坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

水からの伝言

2008年10月08日 | 坊主の家計簿
 10月8日

 雑費  ココア         157円
 食類  かしわ         238円
     しろな         118円

 合計              513円
 10月累計         40631円

 思うのだが、巨人は子どもの教育に良くないのではないのか?たとえ、学校やPTAで何を云われても、「所詮世の中カネやんけ。カネ持ってるもんが強いんやろ」とでんな。非常に教育に良くない。巨人がある世の中だからギャンブラーが支配する世の中になり、そのギャンブラーの気分で株価が暴落したり、あるいはガソリンが一時期よりは安くなったとは云え、それでも原油価格は1バレル50ドルをまだ切らない。影響で運輸関係の仕事をして居られる方々は大変な生活に追い込まれ、証券なんぞのギャンブルとは無縁のはずの漁師の生活に影響を与えている。その全ては巨人が悪いのだ。巨人が金を使って選手を漁って来るからこんな社会になるのだ。
 よって、読売グループに教育を語る資格はない。教育を語るのであれば、まずは巨人から小笠原を阪神に与え、グライシンガーを阪神に与え、え~。。。後は要らんか。とりあえずその両選手を阪神に与えてから教育に関して意見を述べるべきである。それでないと読売グループが何を意見しようが、何を報道しようが、「世の中はカネを持っている人間が強く、何をしても構わず、そして嘘をつく」という事を伝えているにしか過ぎない。そういう教育でしかない。

 そういう読売グループの関西ローカル番組で、少し興味がある特集をやっていた。
 何やら『水からの伝言』という画期的な学術写真集が出ているらしい。何やら容器に『ありがとう』等という良い言葉を紙に書いて張ると、キレイな結晶(つまり氷)ができ、『ばかやろう』等という悪い言葉を書いて結晶を作ると汚い結晶が出来るらしい。
 素晴らしい。。。これはノーベル賞候補ではないのか?これでノーベル賞を取れなければノーベル賞は嘘っぱちである。残念ながら岡田監督の『勝利の方程式』は今年度の受賞を見送られたみたいだが、『水からの伝言』は受賞間違いないだろう。
 ホンマやったらの話なんだが(笑)

 しゃて、我が街大阪は喪に服している。まあ、これから挑戦者の立場になった阪神に期待するしかないのだが、直接対決で連続して負けるとは。。。
 きっと、今頃大阪の飲み屋では「岡田のボケ」であるとか、「死ね!」であるとか、そういう罵詈雑言が飛び交っている事であろう。
 っちゅうか、別に大阪の人間、っちゅうか、大阪にもお上品な人は居てるのだろうし、そういう人達はきっとお上品な言葉を使うのだろうが、基本の言葉は『悪い言葉』である。「アホ」「ボケ」「カス」「殺すぞ」「死ね」は日常用語であり、大阪は『悪い言葉』で満ちあふれている。
 っちゅうか、全国でも下町っちゅうのは、そんな『悪い言葉』で満ちあふれている気がするのだが。

 人間の体の7割は水分で出来ているのから、何やら『水からの伝言』によると『悪い言葉』を使うと人間の体に影響を与えてしまうから、使ってはイケナイらしい。即ち、大阪人の多くは『悪い言葉』でもって生きている生活環境であるし、多くの下町住人も同じであろう。よって、大阪人の多くや全国の下町住人は最早『悪い影響』を受けた人達と云う事になる。

 んが、まあ、この『水からの伝言』っちゅう本は単なるニューエイジの人達だけに出回る本であれば別に問題はない。一般書店で売られていても何ら問題はない。
 元々『ニューエイジ』なんぞは『ニューエイジ』っちゅう言葉が示す通りに差別的な優生思想なんだし、自覚的なニューエイジでなくとも『波動』とかが好きな人、つまり健康バンザイ!ハイル・ヒットラー!の人達が好んで読もうが、「好きにしとけや」なんだが、何やら『水からの伝言』を小学校で使っている所もあるらしい。
 当然、教科書に載せて、理科系の時間に使う事は当然の事出来ないだろうが、道徳や総合学習の時間に『水からの伝言』をテキストとして使っている所があるらしい。
 素晴らしい。。。人を平気で差別しても構わないような思想を小学校の道徳の時間で教えるとは。。。「さすがは義務教育!」と言いたくもなるのだが、やっぱしカスである。「ばかやろう」とは大阪では使わないが、「このボケ!」であり、「このファシスト!」である。つまり『悪い言葉』を連発しまくり状態でんな(笑)
 
 ちなみに仏教にも『愛語よく回天の力あることを学すべきなり』という言葉がある。道元やったかな?道元がどっかから引用してたら知らん。つまり『水からの伝言』で云われているらしい『良い言葉』に対しては私も別に否定的ではない。んが、それが『体に影響を与える』なんぞと云われると話が別である。主に『悪い言葉』を使っている私にとっては大問題である。
 そして、それが小学校という義務教育の場で使っている所があるのは、修身の教科書を使うよりも、心のノートを使うよりも遥かに怖い。結晶を眼で見せるわけだし。健康ブームにはピッタリ過ぎる。

 『水からの伝言』を好きな人が学校で使ったと思うのだが、まず人間的な弱さ、脆さを感じる。『無痛文明』という言葉があるが、それの典型である。
 当然、弱さ、脆さは誰しもが兼ね備えている事だろうが、それを自分の問題とせずに周囲の環境のせいにする。よって『悪い言葉』を排除するのだろう。
 先にも触れたが、『悪い言葉』は、現実に『悪い言葉』を使っている人達がいる。「岡田!なにしとるねん、お前なんかさっさと辞めるか、さっさと死ね!」っちゅう阪神ファンの愛のある言葉の優しさが全く理解出来ていない。
 まあ、とあるインテリ先生が書いた文章でこういうのがある。

【無免許で単車を乗り回しては事故をおこして罰金を出して、それでも学校に居つかんちゅうのがおって、それに対して部落研の生徒が、「お前、今度単車に乗ったらしばき上げんぞ!」と、こう言うわけです。こういう言葉にこめられている、ほんとうの人間の温かさというものが、実は、なかなか感じとれないんです。】(河田光夫『親鸞と被差別民衆』より)
 
 と、まあ、とあるインテリ先生が書いた文章があるが、『水からの伝言』を紹介する人達は、当然の事、こういう事を感じられない『冷たい人』であると私は決めつけてしまう。
 同時に、非常に差別的である。基本は『健康』ではないのか?人間的価値観の中の『良い言葉』『悪い言葉』であり、人間的価値観の中の、つまり『狼は生きろ、豚は死ね』という価値観が基本にある中での健康思想、優生思想でないのか?

 「あそこは『悪い言葉』で満ちているから、行くのを辞めとこう。」
 「あの人は『悪い言葉』を使っているから、付き合うのを辞めておこう。」

 これのどこが道徳教育なんだろうか?
 っちゅうか、夜回り先生がモテ囃される時代だから、当然なのか(笑)

 悪い言葉を使う人も当然生きている。
 『悪い人間』とレッテルを貼られる人達も当然、生きている。
 それ等の価値判断を下すのは偏見でしかなく、その偏見を肯定し、かつ、それが事実ならノーベル賞間違いなしの大発見というワケの解らん事でもって『キレイな結晶』『汚い結晶』なんぞと視覚に訴える事は、単なる優生思想ではないのか?
 と、悪い結晶だらけの私は思う。

 ニュ-エイジとは、まあ、『新しい時代』なんだろう。その新しい時代が、古くからの考え方を持った『同じ人間』に対しての偏見を持ち、まあ、「遅れている」だの、「目覚めていない」なんぞの差別的な思想があるのなら、その『新しい時代』とは、優生思想という悪魔の思想が支配する社会であり、当然の事、今よりも最悪な『新しい時代』にしか過ぎない。

 人間の本質は優生思想べったりであり、差別と偏見しかない、と私は思う。そういう人間がやる事なのだ。
 それなら『新しい時代』ではなく、そういう人間に還る作業が必要ではないのか?
 人間は人間でしかない。人間以上でもないし、人間以下でもない。
 『古い時代の人達』も、『新しい時代の人達』も、人間は人間でしかない。当然、人間が人間である以上、誰が優れていて、誰が劣っている、なんぞというのは偏見でしかない。そんなもんを決めれる立場が誰にあるというのだ?
 
 水を氷の結晶にして『キレイな結晶』『汚い結晶』なんぞと決めつけるのでなく、水は水として、海に還って、同じ水になればエエやんけ。