坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

2008年10月17日 | 坊主の家計簿
 10月17日

 雑費 エスカップ12        628円
 外食 長崎ちゃんぽんセット     920円!
    和風きつねラーメン      280円
    担々麺            680円

 合計               2508円
 10月累計           83098円

 一昨日、スーパー深酒をして、昨日は二日酔いに酒を押し込む。まあ、しんどいわな(笑)
 今日はタンガクラブで会議(?)だったので、お出かけ。んが、3連ちゃんになるので終電前に帰宅。

 帰宅して、ネットで本の『大人買い』。
 ああ、魅惑の大人買い。。。恐るべしクレジットカード。請求は来なくてエエぞ。年金みたいに間違って呉れてもエエぞ。送るだけ送って、クレジットカードの請求は要らんから。
 というわけにはいかんのだろうが。。。

 少し前にも古本の大人買いをした。あ!クレジットカード以外の郵便振込の分の家計簿書いてないやんけ。え~。。。今度にしよ。
 前回の大人買いは、『西元宗助』っちゅう人の本。念仏者であり、教育者であり、解放運動の人でもある。少し勉強しとかんとアカンのでネットで大人買い。
 ただ、根津氏の本を先に読んでいるので、いまだに一冊も読んでいないのだが。。。

 今日は、『高史明』っちゅう人の本を大人買いする。
 その他に、恩師に借りてノートしながら丁寧に読み込んだのだが、学生時代で金がなくて買えなかった藤場先生の本も大人買いする。え~。。。藤場先生の本は新品なので、え~。。。クレジットカードの請求が怖い。。。

 本。何じゃかんじゃで今まで結構読んで来たのだが、最近は『求め方』が足らん、っちゅう気がする。なんちゅうんですか?法話を聞くにしても、本を読むにしても、キリキリした感情で、それこそ『救いを求める』っちゅう感じが薄らいで来た。寝転がって読んでても、「おお!」と思わず身を起こしてしまうような言葉との出会い。
 言葉は変わらず、ある。だが、それを求める側、つまり私の側が「救われてしまった」のだろう。それこそ、和田先生が、「解った瞬間に眼がトロンとして来よるんですよ」と、私たち『僧侶』の方を向いて語られていたが、見事にそういう感じやなぁ。。。
 解ったから、解った事でもって斬り裁く。

 先日、ある先輩と『個人』っちゅう事について議論していたのだが、専修学院ではよく「個人になっとらんか?」と問われた。つまり「共に生きようとしているのか?」と。「変わらず『自分さえよければ構わない』という生活になっとらんか?」と。
 問われ続ける事。

 大人買いした本、つまり西元宗助氏の本も、高史明氏の本も、正直な話、仕事の延長みたいな事があったから大人買いをした。
 両氏の本を大人買いして読むのも、レポートを書く為みたいなものである。レポートを書く『資料』みたいなものである。それを仕事、まあ、純粋な金銭がらみの仕事ではないが、それでも仕事的な意味合い、つまり、純粋に「救われたい」という、何かの言葉との出会いを求めて買った本ではない。本屋で真剣に言葉との出会い、一冊の本との出会いを求めて買ったわけではない。
 つまり、両氏が書かれた、あるいは講義録で書かれ、何かを伝えようとした、その大切な肝腎要の部分を私は殺している。無視している。
 仕事や知的好奇心なんぞの事柄で、両氏が伝えようとしている『念仏』を殺している。冒涜している。
 だから、読もう。

【「私はいかにも喜んでいるかのような、ありがたそうな、世界一の信者のような顔をする、そればかりか、自分でも本当にそう思ったりすることのある、恥ずかしいもの」】(西元宗助氏『念仏に生かされて』より)

 こういう言葉を残して下さる人達の本を読もう。
 娑婆だし、仕事からみで出会った両氏であるが、でも、大切な先生、本当の意味での『先を生きる方々』として、読もう。