「2局目以降はずっと苦しい展開というか、作戦的なところから押されている状況が続いた。かなり厳しいんじゃないかなという気持ちを持ちながら指していた」
(朝日新聞デジタル、「羽生、名人防衛 将棋名人戦第5局2日目」より)
この言葉通り、苦しい戦いが続いた。
私も、手が空いた時に中継を覗いて、羽生名人が良くなる……と言うより、勝負に持ち込める指し手はないかと思案を巡らしたが、私ごときに局面打開の妙手を捻り出せるはずがなく、重苦しい気持ちが続いた。
特に、第4局は「歩損した上、棒銀が後退せざるを得ないない」「頼みの綱の馬も1一の隅に封じ込められている状況」など、“完封負け”の雰囲気が漂っていた。
第5局も、一方的に攻め倒されそうな状況が続いた。2日目、午後5時3分、△2七銀!……所謂“羽生ゾーン”の勝負手が放たれ、後に▲2五桂△3九飛と入玉と先手玉攻略の足掛かりができた段階で、一筋の光明が差した。(この飛車は、後手玉の入玉の代償となり盤上から消えることとなったが、大いに貢献)
その後、入玉を確定させた羽生名人が、先手玉を寄せて勝利し、名人位防衛を決めた。
巷では、持将棋に甘んじず、先手玉を寄せに行ったことを称賛されていたが、相入玉となった場合、後手の駒数が足りなくなることが想定される。羽生名人が先手玉を寄せようとしたのは、当然の選択だったように思える。
なぜなら、先手が入玉を実現しようとする場合、後手陣の右翼の飛車銀桂香が健在で、真正面から突破するのは難しく、龍や馬で下段から後手の駒を掃討する方が有効で、後手も防ぎにくい。「先手の入玉を許す」=「後手陣の右翼の飛車銀などが取られる」駒数が足りなくなるのである。
上記で「入玉を確定させた羽生名人が、先手玉を寄せて勝利」と簡単に書いたが、実際は非常に難解で、3六に玉がたどり着き、入玉が見えてからも、入玉確定させるのもまだまだ大変で、玉が一段目に到達しても、▲5九龍の王手に△4九金と合駒を龍に当てて打ち、▲5八龍と追いやってから△3九金と寄せるなど、苦心の指し手が必要だった。
この第5局についての羽生名人の感想が光っていた。
――七番勝負の5局の中で印象に残る将棋は?……という問いに対し
「今日の将棋は一番印象に残っている。入玉模様になってからごちゃごちゃと。こっちが入玉して、相手が来るのを止めて。駒数がどうなるのかという意味で。意外と手数が短くてびっくりした。自分としては200手ぐらい指したのではないかと。非常に考えがいのある面白い将棋でした」
………“非常に考えがいのある面白い将棋”だそうだ。
中継サイト・棋譜解説欄の152手目の行方八段の
「途中から何故か相手は金1枚の持ち駒だと思い込んでいたのですが、2枚あることに気づいて観念しました」
について、“負け惜しみ”と非難する声も巷ではあったが、負けたことのいいわけではなく、最終盤の自分の指し手について、≪棋譜を汚してしまったのではないか≫という危惧の弁だったように思う。
7番勝負を通じて、行方八段の序盤の将棋の組み立てが光った。戦いが始まった段階で既に、羽生名人が“苦しい”あるいは“思わしくない”ことが多く、羽生名人が動いてきたのを、最強の手段で迎え撃ち優位を築き上げた。羽生挑戦者を跳ね返した森内名人の強さを彷彿させた。
しかし、リードを奪われた羽生名人も、そこから最強の追走を駆使し、行方八段を楽にさせなかった。
時間と自身(体力、気力、思考力)の消耗で、終盤に逆転を許してしまった行方八段、
「二日間を戦う力が不足していた」
は、まさに今シリーズを言い表した言葉であった。
「負けました」とはっきり投了の意を告げる行方八段は清々しかった。
その言葉には、再起を誓うような力強さがあった。
また、タイトル戦に登場して欲しい。
(朝日新聞デジタル、「羽生、名人防衛 将棋名人戦第5局2日目」より)
この言葉通り、苦しい戦いが続いた。
私も、手が空いた時に中継を覗いて、羽生名人が良くなる……と言うより、勝負に持ち込める指し手はないかと思案を巡らしたが、私ごときに局面打開の妙手を捻り出せるはずがなく、重苦しい気持ちが続いた。
特に、第4局は「歩損した上、棒銀が後退せざるを得ないない」「頼みの綱の馬も1一の隅に封じ込められている状況」など、“完封負け”の雰囲気が漂っていた。
第5局も、一方的に攻め倒されそうな状況が続いた。2日目、午後5時3分、△2七銀!……所謂“羽生ゾーン”の勝負手が放たれ、後に▲2五桂△3九飛と入玉と先手玉攻略の足掛かりができた段階で、一筋の光明が差した。(この飛車は、後手玉の入玉の代償となり盤上から消えることとなったが、大いに貢献)
その後、入玉を確定させた羽生名人が、先手玉を寄せて勝利し、名人位防衛を決めた。
巷では、持将棋に甘んじず、先手玉を寄せに行ったことを称賛されていたが、相入玉となった場合、後手の駒数が足りなくなることが想定される。羽生名人が先手玉を寄せようとしたのは、当然の選択だったように思える。
なぜなら、先手が入玉を実現しようとする場合、後手陣の右翼の飛車銀桂香が健在で、真正面から突破するのは難しく、龍や馬で下段から後手の駒を掃討する方が有効で、後手も防ぎにくい。「先手の入玉を許す」=「後手陣の右翼の飛車銀などが取られる」駒数が足りなくなるのである。
上記で「入玉を確定させた羽生名人が、先手玉を寄せて勝利」と簡単に書いたが、実際は非常に難解で、3六に玉がたどり着き、入玉が見えてからも、入玉確定させるのもまだまだ大変で、玉が一段目に到達しても、▲5九龍の王手に△4九金と合駒を龍に当てて打ち、▲5八龍と追いやってから△3九金と寄せるなど、苦心の指し手が必要だった。
この第5局についての羽生名人の感想が光っていた。
――七番勝負の5局の中で印象に残る将棋は?……という問いに対し
「今日の将棋は一番印象に残っている。入玉模様になってからごちゃごちゃと。こっちが入玉して、相手が来るのを止めて。駒数がどうなるのかという意味で。意外と手数が短くてびっくりした。自分としては200手ぐらい指したのではないかと。非常に考えがいのある面白い将棋でした」
………“非常に考えがいのある面白い将棋”だそうだ。
中継サイト・棋譜解説欄の152手目の行方八段の
「途中から何故か相手は金1枚の持ち駒だと思い込んでいたのですが、2枚あることに気づいて観念しました」
について、“負け惜しみ”と非難する声も巷ではあったが、負けたことのいいわけではなく、最終盤の自分の指し手について、≪棋譜を汚してしまったのではないか≫という危惧の弁だったように思う。
7番勝負を通じて、行方八段の序盤の将棋の組み立てが光った。戦いが始まった段階で既に、羽生名人が“苦しい”あるいは“思わしくない”ことが多く、羽生名人が動いてきたのを、最強の手段で迎え撃ち優位を築き上げた。羽生挑戦者を跳ね返した森内名人の強さを彷彿させた。
しかし、リードを奪われた羽生名人も、そこから最強の追走を駆使し、行方八段を楽にさせなかった。
時間と自身(体力、気力、思考力)の消耗で、終盤に逆転を許してしまった行方八段、
「二日間を戦う力が不足していた」
は、まさに今シリーズを言い表した言葉であった。
「負けました」とはっきり投了の意を告げる行方八段は清々しかった。
その言葉には、再起を誓うような力強さがあった。
また、タイトル戦に登場して欲しい。