坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

「○○したから」

2008年10月13日 | 坊主の家計簿
 10月13日

 1円も使ってません。

 10月累計       70570円

 お昼前から法事だったのだが(休日だったのね、今日って)、舌が回らん。
 しかも、微熱の時にタンマになるのだが、舌の奥が少し腫れているのか、舌が奥歯に当ってうっとうしい。かつ、仕事が終わって「サロンパス、サロンパス」で、若干楽になったが肩が張って張って大変でっせ。
 っちゅう事で、今日はお部屋でマッタリと。っちゅうか、「今日も」なんだが。

 昨日借りて来て見れなかったDVDを見て過ごす。

 『サイン・オブ・ゴッド』
 イエスのビデオ映像の話。タイムスリップしてイエスの姿をビデオカメラに収めて来た事に関する映画なんだが、宗教観の違いを見せつけられる。まあ、『キリスト教』といっても、一概に決めつける事は出来ないのだろうが。。。
 
 『明日への遺言』
 御近所レンタル屋の『蒼井優コーナー』にあったから借りたのだが、非常に残念ながら蒼井優ちゃんはワンシーンしか出て来ない。
 何やら戦犯で絞首刑になった岡田資氏が主人公らしいのだが、なんか、『潔さ』みたいなものがこの映画にも一貫して流れている。

 法事が終わって、最後の御参り先へ、自転車でチャリチャリと。
 御参り先はマンションの2階。丁度エレベーターも1階に来てたのでスイッチオン。扉が開く。
 心の格闘。
 「2階ぐらいまで歩け。電気が勿体ないやんけ」
 「何を云うてるねん。法事の後やし、自転車でここまで来たんやし、別にええやんけ。それに昨日の休みかって葬式に行って働いたやんけ」
 「そんなもん関係あるか、ボケ」
 っちゅう事、エレベーターを断念。階段をテクテクと2階まで上がる。なんせ、2階やし(笑)

 でも、我ながらオモロい。
 階段を使うか、エレベーターで2階まで行くかなんぞは「どっちでもエエ」のだが、階段を使わずにエレベーターを使う大義名分として「俺は○○をしたから」という心が出てくる。
 「俺は○○をしたから」まあ、非常によくある事であって、日常茶飯事なんだが。

 「私は○○をしたから」。当然、この○○の中には個人的事情が入っている。個人的事情しか入っていない。個人的事情は、あくまでも個人的事情であって、他人には直接関係がない。
 私が仮にどれだけある共同体の中で素晴らしい事をしたとしても、それはその共同体内部での話である。
 日本では『英霊』と戦前されていた兵隊さんも、違う共同体、日本が攻め込んだ共同体の人達にとっては『英霊』でもなんでもない。『英霊』が『英霊』として認識されるのは、同じ価値観を有しているからに他ならない。
 また、ある『社会的貢献』をした人達であっても、その仕事を『社会的貢献』と認めない人達には全く関係がない。
 「私は○○をしたから」と云う事で、特別扱いをしなければならない筋合いは一切ない。それが成り立つのは同じ価値観を共有する人達だけの間である。
 当然、「私は高貴な血筋である」なんぞも同じである。同じ価値観を共有する人の中でしかそんなものはエバれない。偉そうになんて出来るわけがない。
 その逆もある。「私は○○をできなかった」

 何か自慢出来る事柄や、あるいは苦労をかさにきての自慢なんぞで偉そうにして、当然、その逆の状態の時には卑下する。うろちょろ、うろちょうろ迷っているわけでんな。決して潔くなんかあるわけがない。自慢したり、卑下したりの毎日でしかない。
 しかし、それでも生きてたりする。潔くなくとも生きてたりする。