『オリンピックが競技を歪める その2 「IOC理事会の歪んだ構成と不思議な採決」』
『オリンピックが競技を歪める その1 「オリンピック偏重」』
の続きです。
タイトルを「五輪競技としてのレスリング」としましたが、その辺りを分かりやすく述べられている記事が2つありましたので、その記事に即して書いていきたいと思います。
(携帯の機種や設定によって文字の色表示が反映されない方もいらっしゃるかもしれませんが、以後、引用文を青色で表示します)
五輪としての競技の分かりやすさ(勝敗や優勢の分かりやすさ)、種目数と男女比
『ZAKZAK』の「レスリング除外危機の真相、根は深く以前から潜行 五輪開催地の問題も事態を複雑化」
除外候補決定は唐突なことではなかった。国内の関係者は「レスリングは以前からIOCの要請に応じず、委員たちの印象は悪くなっていた」という。
JOCやレスリング関係者にとって、今回の決定は“寝耳に水”の状態であったが、
「レスリングには上半身のグレコローマン、全身のフリースタイルの2種類があり、それが男女で18階級もある。競技の肥大化を嫌うIOCは、15年も前から変革を求めていたんです。しかし、レスリング側は逆に女子の階級を増やして合計21とすることを求めていた」
補足すると、女子の階級は世界選手権など通常は7階級設けられているが、五輪は4階級のみなので、レスリング側は増やすよう求めていた。
また、女子はフリースタイルのみで、日本男子もグレコローマンの上半身のみの競い合いという特質上、グレコローマンは苦手で、過去のメダリストもほとんどがフリースタイルだった。世界的に見ればグレコローマンの人気度は分からないが、グレコローマンの廃止か、グレコとフリーの融合を求められていたようだ。
しかし、グレコローマンはその語源「ギリシアとローマの」が示すように、古代のギリシアやローマのパンクラチオンに由来するモノであるという自負があったのだろう。
古代ギリシャから続く伝統競技というプライドがネックとなったのだ。同じ伝統格闘技である柔道は近年、青い道着を導入し、ルールまでも変更。ヨーロッパ型の「JUDO」に変化して生き残りを図ったが、レスリングはそれができなかった。
レスリングも細かなルール変更(試合時間や得点など)はかなり行われていた。しかし、それが改善になっているかは疑問。特に、同点の場合のクリンチ方式は攻める側が有利なようで公平ではない。
さらに、日本のお家芸である女子レスリングが“除外”の一因になった面もあるという。
「女子は04年のアテネ五輪で種目となってからも競技人口が増えず、その対策も見えていませんでした。各階級の平均参加国は30カ国で、これはテコンドーの47と比べても少ないのです」(関係者)
参加国の伸び悩みには、女性が肌をさらして組み合うことに抵抗が強いイスラム圏の不参加が大きく影響している。しかも、20年の開催地としてイスラム圏のトルコ・イスタンブールが決まった場合、「トルコに女子選手はいるものの『厄介なことになる』というIOC側の意見は根強かった」(関係者)。
「過去の世界選手権では、イスラム圏の男子選手が『女子と同じマットで試合はできない』と棄権したこともありました。強く反発する宗教指導者もいて、かりにイスタンブール開催なら過激な抗議デモなどに発展する恐れもあった」
陸上競技はもっと軽装だが、肌を隠すユニフォームも可能である。体操や新体操も体線を強調するユニフォームだが、個人競技で対戦競技ではない。確かに、宗教上や貞操感の抵抗は強いかもしれない。
IOCの評価報告と五輪の商業主義化
『livedoor スポーツ』「やっぱりカネ!? レスリングが五輪から除外された背景」
IOCがまとめたロンドン五輪実施26競技の評価報告で、レスリングは低い評価だった。ロンドン五輪での人気度は10段階の5を下回り、テレビ視聴者数やインターネットのアクセス数、メディアによる報道も少なかったと判定された。
しかし、この判定が「その2」で述べたように、客観性が高いものかは疑問が残る。
この記事にも、
IOC委員や理事の出身国も影響したとみられる。レスリングが強いのは東欧、中東、米国、日本といったところで、IOC委員の3割強がレスリングの普及が遅れている西欧出身。ロゲ会長を含む理事15人のうち、9人は欧州出身だが、レスリング強豪国の出身者は一人もいない。
当初、除外されるのは近代五種かテコンドーが有力ともいわれていたが、両競技の関係者が理事のなかにおり、ロビー活動(政治的な働きかけ)にも熱心に取り組んだ。次期韓国大統領の朴槿恵(パク・クネ)氏は韓国発祥のテコンドー存続のため、ロゲ会長に直訴もした。一方、レスリングは「除外されるはずがない」との慢心から、ロビー活動はしていなかった。
とある。
また、
五輪の商業主義化も、大きな要因だろう。IOCは国際レスリング連盟(FILA)に対し、これまで、男子で実施しているグレコローマンが「動きが少なく見映えしない」点や、ルールの複雑さを指摘してきた。つまり、「テレビ向きではない」ということだ。
すなわち、競技自体が見ていて、面白みに欠けルールも難解とあれば、世界的にスポンサーも付きづらく、チケット販売収入、放送権の獲得や、その権料の金額にも影響する。早い話、商売になりづらいレスリングが、除外されたということだ。強豪国の日本国内でさえ、注目度が高かった吉田沙保里や浜口京子の出場試合こそ、視聴率も高かったが、その他の選手の出場試合は低かったのが現実。
復帰を目指す野球は試合時間が長く、テレビ放送に適さないため、7回制にすることを検討するなど、なりふり構わぬ姿勢を見せている。
ロンドン五輪では、テコンドーは電子機器の使用やポイント制も大きく変更しており、4年ぶりに視聴したせいもあるが、全く別物に見えた。
やはり、五輪の商業主義化も大きな要素であろう。それが採用競技の選考に加味されるのは仕方がないが、判断を下す理事会の構成が少数で偏りがあり、ロビー活動に大きく左右されるのは許されない。
ここからは、私の主観です。
ヨーロッパ本位のスポーツ運営
テコンドーが疑問視されているが、私は近代五種の方が不思議に思えた。この競技はヨーロッパ以外は人気が低い。
フェンシング、水泳、馬術、射撃、ランニングの5種目のうち、フェンシングと馬術と射撃は裕福でないとできない競技ではないだろうか?
ただ、ウィキペディアによると
「近代五種競技で使用される競技施設は全て個別種目との併用がされており、この競技だけを削減したところで削減できる施設が皆無でありむしろ開催期間中の施設の効率的利用の観点からは有効であることや、個人競技であることなど、削減議論の俎上に上げられた他種目と比較しての設備投資・参加人数などからの競技削減で想定されるコストメリットの大小や、上述した事情からオリンピック競技からの除外が少なからぬ国で競技それ自体の存続に関わってくるなど幾つもの要素がある。だが、近代五種競技に限って言えば、何よりもこの競技自体がクーベルタン男爵の考案・提唱によって創始された近代オリンピックに由緒の深いものであり、競技人口や普及率・知名度などに問題を抱えていても、近代オリンピックの歴史や伝統という側面を鑑みればこの由縁を安易に無視して削減することができないという側面が大きいとみられる。」
とあり、その理由に納得できる部分も大きい。
しかし、今回レスリングが除外されたので、将来はさらに危うくなるのではないだろうか。
あと、単独種目としての馬術と射撃もどうだろうか?
競技者は両競技とも、競技者は非常に限られる。特に馬術は馬の輸送だけでも大変だと聞く。
五輪絡みではないかもしれないが、ノルディック複合は日本が勝ちにくくなるように改正された。ジャンプも長身選手が有利になるようにスキー板の長さの規定がある。もはや存在しないかもしれないが、五輪の根本にあるスポーツマンシップを尊重してほしいものである。
スポーツ本来の面白さ
テレビ中継の都合で、試合時間の短縮化や見栄えの良さや分かりやすさに走らないでほしい。
私の主観かもしれないが、バレーボールのラリーポイントは改悪である。試合時間は読みやすいが、サーブレシーブ側の有利さがあるので、ラリーポイントだと終盤の逆転が起こりにくく、「あっけなさ」が大きい。
その点、サッカーは凄い。
試合が始まれば、CMを挿入できるのはハーフタイム時だけ。バスケットボールは4クォーター制の上、タイムアウトも多く、さらにオフィシャルタイムアウトもある。バレーボールもCM挿入しやすい。
得点も多くて4点ぐらい。得点の動きとしては起伏が少ない。それでも、そのスピードや技術や迫力で緊迫感が途切れず面白い。
テニスも男子だと3時間を超える試合は多く、4時間を超す試合もある。
NBA(バスケットボール)は商業主義だが、そのゲームは五輪の決勝より遥かに面白い。
面白いスポーツは五輪と関係なく支持される。
もちろん、競技の魅力だけでは成り立たない部分は大きいが、これだけIOCの尊重の風潮が強いと、各競技が結束して五輪ボイコットをしても面白いんじゃないかと、無責任なことを考えてしまう。
オリンピックやテレビ中継の都合で、その競技・スポーツ本来の面白さが変質したり、損なわれるのは悲しい。
『オリンピックが競技を歪める その1 「オリンピック偏重」』
の続きです。
タイトルを「五輪競技としてのレスリング」としましたが、その辺りを分かりやすく述べられている記事が2つありましたので、その記事に即して書いていきたいと思います。
(携帯の機種や設定によって文字の色表示が反映されない方もいらっしゃるかもしれませんが、以後、引用文を青色で表示します)
五輪としての競技の分かりやすさ(勝敗や優勢の分かりやすさ)、種目数と男女比
『ZAKZAK』の「レスリング除外危機の真相、根は深く以前から潜行 五輪開催地の問題も事態を複雑化」
除外候補決定は唐突なことではなかった。国内の関係者は「レスリングは以前からIOCの要請に応じず、委員たちの印象は悪くなっていた」という。
JOCやレスリング関係者にとって、今回の決定は“寝耳に水”の状態であったが、
「レスリングには上半身のグレコローマン、全身のフリースタイルの2種類があり、それが男女で18階級もある。競技の肥大化を嫌うIOCは、15年も前から変革を求めていたんです。しかし、レスリング側は逆に女子の階級を増やして合計21とすることを求めていた」
補足すると、女子の階級は世界選手権など通常は7階級設けられているが、五輪は4階級のみなので、レスリング側は増やすよう求めていた。
また、女子はフリースタイルのみで、日本男子もグレコローマンの上半身のみの競い合いという特質上、グレコローマンは苦手で、過去のメダリストもほとんどがフリースタイルだった。世界的に見ればグレコローマンの人気度は分からないが、グレコローマンの廃止か、グレコとフリーの融合を求められていたようだ。
しかし、グレコローマンはその語源「ギリシアとローマの」が示すように、古代のギリシアやローマのパンクラチオンに由来するモノであるという自負があったのだろう。
古代ギリシャから続く伝統競技というプライドがネックとなったのだ。同じ伝統格闘技である柔道は近年、青い道着を導入し、ルールまでも変更。ヨーロッパ型の「JUDO」に変化して生き残りを図ったが、レスリングはそれができなかった。
レスリングも細かなルール変更(試合時間や得点など)はかなり行われていた。しかし、それが改善になっているかは疑問。特に、同点の場合のクリンチ方式は攻める側が有利なようで公平ではない。
さらに、日本のお家芸である女子レスリングが“除外”の一因になった面もあるという。
「女子は04年のアテネ五輪で種目となってからも競技人口が増えず、その対策も見えていませんでした。各階級の平均参加国は30カ国で、これはテコンドーの47と比べても少ないのです」(関係者)
参加国の伸び悩みには、女性が肌をさらして組み合うことに抵抗が強いイスラム圏の不参加が大きく影響している。しかも、20年の開催地としてイスラム圏のトルコ・イスタンブールが決まった場合、「トルコに女子選手はいるものの『厄介なことになる』というIOC側の意見は根強かった」(関係者)。
「過去の世界選手権では、イスラム圏の男子選手が『女子と同じマットで試合はできない』と棄権したこともありました。強く反発する宗教指導者もいて、かりにイスタンブール開催なら過激な抗議デモなどに発展する恐れもあった」
陸上競技はもっと軽装だが、肌を隠すユニフォームも可能である。体操や新体操も体線を強調するユニフォームだが、個人競技で対戦競技ではない。確かに、宗教上や貞操感の抵抗は強いかもしれない。
IOCの評価報告と五輪の商業主義化
『livedoor スポーツ』「やっぱりカネ!? レスリングが五輪から除外された背景」
IOCがまとめたロンドン五輪実施26競技の評価報告で、レスリングは低い評価だった。ロンドン五輪での人気度は10段階の5を下回り、テレビ視聴者数やインターネットのアクセス数、メディアによる報道も少なかったと判定された。
しかし、この判定が「その2」で述べたように、客観性が高いものかは疑問が残る。
この記事にも、
IOC委員や理事の出身国も影響したとみられる。レスリングが強いのは東欧、中東、米国、日本といったところで、IOC委員の3割強がレスリングの普及が遅れている西欧出身。ロゲ会長を含む理事15人のうち、9人は欧州出身だが、レスリング強豪国の出身者は一人もいない。
当初、除外されるのは近代五種かテコンドーが有力ともいわれていたが、両競技の関係者が理事のなかにおり、ロビー活動(政治的な働きかけ)にも熱心に取り組んだ。次期韓国大統領の朴槿恵(パク・クネ)氏は韓国発祥のテコンドー存続のため、ロゲ会長に直訴もした。一方、レスリングは「除外されるはずがない」との慢心から、ロビー活動はしていなかった。
とある。
また、
五輪の商業主義化も、大きな要因だろう。IOCは国際レスリング連盟(FILA)に対し、これまで、男子で実施しているグレコローマンが「動きが少なく見映えしない」点や、ルールの複雑さを指摘してきた。つまり、「テレビ向きではない」ということだ。
すなわち、競技自体が見ていて、面白みに欠けルールも難解とあれば、世界的にスポンサーも付きづらく、チケット販売収入、放送権の獲得や、その権料の金額にも影響する。早い話、商売になりづらいレスリングが、除外されたということだ。強豪国の日本国内でさえ、注目度が高かった吉田沙保里や浜口京子の出場試合こそ、視聴率も高かったが、その他の選手の出場試合は低かったのが現実。
復帰を目指す野球は試合時間が長く、テレビ放送に適さないため、7回制にすることを検討するなど、なりふり構わぬ姿勢を見せている。
ロンドン五輪では、テコンドーは電子機器の使用やポイント制も大きく変更しており、4年ぶりに視聴したせいもあるが、全く別物に見えた。
やはり、五輪の商業主義化も大きな要素であろう。それが採用競技の選考に加味されるのは仕方がないが、判断を下す理事会の構成が少数で偏りがあり、ロビー活動に大きく左右されるのは許されない。
ここからは、私の主観です。
ヨーロッパ本位のスポーツ運営
テコンドーが疑問視されているが、私は近代五種の方が不思議に思えた。この競技はヨーロッパ以外は人気が低い。
フェンシング、水泳、馬術、射撃、ランニングの5種目のうち、フェンシングと馬術と射撃は裕福でないとできない競技ではないだろうか?
ただ、ウィキペディアによると
「近代五種競技で使用される競技施設は全て個別種目との併用がされており、この競技だけを削減したところで削減できる施設が皆無でありむしろ開催期間中の施設の効率的利用の観点からは有効であることや、個人競技であることなど、削減議論の俎上に上げられた他種目と比較しての設備投資・参加人数などからの競技削減で想定されるコストメリットの大小や、上述した事情からオリンピック競技からの除外が少なからぬ国で競技それ自体の存続に関わってくるなど幾つもの要素がある。だが、近代五種競技に限って言えば、何よりもこの競技自体がクーベルタン男爵の考案・提唱によって創始された近代オリンピックに由緒の深いものであり、競技人口や普及率・知名度などに問題を抱えていても、近代オリンピックの歴史や伝統という側面を鑑みればこの由縁を安易に無視して削減することができないという側面が大きいとみられる。」
とあり、その理由に納得できる部分も大きい。
しかし、今回レスリングが除外されたので、将来はさらに危うくなるのではないだろうか。
あと、単独種目としての馬術と射撃もどうだろうか?
競技者は両競技とも、競技者は非常に限られる。特に馬術は馬の輸送だけでも大変だと聞く。
五輪絡みではないかもしれないが、ノルディック複合は日本が勝ちにくくなるように改正された。ジャンプも長身選手が有利になるようにスキー板の長さの規定がある。もはや存在しないかもしれないが、五輪の根本にあるスポーツマンシップを尊重してほしいものである。
スポーツ本来の面白さ
テレビ中継の都合で、試合時間の短縮化や見栄えの良さや分かりやすさに走らないでほしい。
私の主観かもしれないが、バレーボールのラリーポイントは改悪である。試合時間は読みやすいが、サーブレシーブ側の有利さがあるので、ラリーポイントだと終盤の逆転が起こりにくく、「あっけなさ」が大きい。
その点、サッカーは凄い。
試合が始まれば、CMを挿入できるのはハーフタイム時だけ。バスケットボールは4クォーター制の上、タイムアウトも多く、さらにオフィシャルタイムアウトもある。バレーボールもCM挿入しやすい。
得点も多くて4点ぐらい。得点の動きとしては起伏が少ない。それでも、そのスピードや技術や迫力で緊迫感が途切れず面白い。
テニスも男子だと3時間を超える試合は多く、4時間を超す試合もある。
NBA(バスケットボール)は商業主義だが、そのゲームは五輪の決勝より遥かに面白い。
面白いスポーツは五輪と関係なく支持される。
もちろん、競技の魅力だけでは成り立たない部分は大きいが、これだけIOCの尊重の風潮が強いと、各競技が結束して五輪ボイコットをしても面白いんじゃないかと、無責任なことを考えてしまう。
オリンピックやテレビ中継の都合で、その競技・スポーツ本来の面白さが変質したり、損なわれるのは悲しい。
ヨーロッパ主体の運営については、前に触れたのでここでは書きません。
五輪の商業化、ショーアップ化は以前から指摘されていた事で、懸念を示す専門家もいましたね。
前にも書きましたけど、商業化も光と影がありますよね。
だから難しいのですけど、光の部分が影の部分を照らすような配分をしてくれたら・・・(きれいごとですよね)
サッカー好きなもので書かせて頂きますが、確かにサッカーはハーフタイムにまとめてCM入れやすいですよね(笑)
サッカーのすごいところは「五輪なんて・・・」という空気があることです。
最近では強豪国も力を入れるようになっていますが、少し前までは五輪サッカーは「二軍選手の大会」と位置づけられていたのです。
(オーバーエイジ枠というのは、その名残ですよね)
サッカーはすそ野が広いし、世界中に競技人口が分布しています。
広い場所とボール1個あれば22人が遊べるわけですから、後進国でも普及しますよね。
サッカーの国別対抗の最高峰はワールドカップですから、五輪より「価値」の高いコンテンツを持っているわけです。
ですからFIFAとIOCの仲の悪さは有名なのですけど、視聴率取れるしスポンサー取れるので、IOCはサッカーを無視できないのですね。
力関係が逆転しているとこうなります(笑)
ロンドン五輪でもサッカーは開会式前に試合が始まりますし、ずっと地方で予選(笑)ロンドンに来るのは準決勝からですもんね(笑)以下に勝手にやれって思われてるかわかります。
レスリングにはサッカーのような「背景」が無いので、こういう場合は弱いですよね。
特に女子選手の増加はなかなか厳しいと思います。
私見ですが、私はレスリングの代わりに野球かテコンドーが復活するのではないかと予想しています。
宗教がからんだり、倫理観や性道徳や政治や・・・・・
国際スポーツはごたごたしている人間社会の縮図そのものです。
だからこそ面白いと言えるのですが、プレイヤーには競技に集中できるような環境を用意してあげたいものですね。
本当に素晴らしいプレーというのは、二度と見られない宝物のようなものですから。
サッカーのように五輪に媚を売る必要のないのが望ましいですね。
本文でも述べましたが、あと、テニス、バスケ(NBA)も五輪に依存しなくてもよさそうです。
他には、ゴルフ、野球(日本、米、中米)、アメリカンフットボール(米)などがそうでしょうか。
>レスリングの代わりに野球かテコンドーが復活するのではないかと予想しています
テコンドーは、生き残っています。
>プレイヤーには競技に集中できるような環境を用意してあげたいものですね。
>本当に素晴らしいプレーというのは、二度と見られない宝物のようなものですから。
ええ、そうですね。
私も、素晴らしいプレーやゲームをずっと見たいです。