイらしい。即ち、大阪人の多くは『悪い言葉』でもって生きている生活環境であるし、多くの下町住人も同じであろう。よって、大阪人の多くや全国の下町住人は最早『悪い影響』を受けた人達と云う事になる。

 んが、まあ、この『水からの伝言』っちゅう本は単なるニューエイジの人達だけに出回る本であれば別に問題はない。一般書店で売られていても何ら問題はない。
 元々『ニューエイジ』なんぞは『ニューエイジ』っちゅう言葉が示す通りに差別的な優生思想なんだし、自覚的なニューエイジでなくとも『波動』とかが好きな人、つまり健康バンザイ!ハイル・ヒットラー!の人達が好んで読もうが、「好きにしとけや」なんだが、何やら『水からの伝言』を小学校で使っている所もあるらしい。
 当然、教科書に載せて、理科系の時間に使う事は当然の事出来ないだろうが、道徳や総合学習の時間に『水からの伝言』をテキストとして使っている所があるらしい。
 素晴らしい。。。人を平気で差別しても構わないような思想を小学校の道徳の時間で教えるとは。。。「さすがは義務教育!」と言いたくもなるのだが、やっぱしカスである。「ばかやろう」とは大阪では使わないが、「このボケ!」であり、「このファシスト!」である。つまり『悪い言葉』を連発しまくり状態でんな(笑)
 
 ちなみに仏教にも『愛語よく回天の力あることを学すべきなり』という言葉がある。道元やったかな?道元がどっかから引用してたら知らん。つまり『水からの伝言』で云われているらしい『良い言葉』に対しては私も別に否定的ではない。んが、それが『体に影響を与える』なんぞと云われると話が別である。主に『悪い言葉』を使っている私にとっては大問題である。
 そして、それが小学校という義務教育の場で使っている所があるのは、修身の教科書を使うよりも、心のノートを使うよりも遥かに怖い。結晶を眼で見せるわけだし。健康ブームにはピッタリ過ぎる。

 『水からの伝言』を好きな人が学校で使ったと思うのだが、まず人間的な弱さ、脆さを感じる。『無痛文明』という言葉があるが、それの典型である。
 当然、弱さ、脆さは誰しもが兼ね備えている事だろうが、それを自分の問題とせずに周囲の環境のせいにする。よって『悪い言葉』を排除するのだろう。
 先にも触れたが、『悪い言葉』は、現実に『悪い言葉』を使っている人達がいる。「岡田!なにしとるねん、お前なんかさっさと辞めるか、さっさと死ね!」っちゅう阪神ファンの愛のある言葉の優しさが全く理解出来ていない。
 まあ、とあるインテリ先生が書いた文章でこういうのがある。

【無免許で単車を乗り回しては事故をおこして罰金を出して、それでも学校に居つかんちゅうのがおって、それに対して部落研の生徒が、「お前、今度単車に乗ったらしばき上げんぞ!」と、こう言うわけです。こういう言葉にこめられている、ほんとうの人間の温かさというものが、実は、なかなか感じとれないんです。】(河田光夫『親鸞と被差別民衆』より)
 
 と、まあ、とあるインテリ先生が書いた文章があるが、『水からの伝言』を紹介する人達は、当然の事、こういう事を感じられない『冷たい人』であると私は決めつけてしまう。
 同時に、非常に差別的である。基本は『健康』ではないのか?人間的価値観の中の『良い言葉』『悪い言葉』であり、人間的価値観の中の、つまり『狼は生きろ、豚は死ね』という価値観が基本にある中での健康思想、優生思想でないのか?

 「あそこは『悪い言葉』で満ちているから、行くのを辞めとこう。」
 「あの人は『悪い言葉』を使っているから、付き合うのを辞めておこう。」

 これのどこが道徳教育なんだろうか?
 っちゅうか、夜回り先生がモテ囃される時代だから、当然なのか(笑)

 悪い言葉を使う人も当然生きている。
 『悪い人間』とレッテルを貼られる人達も当然、生きている。
 それ等の価値判断を下すのは偏見でしかなく、その偏見を肯定し、かつ、それが事実ならノーベル賞間違いなしの大発見というワケの解らん事でもって『キレイな結晶』『汚い結晶』なんぞと視覚に訴える事は、単なる優生思想ではないのか?
 と、悪い結晶だらけの私は思う。

 ニュ-エイジとは、まあ、『新しい時代』なんだろう。その新しい時代が、古くからの考え方を持った『同じ人間』に対しての偏見を持ち、まあ、「遅れている」だの、「目覚めていない」なんぞの差別的な思想があるのなら、その『新しい時代』とは、優生思想という悪魔の思想が支配する社会であり、当然の事、今よりも最悪な『新しい時代』にしか過ぎない。

 人間の本質は優生思想べったりであり、差別と偏見しかない、と私は思う。そういう人間がやる事なのだ。
 それなら『新しい時代』ではなく、そういう人間に還る作業が必要ではないのか?
 人間は人間でしかない。人間以上でもないし、人間以下でもない。
 『古い時代の人達』も、『新しい時代の人達』も、人間は人間でしかない。当然、人間が人間である以上、誰が優れていて、誰が劣っている、なんぞというのは偏見でしかない。そんなもんを決めれる立場が誰にあるというのだ?
 
 水を氷の結晶にして『キレイな結晶』『汚い結晶』なんぞと決めつけるのでなく、水は水として、海に還って、同じ水になればエエやんけ。

欲望の街

2008年10月07日 | 坊主の家計簿
 10月7日

 食類  唐揚げ弁当        575円
     豆腐            98円
     無添加ワイン       398円
     20世紀梨        100円
     胡椒・ワサビ等5     460円
     モモの充実野菜3     598円
     ハチミツ茶6       228円
     野菜ジュース3      564円

 合計              3017円
 10月累計          40118円

 御近所名物の唐揚げ弁当が575円に値上がりしてやがった。。。っちゅうか、無難な値段になった、っちゅうか、これでもまだ安いのかも知らんが。。。なんせ、どデカイ唐揚げが4個も入っていて、かつ、メシも大盛りやしのぉ。。。でも、最初が450円+消費税だったので、ちょっとショック。
 天下一品ラーメンも、唐揚げ弁当も値上げなんだが、日経平均株価、っちゅうやつは下がったらしい。何やら久々に1万円を切ったらしい。それがどれだけ深刻な事なのか解らんぐらいには経済に疎い。

 今日も夕寝して、起きて「阪神、阪神」とテレビをつけたらやってなかった。何やら雨で中止だったらしい。っちゅうか、どの放送局でやっているのか知らんかったし、試合があっても放送されてたかどうか知らんのだが。。。
 テレビで『なんでも鑑定団』をやってた。

 「この茶碗は古備前でして、鑑定価格は5千万円です」
 っちゅう、茶碗があったとして、でも、そんなもんは5千万円で買う人が居てるから5千万円であって、5千万円の価値が無くなっても茶碗は茶碗である。
 なんだが、どうやら世の中はそんなに甘く出来てないらしく、株価が下がる事によってワケの解らん混乱を生じているらしい。さっきニュースでチラッと見たのだが、何やら『リーマンショック』とかの影響で、どっかのテナントビルがダメになって、そこに入っているテナントの人達が大変らしい。
 あるいは、銀行の『貸し渋り』っちゅうヤツで、大変な混乱が起こる可能性があるらしい。

 【地に足のついてない者を幽霊と呼ぶ】
 やったけな?そんな言葉を某寺の掲示板で見たことがある。
 茶碗は茶碗であり、その茶碗に対して5千万円の評価をする人達が居るが故に、その茶碗は5千万円の価値があるのだろうが、5千万円の価値が無くなっても、お茶は飲める。
 んが、この経済の混乱は、そんな甘い話をしている場合ではなく、仕事を失う人達も出て来ている。ひょっとして、これから増々増えて行くのかも知れない。

 私は5千万円の茶碗でお茶を飲んだ事はない。数千万円の価値があるらしい茶碗等は見た事があるが、飲んだ事はない。5千万円の茶碗で飲むお茶の美味しさは知らない。
 でも、「単なるお茶やんけ」と、ツッコミたくなる。
 当然、5千万円の茶碗に入れるお茶なんだから、高級な茶葉を入れるのだろう。きっと、かなり美味しいお茶なのかも知れない。でも、「お茶やんけ!」とツッコミたくなる。
 100円ショップで売っている茶碗に、100円ショップで売っている茶葉を入れても『お茶』である事には変わりはない。回転寿司でも『寿司』であり、行った事はないが、値段が書いていない高級寿司屋の寿司でも『同じ寿司』でしかない。

 とは言うものの、やっぱしエエ暮らしはしたい。
 昨日、最近タマに会うようになったバーテンの師匠にタンガクラブでタマタマ会って、私がグレンリベット12年っちゅう酒を飲んでたら、「お!リベットやんけ」と云われた。
 ちなみにタンガクラブでは私は酒を持ち込んで飲んでいるのでリベットでも原価の2300円で1本買って来て飲んでいるわけだが、まあ、バーで飲むとワンショット1000円ぐらいか。800円なら「安い!」と言うだろう。
 多少の言い訳も入っているのだが、やっぱし、美味い酒は美味いし。出来ればタンガクラブでも、メインバーであるドグラマグラでボトルキープしているスプリングバンクを飲みたいのだが、これは原価でも5000円近くするので「ちょっと高いのぉ。。。」と云う事で断念している。

 とはいうものの、ドグラマグラで飲むスプリングバンクも、タンガクラブで飲むグレンリベットも、実は味はそんなに気になっていないのかも知れない。最初の一口目は「美味いのぉ。。。」だろうが、後はひたすら『ダベっている』のであって、純粋に酒を味わっているわけではない。「酔っぱらえたらエエやん」でしかない。普段、一人暮らしのせいもあるのだろうが、やっぱし、ダベりながら飲む酒は美味いもんだ。

 『無所帰孤独』っちゅう仏教用語がある。「帰る所がなく孤独である。」っちゅう意味。
 厳密には『我今無所帰 孤独無同伴』(我、今帰する所なく孤独にして同伴なし)である。
 ダベっていると、酒の味なんぞ気にならない。高い酒だろうが、安い酒だろうが、あまり気にならない。

 贅沢はしたい。やっぱりしたい。美味しいものは食べたいし、まあ、私さえよければイイ、である。
 世界経済、っちゅうもんが、どういうもんで動いて居るのかは、よう解らん。博打で動いて居る金は『京』っちゅうワケの解らん単位である。そんな中で、こつこつと家計簿を付けている人間が何かを出来るとも思えん。金融不安とか、世界恐慌なんぞがこれから私の生活にどれだけの影響を与えるのかもよく解らん。
 ただ、その影響で最早失業した人達が居られる。
 「明日は我が身」と言いたい気分もあるが、実感はない。他人事でしかない。それは『死』が死ぬまで他人事であるのと同じである。
 でも、やっぱし、イヤだし、おかしい。『おかしい』としか言えないが、やっぱしおかしい。
 その『おかしい』は、やっぱし、私の日頃の生活、私の欲と同じなんだろうと思う。
 私は、タマタマ才能がなく、よって、エエ暮らしは出来ない。398円の無添加ワインを飲み、1580円の芋焼酎を飲みつつ書いているにしか過ぎない。が、それも欲であり、欲である限りは、タマタマ才能があり、金を稼げれば原価で数十万円のワインを飲みつつ書いているかも知れない。
 100円ショップで買った茶碗でなく、5千万円の茶碗でお茶を飲んでいるかも知れない。欲がある事には変わりはない。
 【地に足のついてない者を幽霊と呼ぶ】
 私も幽霊にしか過ぎない。
 私の欲が、リーマンショックで失業せざるおえない人達を産み出しているにしか過ぎない。

 価値。
 一つの茶碗が5千万円の価値があったとしても、茶碗は茶碗でしかない。
 どんな偉大な仕事を成し遂げようとも、どんな贅沢な生活をしようとも、人は人である事には変わりはない。
 人の価値を決めつける、あるいは『憧れる』。逆は『差別する』。そんな娑婆ベッタリの欲望の世界に私は生きているわけだし、恐らく博打で『億』あるいは『兆』単位の金を動かしている人達も同じだと思う。

 タイトルを『欲望の街』に決定。
 「狼は生きろ、豚は死ね!」のキャッチコピーの映画『白昼の死角』の主題歌らしい。

 単に土をこねた茶碗が5千万円の価値を産み出す。100円ショップでも茶碗は売っているにも関わらず。
 でも、っちゅうか、だからこそ、誰も敵になんか出来ない。私も同じでしかない。
 誰かが、例えば私が健康であり、博打で世界経済を動かし、年収数十億の人達が病気であるとなんぞは言えるわけがない。
 っちゅうか、『言えるわけがない』という事は、そういう風に『思っている』わけだし、やっぱし、それも差別であり、欲望でしかない。誰かの上に立ちたい、っちゅう欲望でしかない。健康病の『狼は生きろ、豚は死ね!』でしかない。

 価値観なんぞ幻想でしかない。誰かが決めたものでしかない。5千万円の茶碗の価値が下がっても茶碗は茶碗でしかない。100円ショップで売っている茶碗と同じで『茶碗』でしかない。

 あかん、酔うたし寝よ。

浄土スクール

2008年10月06日 | 坊主の家計簿
 10月6日

 食類  穴きゅう            100円
     豆腐              120円
     するめ             105円
 雑費  タンガクラブビール       500円
     タンガクラブ会費2ヶ月分  10000円
     くうげ            1300円
 外食  天下一品            600円

 合計                12725円
 10月累計             37101円

 なんか、家計簿つけてたら、昨日2日分まとめてつけた金額が無茶苦茶やんけ。。。14万ナンボって、何をトチ狂って書き込み、それに気づかんっちゅうのはアカンのぉ。。。まあ、「疲れてま~す!」っちゅうヤツでんな。
 今日は帰りに100円割引券を持ってたので天下一品こってりラーメンを食べて来たから大丈夫であろう。。。

 あ、今日はタンガクラブのサポーター会議、っちゅうやつでんな。結構、お酒も頂き、昨夜に比べると飲酒量は今日の方が多いのだが、睡眠不足ではないので大丈夫だと思う。よって、明日にチェックするが、長文の引用を打ってみる事にする。実験、実験と。

【極楽世界はまた「浄土」といわれます。「安楽国」「安養国」「楽邦」ともいいます。
 それは、そこに行けば必ず友だちがいる、苦しみや悩みを聞いて一緒に悲しみ悩み、そこから解放される道に出会えるからです。
 だから、ある意味では理想的な学校であり病院であるといってよいと思います。
 釈尊の教団(僧伽)は、はじめ釈尊を囲む私塾のようなものでした。やがて、カーストによる差別や支配からの束縛から自由になり、道を求めようとする人びとの学校になっていきました。そして、身と心の病である煩悩を治療し、知の病である邪見を癒し、安楽、安らぎをを与え、いのちへの共感を培う病院でもありました。そういうはたらきがあるので、寺を道場とか精舎、ビハーラと呼ぶのです。
 その学校や病院で身と心と知の病が癒されたならば、また社会に復帰して、いろいろな人びとと関わりをもち、出会いつづけてゆく、疲れたらまたそこに行って安らぎを得る。そういう往きつ、還りつする運動をする場、生きる場、それこそが極楽浄土なのです。】(戸次公正『阿弥陀経が聞こえてくる~いのちの原風景~』より)

 ちゃんと打ち込めたかなぁ。。。

健康病

2008年10月05日 | 坊主の家計簿
 10月5日

 外食  ラーメン       304円
 雑費  エスカップ12    628円

 合計             932円
 10月累計        24376円

 何やらコントのM-1みたいなのをやってて少し見る。優勝したらしいバッファロー吾郎の市毛良枝発言にハマる。んが、睡魔に負けて、テレビを付けっぱなし状態で少し寝る。

 っちゅう事で、今日も仕事以外はボケ~っとしてまふ。

 『健康病』っちゅう言葉を思いつく。
 
 まあ、人間も獣であり、よって当然の事、強い者が生き残る社会なんだろうし、健康でならなければならないのだろう。
 メタボは不健康であり、『狼は生きろ、豚は死ね』の獣社会では「メタボは死ね」なんだろう。つまり「メタボという状態は健康でないので治さなければならない対象」なんだろう。

 日本にも『サンカ』と呼ばれる人達が居た。定住民ではない。定住の農耕民ではない。よって蔑視される。
 その蔑視の流れは、現在、ホームレスの人達なんぞに当てはめられる。当然の事、「私さえよければイイ」「私の家族さえよければイイ」と云う事でもって、その他の人達を切り捨てる偏見はおかしいが、『ホームレス=不幸』っちゅうレッテルも偏見でしかない。
 これも『健康病』なんだろう。

 健康病。『より良い状態を目指す』。
 当然、『より良い』とは『強者』である。
 不健康の人は健康にならなければならず、アル中は酒を辞めなければならない。秋山好古という優れた軍人はアル中だったらしいのだが、今なら大問題なんだろう。ただ『アル中である』という事だけで。
 健康病の人は云うのだろう。アル中の秋山好古に対して「何か辛い事があったの?私が癒してあげようか?」なんぞと。まあ、コントのセリフとしては面白いのだが、そういうコントみたいなセリフを大真面目に語る人達も居てるから面白い。

 健康病。
 「健康でなければダメ!」っちゅうヤツでんな。
 肉体的にも、精神的にも「健康でならなければいけない!」と。『狼は生きろ、豚は死ね』の世界。
 私はそういう人達を決して健康とは思えない。よって『健康病』というレッテルを貼る事にした。
 単なる優生思想やんけ。

 で、別に優生思想はナチスの専売特許ではなく、今日の日本でも溢れかえっている。
 健康病の患者さんは、きっと前世での悪業の祟りか、背後霊が悪いからであって。。。なんぞと言い出すと危険極まりないのだが、別に特別な事でなく、単に苦しいのはイヤだし、死ぬのもイヤ、っちゅう、誰にもある事。
 キライな言葉で「優しいとは優れている事」っちゅうのがある。故に、健康病の重度の患者さんは「ああ、優しくなければ優れた人になれない。。。」という病状が出ているわけであって、別に健康病自体は何ら珍しい病気でもなんでもない。

 人は差別が好きなのだ。『狼は生きろ、豚は死ね』なのだ。
 『強くなりたい』だの、『優しくなりたい』だの、『健康になりたい』だの、と。私なんぞ毎日栄養ドリンクを飲んでるぞ。不健康な生活をしているが故に、健康には人一倍気を使って、サプリメントだけでなく、青汁や、栄養ドリンクを飲んで『勝ち残ろう』と毎日、毎日、アクセク、アクセクでっせ。
 で、「ボケ~」と、実は出来ていない。当り前である。
 「ボケ~」っとしてたら勝ち残れないではないか。毎日を有意義に、健康的に、活動的に、「隊長!本日のノルマ、達成しました!」と、でんな。それが出来ないから自分を責めたりする。
 んが、その『責める尺度』ってなんや?なんで責められんとアカンねん、っちゅう話でもある。
 そんな尺度なんぞない。『世間』という単なる幻想にしか過ぎない。

 健康病。優生思想は、娑婆そのもの。『狼は生きろ、豚は死ね』の獣社会そのまんま。

 

違うからこそ素晴らしい

2008年10月04日 | 坊主の家計簿
 10月4日

 食類  オリーブオイル      198円
     もやし           45円
     豚肉           261円
     豆腐(数日前)      120円
 外食  たぬき          280円
     ラーメン         690円
 雑費  交通費          530円
     回数券(数日前)    3700円

 合計              5824円
 10月累計          23444円

 所属寺の仏青みたいなもん。
 ん?そういや、このブログって、誰が読んでいるのかよく解らんから、『仏青』っちゅう言葉も怪しいのぉ。。。
 『仏青』とは『仏教青年会』の事である。と思う。っちゅうか、そのはず。
 40で仏教青年会もクソもない気がするし、また、正式名称も『仏青』ではないので、よって『仏青みたいなもん』っちゅう事で。
 また、特にテキストなんぞを使っての学習会ではなく、一人一人がそれぞれの近況を述べる、つまり「私を表現する」っちゅう場なので、『仏青みたいなもん』っちゅう事で。

 『十人十色』とは当り前の事なんだが、そうでない事の方が多い。十人居れば、十の意見があって当然なんだが、そうでない事の方が多い。
 当り前である。学校教育は『十人十色』はない。教師が何を語ろうが、やはり「作者の意図はどこにあったのでしょうか?」なんぞという問題には、ちゃんとした『答え』っちゅうもんがあり、そういう『答え』に慣れ親しみ、よって『答え的』な事を自分の意見として語ってしまう。
 曰く、『御上』や、マスコミや、まあ、なんでもエエ。その場での強者の意見でもエエ。そんなもんを『答え』として持つ。そういうもんに合わせる。
 『合わせる』だけなのだ。自分が選んだ事ではない。我慢大会みたいなもんで、「俺が我慢してるにも関わらず、なんでお前が我慢できひんねん」みたいなもんであって、そういう感じで『合わせる』。
 世辺り上手の、生きるのが下手。
 別に納得したり、あるいは自分が選んだ事、つまり全責任は自分にある事なら幾らでも合わせればエエのだろうが、「まあ、御上が云ってるし」っちゅうのは勿体ない。
 世間にウケる、ウケないなんぞ関係なく、自分の意見は自分の意見なんだろうし、せっかく産まれて来て生きているんだから、他人と違おうが、『答え』とは違おうがなんだろうが、批判を買おうがなんだろうが、「これが私だ!」っちゅうのは大事やと思う。

 自分で判断せずに、意見を『合わそうとする』のは、単なるカルトである。

シートベルト

2008年10月02日 | 坊主の家計簿
 10月2日

 諸々  肉          284円
     ペット水等     1116円
     薬局         920円
     ぶっかけうどん    280円
     酒2        3500円
     するめ        105円
     タンガクラブビール  500円
     ドグラマグラ    2400円
     タクシー      5220円

 合計           14325円
 10月累計        16425円

 タンガクラブ→ドグラマグラという毎度のコース。
 ドグラマグラで、ダベってたらすっかり深夜。っちゅう事でタクシーで帰宅。
 ワンコイン・タクシーに乗り込んで、「あ、そやそや。シートベルトや」っちゅう事で、後部座席でシートベルト着用。体が落ち着く。ので、そのまま爆睡。っちゅうか、目的地ではあっさりと起きたのだが、それでもシートベルトしてると寝やすいのぉ。。。