坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

欲望の街

2008年10月07日 | 坊主の家計簿
 10月7日

 食類  唐揚げ弁当        575円
     豆腐            98円
     無添加ワイン       398円
     20世紀梨        100円
     胡椒・ワサビ等5     460円
     モモの充実野菜3     598円
     ハチミツ茶6       228円
     野菜ジュース3      564円

 合計              3017円
 10月累計          40118円

 御近所名物の唐揚げ弁当が575円に値上がりしてやがった。。。っちゅうか、無難な値段になった、っちゅうか、これでもまだ安いのかも知らんが。。。なんせ、どデカイ唐揚げが4個も入っていて、かつ、メシも大盛りやしのぉ。。。でも、最初が450円+消費税だったので、ちょっとショック。
 天下一品ラーメンも、唐揚げ弁当も値上げなんだが、日経平均株価、っちゅうやつは下がったらしい。何やら久々に1万円を切ったらしい。それがどれだけ深刻な事なのか解らんぐらいには経済に疎い。

 今日も夕寝して、起きて「阪神、阪神」とテレビをつけたらやってなかった。何やら雨で中止だったらしい。っちゅうか、どの放送局でやっているのか知らんかったし、試合があっても放送されてたかどうか知らんのだが。。。
 テレビで『なんでも鑑定団』をやってた。

 「この茶碗は古備前でして、鑑定価格は5千万円です」
 っちゅう、茶碗があったとして、でも、そんなもんは5千万円で買う人が居てるから5千万円であって、5千万円の価値が無くなっても茶碗は茶碗である。
 なんだが、どうやら世の中はそんなに甘く出来てないらしく、株価が下がる事によってワケの解らん混乱を生じているらしい。さっきニュースでチラッと見たのだが、何やら『リーマンショック』とかの影響で、どっかのテナントビルがダメになって、そこに入っているテナントの人達が大変らしい。
 あるいは、銀行の『貸し渋り』っちゅうヤツで、大変な混乱が起こる可能性があるらしい。

 【地に足のついてない者を幽霊と呼ぶ】
 やったけな?そんな言葉を某寺の掲示板で見たことがある。
 茶碗は茶碗であり、その茶碗に対して5千万円の評価をする人達が居るが故に、その茶碗は5千万円の価値があるのだろうが、5千万円の価値が無くなっても、お茶は飲める。
 んが、この経済の混乱は、そんな甘い話をしている場合ではなく、仕事を失う人達も出て来ている。ひょっとして、これから増々増えて行くのかも知れない。

 私は5千万円の茶碗でお茶を飲んだ事はない。数千万円の価値があるらしい茶碗等は見た事があるが、飲んだ事はない。5千万円の茶碗で飲むお茶の美味しさは知らない。
 でも、「単なるお茶やんけ」と、ツッコミたくなる。
 当然、5千万円の茶碗に入れるお茶なんだから、高級な茶葉を入れるのだろう。きっと、かなり美味しいお茶なのかも知れない。でも、「お茶やんけ!」とツッコミたくなる。
 100円ショップで売っている茶碗に、100円ショップで売っている茶葉を入れても『お茶』である事には変わりはない。回転寿司でも『寿司』であり、行った事はないが、値段が書いていない高級寿司屋の寿司でも『同じ寿司』でしかない。

 とは言うものの、やっぱしエエ暮らしはしたい。
 昨日、最近タマに会うようになったバーテンの師匠にタンガクラブでタマタマ会って、私がグレンリベット12年っちゅう酒を飲んでたら、「お!リベットやんけ」と云われた。
 ちなみにタンガクラブでは私は酒を持ち込んで飲んでいるのでリベットでも原価の2300円で1本買って来て飲んでいるわけだが、まあ、バーで飲むとワンショット1000円ぐらいか。800円なら「安い!」と言うだろう。
 多少の言い訳も入っているのだが、やっぱし、美味い酒は美味いし。出来ればタンガクラブでも、メインバーであるドグラマグラでボトルキープしているスプリングバンクを飲みたいのだが、これは原価でも5000円近くするので「ちょっと高いのぉ。。。」と云う事で断念している。

 とはいうものの、ドグラマグラで飲むスプリングバンクも、タンガクラブで飲むグレンリベットも、実は味はそんなに気になっていないのかも知れない。最初の一口目は「美味いのぉ。。。」だろうが、後はひたすら『ダベっている』のであって、純粋に酒を味わっているわけではない。「酔っぱらえたらエエやん」でしかない。普段、一人暮らしのせいもあるのだろうが、やっぱし、ダベりながら飲む酒は美味いもんだ。

 『無所帰孤独』っちゅう仏教用語がある。「帰る所がなく孤独である。」っちゅう意味。
 厳密には『我今無所帰 孤独無同伴』(我、今帰する所なく孤独にして同伴なし)である。
 ダベっていると、酒の味なんぞ気にならない。高い酒だろうが、安い酒だろうが、あまり気にならない。

 贅沢はしたい。やっぱりしたい。美味しいものは食べたいし、まあ、私さえよければイイ、である。
 世界経済、っちゅうもんが、どういうもんで動いて居るのかは、よう解らん。博打で動いて居る金は『京』っちゅうワケの解らん単位である。そんな中で、こつこつと家計簿を付けている人間が何かを出来るとも思えん。金融不安とか、世界恐慌なんぞがこれから私の生活にどれだけの影響を与えるのかもよく解らん。
 ただ、その影響で最早失業した人達が居られる。
 「明日は我が身」と言いたい気分もあるが、実感はない。他人事でしかない。それは『死』が死ぬまで他人事であるのと同じである。
 でも、やっぱし、イヤだし、おかしい。『おかしい』としか言えないが、やっぱしおかしい。
 その『おかしい』は、やっぱし、私の日頃の生活、私の欲と同じなんだろうと思う。
 私は、タマタマ才能がなく、よって、エエ暮らしは出来ない。398円の無添加ワインを飲み、1580円の芋焼酎を飲みつつ書いているにしか過ぎない。が、それも欲であり、欲である限りは、タマタマ才能があり、金を稼げれば原価で数十万円のワインを飲みつつ書いているかも知れない。
 100円ショップで買った茶碗でなく、5千万円の茶碗でお茶を飲んでいるかも知れない。欲がある事には変わりはない。
 【地に足のついてない者を幽霊と呼ぶ】
 私も幽霊にしか過ぎない。
 私の欲が、リーマンショックで失業せざるおえない人達を産み出しているにしか過ぎない。

 価値。
 一つの茶碗が5千万円の価値があったとしても、茶碗は茶碗でしかない。
 どんな偉大な仕事を成し遂げようとも、どんな贅沢な生活をしようとも、人は人である事には変わりはない。
 人の価値を決めつける、あるいは『憧れる』。逆は『差別する』。そんな娑婆ベッタリの欲望の世界に私は生きているわけだし、恐らく博打で『億』あるいは『兆』単位の金を動かしている人達も同じだと思う。

 タイトルを『欲望の街』に決定。
 「狼は生きろ、豚は死ね!」のキャッチコピーの映画『白昼の死角』の主題歌らしい。

 単に土をこねた茶碗が5千万円の価値を産み出す。100円ショップでも茶碗は売っているにも関わらず。
 でも、っちゅうか、だからこそ、誰も敵になんか出来ない。私も同じでしかない。
 誰かが、例えば私が健康であり、博打で世界経済を動かし、年収数十億の人達が病気であるとなんぞは言えるわけがない。
 っちゅうか、『言えるわけがない』という事は、そういう風に『思っている』わけだし、やっぱし、それも差別であり、欲望でしかない。誰かの上に立ちたい、っちゅう欲望でしかない。健康病の『狼は生きろ、豚は死ね!』でしかない。

 価値観なんぞ幻想でしかない。誰かが決めたものでしかない。5千万円の茶碗の価値が下がっても茶碗は茶碗でしかない。100円ショップで売っている茶碗と同じで『茶碗』でしかない。

 あかん、酔うたし寝よ。