レスリングが五輪の中核競技から外れた(「今更、遅いよ」という声が聞こえてきそうです)。
私は子どもの頃から五輪が好きで、4年に一度のスポーツの祭典に心を躍らせ、その2週間は「心、此処に在らず」の状態であった。
私が五輪に夢中になるのは、日本選手の活躍も嬉しいが、最も大きな理由は、世界のトップの競技者が最高の舞台で最高のプレーを競うからである。しかし、最近は金メダルを取ることが最大の目標で、「競う」のではなく「勝つ」ことが遥かに重要視されているのが残念である(もちろん、昔から「勝つ」ことが最重要であった)。
私が五輪に対してどういうスタンスをとっているかというと、ロンドン五輪の場合だと、私の興味の半分は体操の内村選手が個人総合で金メダルを取るかどうかにあった。≪なんだ、やっぱり金メダルか?≫と思うなかれ。私が内村選手に肩入れしたのは、最高の演技を追究する彼の体操に対する精神とその演技に惚れているからである。
この他に好きな選手を挙げるとしたら、少し古くなるが、コンディション不良でマラソン代表選考会を回避した瀬古選手に対して、「這ってでも出て来い」と言った中山竹通は大好きである。
逆に、五輪3連覇を果たした吉田沙保里選手は、連勝記録が途絶えた試合後に泣きじゃくった(2回)ので評価は低い。もちろん、彼女の普段の明るさや前向きさは好きである。
体操の鉄棒で、技の難易度を落とし金メダルを獲得した森末選手も評価は低い(難易度よりミスしない方が評価が高いという当時の採点技術が低かったという背景もある)。
また、トッププレーヤーにとってエキシビション的意味が強いテニスや男子バスケットボールには興味が湧かない。男子サッカーもワールドカップの方が遥かに価値が高い。
卓球も国の代表枠があり、中国選手が2人しか出ないので、世界選手権よりレベルが低い。
話が逸れ掛かってしまったが、何が言いたいかと言うと、極端な五輪偏重、メダル絶対視から離れてほしいということである。
過去の記事『五輪雑感 ~パレードについて~』でも述べた(本文よりコメント欄で)が、あまりにも五輪を絶対視すると、競技者や競技そのものも歪んでしまう。
もちろん、五輪競技から外れたり、五輪でパッとしないと、その競技の運営がままならないという現状もあり、非常に難しい。ただ、その責任の一端というか、かなりの部分はマスコミの姿勢にある。そして、それに踊らされる世間一般の視聴者もその一因である。
また、話が少々逸脱するが、フィギュアスケートも中継内容は歪(いびつ)である。外国の有力選手や日本選手の紹介スポットはあるが、浅田真央選手の紹介スポット(過去の演技、練習風景、インタビュー)が圧倒的に多い。中継自体がが競技中継というより、浅田選手の応援番組の様だ。ウオーミングアップ時もカメラが追いかけ、競技後のインタビューも、同じような内容をしつこく繰り返し質問する(特にフジテレビが酷い)。
浅田選手が競技に集中できないし、そこに時間を割くなら、他の選手の演技や他の種目を中継すべきだ。視聴率という足枷もあろうけれど、フィギュアスケートファンを舐めているんじゃないかという中継である。
スポーツ中継も偏りがありすぎだが、これは視聴率の関係で仕方がないかもしれない。しかし、スポーツニュースは、ニュース(報道)と名乗るからには、もう少し公平にしてほしい。野球、サッカー、ゴルフ、相撲(NHK)に偏り過ぎ。特に、プロ野球のキャンプ情報やオープン戦に時間を割くのは止めてほしい。
ついでに言うと、NHKのメジャーリーグ中継も酷い。日本人選手のプレー以外はどうでもよく、メジャーリーガーの凄さ、ゲームの面白さを伝えようとする気持ちは全く感じない。フジテレビの高校バレーに、ジャニーズを起用するのもやめてほしい。
次回は「IOC理事会の歪んだ構成」。
また、細切れ記事になってしまいますが、ご了承ください。
私は子どもの頃から五輪が好きで、4年に一度のスポーツの祭典に心を躍らせ、その2週間は「心、此処に在らず」の状態であった。
私が五輪に夢中になるのは、日本選手の活躍も嬉しいが、最も大きな理由は、世界のトップの競技者が最高の舞台で最高のプレーを競うからである。しかし、最近は金メダルを取ることが最大の目標で、「競う」のではなく「勝つ」ことが遥かに重要視されているのが残念である(もちろん、昔から「勝つ」ことが最重要であった)。
私が五輪に対してどういうスタンスをとっているかというと、ロンドン五輪の場合だと、私の興味の半分は体操の内村選手が個人総合で金メダルを取るかどうかにあった。≪なんだ、やっぱり金メダルか?≫と思うなかれ。私が内村選手に肩入れしたのは、最高の演技を追究する彼の体操に対する精神とその演技に惚れているからである。
この他に好きな選手を挙げるとしたら、少し古くなるが、コンディション不良でマラソン代表選考会を回避した瀬古選手に対して、「這ってでも出て来い」と言った中山竹通は大好きである。
逆に、五輪3連覇を果たした吉田沙保里選手は、連勝記録が途絶えた試合後に泣きじゃくった(2回)ので評価は低い。もちろん、彼女の普段の明るさや前向きさは好きである。
体操の鉄棒で、技の難易度を落とし金メダルを獲得した森末選手も評価は低い(難易度よりミスしない方が評価が高いという当時の採点技術が低かったという背景もある)。
また、トッププレーヤーにとってエキシビション的意味が強いテニスや男子バスケットボールには興味が湧かない。男子サッカーもワールドカップの方が遥かに価値が高い。
卓球も国の代表枠があり、中国選手が2人しか出ないので、世界選手権よりレベルが低い。
話が逸れ掛かってしまったが、何が言いたいかと言うと、極端な五輪偏重、メダル絶対視から離れてほしいということである。
過去の記事『五輪雑感 ~パレードについて~』でも述べた(本文よりコメント欄で)が、あまりにも五輪を絶対視すると、競技者や競技そのものも歪んでしまう。
もちろん、五輪競技から外れたり、五輪でパッとしないと、その競技の運営がままならないという現状もあり、非常に難しい。ただ、その責任の一端というか、かなりの部分はマスコミの姿勢にある。そして、それに踊らされる世間一般の視聴者もその一因である。
また、話が少々逸脱するが、フィギュアスケートも中継内容は歪(いびつ)である。外国の有力選手や日本選手の紹介スポットはあるが、浅田真央選手の紹介スポット(過去の演技、練習風景、インタビュー)が圧倒的に多い。中継自体がが競技中継というより、浅田選手の応援番組の様だ。ウオーミングアップ時もカメラが追いかけ、競技後のインタビューも、同じような内容をしつこく繰り返し質問する(特にフジテレビが酷い)。
浅田選手が競技に集中できないし、そこに時間を割くなら、他の選手の演技や他の種目を中継すべきだ。視聴率という足枷もあろうけれど、フィギュアスケートファンを舐めているんじゃないかという中継である。
スポーツ中継も偏りがありすぎだが、これは視聴率の関係で仕方がないかもしれない。しかし、スポーツニュースは、ニュース(報道)と名乗るからには、もう少し公平にしてほしい。野球、サッカー、ゴルフ、相撲(NHK)に偏り過ぎ。特に、プロ野球のキャンプ情報やオープン戦に時間を割くのは止めてほしい。
ついでに言うと、NHKのメジャーリーグ中継も酷い。日本人選手のプレー以外はどうでもよく、メジャーリーガーの凄さ、ゲームの面白さを伝えようとする気持ちは全く感じない。フジテレビの高校バレーに、ジャニーズを起用するのもやめてほしい。
次回は「IOC理事会の歪んだ構成」。
また、細切れ記事になってしまいますが、ご了承ください。
レスリングが五輪競技から消滅するかも?というニュースは衝撃を持って受け取られていますね。
しかしこれ、見方によっては野球/ソフトボールが復活するかもしれないし、ウェイクボードの五輪なんて見てみたい気がします。
要は総体的なものというか、一長一短なのですね。
IOCはその競技の総人口とか、若い世代に人気があるかとか、競技ルールがわかりやすいかどうか?等を評価基準に上げていますが、それらがあながちウソでもないのでしょう。
でも「それだけ」とも思えません。
テレビの視聴率やマスコミの注目度、そしてIOC理事の発言力など、様々な要素が加味されての決定なのでしょう。
五輪が商業主義だとまでは言いませんが、今やお金抜きで五輪を考えるのは不可能だと思います。
そもそも出ている選手の半分以上が「プロ」なのですから。
日本ではレスリングは結果を出しているし、三連覇の吉田選手もいるので騒ぎになっていますが、レスリング弱小国にとっては、どうでもいい話なのかもしれません。
五輪を離れ、メダル主義を離れる・・・理解できますし大筋賛成なのですが、そのためにはそれに代わる新しい「価値」を生み出さねばなりません。
プロスポーツ(興行)として成立していない競技にとっては、今のところ唯一と言っていい国際的発信の場となっていますので、これに代わる何かを見出すのは容易ではないでしょうね(五輪は歴史も長いですし)
何しろメダルを取る・取らないでは、引退後の選手の人生も変わってしまいますから・・・・・
難しい問題です。
ちなみに元マスコミとして申し添えますが、テレビ局等にとっては、スポーツの本質とかはあまり関係ありません。
純粋に「コンテンツ」の一つとして捉えています。
もちろんそれがその競技の「底辺拡大」に一役買っている面もありますが、弊害も生んでいます。
功罪愛半ばということでしょうか?
私も熱く語っている割には、現状に合わないことを言っているなと思っています。
なので、IDEAさんの総合的な視野を持った意見は参考になりますし、私の足りない部分を補足してくださっているので、ありがたいです。
IOCの判断基準などについては、次回で述べさせていただきます。
>プロスポーツ(興行)として成立していない競技にとっては、今のところ唯一と言っていい国際的発信の場となっていますので、これに代わる何かを見出すのは容易ではないでしょうね
私もそう思います。
これも、たぶん次々回で書くと思いますが、五輪にへつらい、五輪用(テレビ用)に改変すると、その競技の本質的な面白さや楽しさがなくなってしまうのではないかと。
本当に、難しい問題ですね。
>テレビ局等にとっては、スポーツの本質とかはあまり関係ありません。純粋に「コンテンツ」の一つとして捉えています。
ええ、これは、私も常々感じています。
ただ、1970年代~80年代前半のテレビ局は、もっと、その競技への愛があったように思います。私が、若かったからかもしれません。年を取って、現実が見えるようになった(笑)。
また、ご意見、お待ちしています。