3月25日
雑費 缶コーヒー 120円
タバコ 300円
御土産 生しば漬け 630円
食類 発泡酒 178円
ポテトサラダ 63円
菜の花からし和え 114円
豚ミンチ 100円
合計 1505円
3月累計 68282円
お寺から団体参拝で、真宗本廟(東本願寺)へ。修復工事現場視察。っちゅうか、土曜は工事してないのね。
ヘルメットを被らされる。『東本願寺』のロゴ入り。
「こ、これは、団体参拝とは嘘であって、実はこれから工事現場に転がっている鉄パイプと、使えない屋根瓦を叩き割ったヤツで武装してデモでも行くんですかい!」
どうせなら『大谷派』と書いて貰いたかった。やっぱりヘルメットには『○○派』でっせ。
修復現場は凄かった。さすがに世界最大級の木造建築物の修復現場で、木も凄いし、洗った瓦もでかかったし重かったが、それよりも何よりも工事現場がデカイ。『ラチェット』『たんかん』『ビティー』等の言葉に弱い私は、「ここまでのもんは維新派にも作れんで。。。」と、工事用の屋根にも感動。夜とかに、修復中の屋根にもスポットライトを当てつつ、あの工事現場内でライブとか芝居をやったらエエのに。
修復現場視察を終えて、メシ喰って&酒飲んで、岡崎別院へ。ここには我が母校の専修学院がある。しかも別科時代の一年間は岡崎別院に住んでたわけだし、懐かしく、感動。ついでに、私の原点である専修学院の食堂前でタバコを吸う。ついでに食堂内を覗いたが、さすがに入るのは辞めた。出来たら厨房に入ってみたかったのだが。。。
で、北山別院→大安へ。お土産物。まあ、『お土産物』なんだが、私にとっては別科時代の想い出でもあり、「ああ、大安の漬け物が高かったから、よう漬け物作ったなぁ~」と。まあ、でも、大安の生しば漬けは美味かったのでゲット。ついでに試食三昧。おっちゃん、おばちゃんらは大量に漬け物ゲットしている中、「ああ、この漬け物は、あいつがよく使ってたなぁ~」とかと、みょうな感動。
帰って来て、スーパーで惣菜買ってプラス、パスタでメシ。
で、課題をやる。
浄土論註は面白い。。。別科時代はそんなに感じなかったのだが、今読み返すと無茶苦茶面白い。
【何等の世界にも 仏法功徳宝なからんには
我願わくは皆往生して 仏法を示すこと仏の如くせん
仏はもと、どうしてこの願いを起こされたかというと、ある意思の弱い菩薩を見られるのに、ただ仏がまします国土で修行することばかりを楽って、(無仏の国に仏道をおこそうとするような)堅い慈悲の心がない。
だから願いを興され、私が仏となるときは、我が国土の菩薩は皆、慈悲の心が勇猛でしっかりしており、自ら願って清浄の国土をすて、他方国土の仏法僧ましまさぬ処に至って、仏法僧の三宝を永遠にたもって失わしめず荘厳し、それを人々に示すこと、あたかも仏がましますごとくにして、仏法の種をいたるところに(まいて)絶やさないようにしよう、と願われたのである。】(解読浄土論註巻上より)
北山別院で貰った『共にあゆむ VOL.60 ささえあう世界をめざして』という本願寺派(西本願寺)パンフレット(?)の中にこんな言葉が載ってあった。
【現在我が教団を見ると、ろう者の聞法の場は限られています。すべての人の平等を説いてるはずの仏教ですが、ろう者の社会参加という面では一般社会から大きく遅れをとっていると言わざるを得ません。】
大谷派の今の門首さんは、確か殆ど耳が聞こえなかったはず。別に「門首が。。。」と云う問題でもないが、契機には成りやすい事も確かだ。
共同作業所時代に手話を習おうと思っていたのだが、それ以前に仕事が忙しい。。。パン職人にはパン屋の本分があるし、その他の事でやっている余裕なんぞなかった。今もそれ程余裕があるわけでもない。んが、関心だけは忘れずに持っておきたい。
「あ~、今日も御文書くか。」
「上人。。。」
「なんじゃ?」
「それって、聖道の慈悲と違いますん?」
「。。。。。お前、大丈夫か?」
そういや、今日はスーツを着て行った。これは専修学院時代の躾けなんだが。。。
何の時だっただろうか?別科時代にイラク戦争が始まった。で、その直後ぐらいに何かで本山に学院生全員で参拝した時にある先生が
「今、親鸞聖人はここには居らずにイラクに行ってるかも解りませんね。」
とかと、語っておられた。
雑費 缶コーヒー 120円
タバコ 300円
御土産 生しば漬け 630円
食類 発泡酒 178円
ポテトサラダ 63円
菜の花からし和え 114円
豚ミンチ 100円
合計 1505円
3月累計 68282円
お寺から団体参拝で、真宗本廟(東本願寺)へ。修復工事現場視察。っちゅうか、土曜は工事してないのね。
ヘルメットを被らされる。『東本願寺』のロゴ入り。
「こ、これは、団体参拝とは嘘であって、実はこれから工事現場に転がっている鉄パイプと、使えない屋根瓦を叩き割ったヤツで武装してデモでも行くんですかい!」
どうせなら『大谷派』と書いて貰いたかった。やっぱりヘルメットには『○○派』でっせ。
修復現場は凄かった。さすがに世界最大級の木造建築物の修復現場で、木も凄いし、洗った瓦もでかかったし重かったが、それよりも何よりも工事現場がデカイ。『ラチェット』『たんかん』『ビティー』等の言葉に弱い私は、「ここまでのもんは維新派にも作れんで。。。」と、工事用の屋根にも感動。夜とかに、修復中の屋根にもスポットライトを当てつつ、あの工事現場内でライブとか芝居をやったらエエのに。
修復現場視察を終えて、メシ喰って&酒飲んで、岡崎別院へ。ここには我が母校の専修学院がある。しかも別科時代の一年間は岡崎別院に住んでたわけだし、懐かしく、感動。ついでに、私の原点である専修学院の食堂前でタバコを吸う。ついでに食堂内を覗いたが、さすがに入るのは辞めた。出来たら厨房に入ってみたかったのだが。。。
で、北山別院→大安へ。お土産物。まあ、『お土産物』なんだが、私にとっては別科時代の想い出でもあり、「ああ、大安の漬け物が高かったから、よう漬け物作ったなぁ~」と。まあ、でも、大安の生しば漬けは美味かったのでゲット。ついでに試食三昧。おっちゃん、おばちゃんらは大量に漬け物ゲットしている中、「ああ、この漬け物は、あいつがよく使ってたなぁ~」とかと、みょうな感動。
帰って来て、スーパーで惣菜買ってプラス、パスタでメシ。
で、課題をやる。
浄土論註は面白い。。。別科時代はそんなに感じなかったのだが、今読み返すと無茶苦茶面白い。
【何等の世界にも 仏法功徳宝なからんには
我願わくは皆往生して 仏法を示すこと仏の如くせん
仏はもと、どうしてこの願いを起こされたかというと、ある意思の弱い菩薩を見られるのに、ただ仏がまします国土で修行することばかりを楽って、(無仏の国に仏道をおこそうとするような)堅い慈悲の心がない。
だから願いを興され、私が仏となるときは、我が国土の菩薩は皆、慈悲の心が勇猛でしっかりしており、自ら願って清浄の国土をすて、他方国土の仏法僧ましまさぬ処に至って、仏法僧の三宝を永遠にたもって失わしめず荘厳し、それを人々に示すこと、あたかも仏がましますごとくにして、仏法の種をいたるところに(まいて)絶やさないようにしよう、と願われたのである。】(解読浄土論註巻上より)
北山別院で貰った『共にあゆむ VOL.60 ささえあう世界をめざして』という本願寺派(西本願寺)パンフレット(?)の中にこんな言葉が載ってあった。
【現在我が教団を見ると、ろう者の聞法の場は限られています。すべての人の平等を説いてるはずの仏教ですが、ろう者の社会参加という面では一般社会から大きく遅れをとっていると言わざるを得ません。】
大谷派の今の門首さんは、確か殆ど耳が聞こえなかったはず。別に「門首が。。。」と云う問題でもないが、契機には成りやすい事も確かだ。
共同作業所時代に手話を習おうと思っていたのだが、それ以前に仕事が忙しい。。。パン職人にはパン屋の本分があるし、その他の事でやっている余裕なんぞなかった。今もそれ程余裕があるわけでもない。んが、関心だけは忘れずに持っておきたい。
「あ~、今日も御文書くか。」
「上人。。。」
「なんじゃ?」
「それって、聖道の慈悲と違いますん?」
「。。。。。お前、大丈夫か?」
そういや、今日はスーツを着て行った。これは専修学院時代の躾けなんだが。。。
何の時だっただろうか?別科時代にイラク戦争が始まった。で、その直後ぐらいに何かで本山に学院生全員で参拝した時にある先生が
「今、親鸞聖人はここには居らずにイラクに行ってるかも解りませんね。」
とかと、語っておられた。