坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

欲ボケ

2008年10月10日 | 坊主の家計簿
 10月10日

 外食  ちゃんぽんセット     700円
 食類  諸々           781円
     有機ワイン        598円
 雑費  原チャリ保険     14070円
     レンタル         280円

 合計             16429円
 10月累計          63460円

 ぬぉぉぉぉぉ。。。しんどいやんけ。。。なんせ、え~と、俺は何時から休みなしで働いて居るのだ?まあ、一ヶ月は経ってないけどやなぁ、さすがにしんどいぞ。なんせ、休みの予定の日に限って葬儀が入り、当然、仕事だから呼ばれたら行くのだが、やっぱししんどい、っちゅうねん。
 とは云え、前の寺は、今の寺の倍忙しく、で、そういう状況下の中で40日ぐらい連続で働いた事もあるから、しかも『盆』というクソ忙しい時期込みで40日ぐらい連続で働いてたんだから、これはひとえに、今の寺で楽させて貰って居るから、体と気分が怠けているんだろう。気合入れんかい!労働者の誇りを持て!

 っちゅう事で、労働者の誇りである。
 ん?なんか、書こうと思てた事と全然違う方向に向かっているのだが、まあ、毎度の事である。しかし、え~。。。今日のレンタルDVDは『エリザベス:ゴールデン・エイジ』でした。騎馬武者が見たかったから借りたのでイマイチ。

 で、労働者の誇りである。
 何やら世間では『勝ち組』『負け組』なんぞという差別的な偏見が横行しているらしい。馬鹿者!貴様らは労働者の誇りを忘れたのか!
 と、意味なく怒る。
 いや、でんな、今日も株価が暴落したらしい。
 ちなみに『株』とは最早博打である。証券なんぞも博打である。銀行がやろうが、証券会社がやろうが、株が「おお、エエ仕事してまんがな。兄ちゃんにもちょっと投資させてもらおか」ではなく、投機になって「この会社の株価が値上がりせへんかなぁ。。。」は、単なる博打である。
 博打をする人を博徒という。まあ、ヤクザもんである。
 つまり、自分が持っている株価が暴落した事で騒いでいる人はヤクザもんである。背中に入れ墨もなければ、一定の社会的地位なんぞも持っているのだろうが、ヤクザもんである事には変わりがない。『丁』か『半』かのサイコロを振る変わりに、鉄火場に出入りする変わりに、株や『金融商品』なんぞというもんに手を出しているだけの話である。
 今日もテレビニュースで株価が下がった事を嘆いておられる上品そうな方がおられたが、んなもん、ヤクザが丁半賭博で下手こいた事と一切変わらない。
 あるいは「信頼していた銀行なのに。。。」なんぞと云い、銀行等から『金融商品』を買っていた人も同じである。

 博徒の博打により株価が大変な事になっている。「資本主義の崩壊」と、ある人は云っていたが、そうなのかも知れない。なんせ世界中の博徒が扱う金は『京』の単位である。そんな金なんぞ世界中にあるわけがない。6京とか、7京とか、わけの解らん数字が博徒達が動かす鉄火場での金であり、そんなもんに替えれるものはない。全く実態のない架空の金が鉄火場で動いて居る。
 しかし、何やら世界は、そのヤクザもんが動かす、いや、本当のヤクザさんに対して悪い表現なので『金星人』とでも呼んでおくが、いや、ホンマに金星に人がいたら、「一緒にするな!」と云われそうなので、え~。。。投機家とか、相場師とでもいうのか?
 とにかく、『金で金を産む。』っちゅうわけの解らん、事でもって金を稼いでいる人達が多く居られ、その人達によって『経済』っちゅうもんが爆発してしまい、爆発してしまう、つまり欲の爆発にみんなが乗ってしまっている現状があるのだろう。

 しかし、人間っちゅうもんは、ホンマにオモロイのぉ。。。と思う。私にはタマタマそういう縁がなかったから相場師にはなっていないが、相場師になっていたら同じ事を当然やっていただろう。『金で金を産む』っちゅう事を『当り前』としていたのだろう。今も現実にそういう人達が居られるのだし。居られる限りは私がそういう人であっても不思議はない。タマタマ縁がなかっただけの話である。
 で、そういうマネーゲームの影響は一番弱い所に出てくるのだろうし、派遣労働なんぞの仕事も減って行くのだろう。全くマネーゲームなんぞをしてなくとも、やはり、『世界経済』っちゅうもんの、『資本主義』っちゅうもんの社会に生きているわけだし。その影響は、社会の歪みは一番弱い所にやって来る。
 なんでやねん。。。なんで来なアカンねん。。。
 なんだが、そういう社会の仕組みなんだろう。

 『勝ち組』『負け組』という資本主義バリバリの発想方法では、当然、『負け組』とは『金がない人』である。そして、やはり金のある巨人が優勝しやがった。。。なにが『伝説』じゃ。脳味噌腐りやがって。金で核兵器を集めまくっただけの話やろうが。
 あ、愚痴が。。。

 金が中心で、金、つまり、欲を満たす事が豊かな人生であって、つまり、思い通りに生きれる事が豊かな人生であるが故に『勝ち組』ちゅう言葉があるのだろう。
 多分、こんな時代であっても、金儲けの上手な人は『勝ち組』のマンマで居てられるのだろうが、今よりも多くの『負け組』が出てくるのだろう。
 で、なんで資本主義バリバリの価値観に自分が従わなければならないのだろうか?
 「ああ、俺は負け組や。。。」と、なんで資本主義に魂まで奪われなければならないのか?
 それぞれの信仰は、資本主義に劣るのか?
 っちゅうか、信仰が『資本主義教』なのかも知れないが。それが故に『勝ち組』『負け組』なんだろうが。

 『負け組』とは、あくまでも資本主義教での言葉である。そんな宗教なんぞ辞めてしまえばエエ。
 また、『負け組』が社会の隅でコソコソと生きて行かなければならない筋合いもない。「私は負け組ですから。。。」なんぞと思う必要もない。思ってしまった事を契機として、「ああ、俺は骨の髄まで資本主義に犯されとるのぉ。。。」と気づき、そこから堂々と生きればイイ。
 同じ『負け組』に対して偏見を持つ事なく、『勝ち組』にも偏見を持つ事なく、つまり『負け組こそが素晴らしい!』なんぞという資本主義ベッタリの発想でなく、なにか一つの価値観に縛られ、そういう価値観の中で生きている現実を見据え、そこから、あらゆる価値観、偏見から解放される道を選べばエエ。
 また、『勝ち組』でエバって居る人達にエバられたら、え~。。。『エバられる』とは解らんか、偉そうにされたら、「貴様に偉そうにされる筋合いはない。自分で死ぬか、南港か関空かどっちか選べ」。。。ちゃう!まあ、「脳味噌腐ってるのと違うか?」ぐらいの『悪い言葉』は吐いてしまうが、まあ、偉そうにされる筋合いはないし。