「 2月1日から退職金が削減される埼玉県で、教職員による、大量の「駆け込み退職」の動きが起きている。
3月末で定年退職する公立校の教職員のうち、110人が、1月中の退職を希望しているという。
その中には、4人の教頭と30人のクラス担任も含まれているという。」
(FNNニュースより)
この現象は埼玉県だけではなく他県でも、また、教職だけでなく警察官などたの職務についても起こっているらしい。
(後で、違う視野からの考えも述べますが、先に言いたいことを言わせてください)
いろいろ事情があると思うが、もう「教師」「先生」と呼びたくない。
受験シーズンまっただ中、そして卒業式もあるというのに、その責任と150万円(2月3月と職務を全うしその給与を差し引くと70万円)を天秤にかけて、後者を選んだことになる。
公的には「教員」と言うのかもしれないが、一般的には「教師」と呼んでいる。「師」という言葉には敬意が込められている。
また、呼びかけの言葉として「先生」が使用されている。もちろん、敬意が込められている呼称である。まあ、広い意味の敬意でそう呼ぶこともありそうだ。教師のほかには、医師、弁護士、議員、師匠(教える人)などがそう呼ばれる。
「聖職者であれ」とは言わないが、ある程度の覚悟を持って職についてほしい。逆に「教師だってサラリーマン(人間)だ」ともよく言われる。
私の兄が公務員で、昔、よく愚痴を聞いたことがある。そういうことがあったので、私も公務員がうらやましいという妬みも込めて自分の仕事の愚痴を言ったことがある。その時の兄の言葉が
「そう思うなら、公務員になればいい」
弾みで言った言葉だろうが、私は忘れられない。その後、一度も兄に対しては仕事の愚痴は言っていない。
そう、「教師だってサラリーマン」という人は、教師にならなければいい。嫌なら辞めればいい。
教師は多くの子どもに影響を与える職業。しかも、通常、子どもは教師を選べないのである。さらに、教師は給与的には恵まれている。今回の退職金減額も民間との格差を減らすという目的だったと聞く。
どんな職業だって大変であろう。消防士なら火傷あるいは命の危険さえある。警察官だってそうだろう。しかし、現場や職務を投げ出さないのは、職業意識を持っているからであろう。
2か月を残して、受験、卒業式を投げ出して退職する「学校で授業をしてきた人(教師と呼ばれるらしい)」は、自分が長年就いてきた仕事、あるいは人生を否定するようなものだ。
ニュースやワイドショーでキャスターたちは「責めることはできないが」という言葉を発していた。そうかもしれないが、誰か一人ぐらい、はっきり否定して欲しい(私が目にしなかっただけかもしれないが)。
そのせいもあって、きつい論調になってしまった。
★教員の立場で考えると
いきなり(告知は1か月前)、「退職金が150万円ほど減額されます」と言われても、もろもろの事情(家のローンや子どもや孫の婚礼など)で、退職金を当てにしていたかもしれない。そういう事情がなくても、150万円も減らされるのは、堪ったものではない。3月一杯、2か月働いても、約70万円損するでは、ばかばかしくて教師などやってられない。
私も同じ立場なら、同様なことを思うに違いない。上記で「150万円と職務を天秤にかけた」という表現をしたが、「もらう」と「損する」では事情が違う。
最近は、子どもたちも素直じゃないし、モンスターペアレンツとまではいかないが、うるさい親も多い。ネットなどの情報も早いので気が抜けない。そんな心理状態で今回の退職金減額を告げられたら、ぐらっと来てしまうかもしれない。
★行政の考え足らず
国からの「速やかに」実施しろという要請を鵜呑みにし、さらに、39億円の予算削減になるという皮算用があったのだろう。
しかし、こういう損得計算が生じてしまう時期にこの措置を取ることは、教員におかしな選択を与えてしまい、結果的に現場の混乱を招いてしまった。
期限内に退職する者は多くないと考えたのだろうか?私は退職者が一人でもいたらダメだと思う。「自分の担任が受験や卒業式を放棄してしまった」と思うことは重大な不幸である。
また、この時期にこういう選択を迫ること自体、あってはならないことである。
埼玉県の上田清司知事は
「個人の自由ですから、そこは、とやかく言うわけにはいかないですが、やっぱり、学級担任を持っている方々には、頑張ってほしかったな」
「(2月から減額しなければ)われわれは39億円(負担が生じる)。今度は逆に、国民から『あなたたちは、わざと遅らせている』という批判を受けます」
と述べているが、こういう混乱を招いた浅慮も責められるべきだ。
3月末で定年退職する公立校の教職員のうち、110人が、1月中の退職を希望しているという。
その中には、4人の教頭と30人のクラス担任も含まれているという。」
(FNNニュースより)
この現象は埼玉県だけではなく他県でも、また、教職だけでなく警察官などたの職務についても起こっているらしい。
(後で、違う視野からの考えも述べますが、先に言いたいことを言わせてください)
いろいろ事情があると思うが、もう「教師」「先生」と呼びたくない。
受験シーズンまっただ中、そして卒業式もあるというのに、その責任と150万円(2月3月と職務を全うしその給与を差し引くと70万円)を天秤にかけて、後者を選んだことになる。
公的には「教員」と言うのかもしれないが、一般的には「教師」と呼んでいる。「師」という言葉には敬意が込められている。
また、呼びかけの言葉として「先生」が使用されている。もちろん、敬意が込められている呼称である。まあ、広い意味の敬意でそう呼ぶこともありそうだ。教師のほかには、医師、弁護士、議員、師匠(教える人)などがそう呼ばれる。
「聖職者であれ」とは言わないが、ある程度の覚悟を持って職についてほしい。逆に「教師だってサラリーマン(人間)だ」ともよく言われる。
私の兄が公務員で、昔、よく愚痴を聞いたことがある。そういうことがあったので、私も公務員がうらやましいという妬みも込めて自分の仕事の愚痴を言ったことがある。その時の兄の言葉が
「そう思うなら、公務員になればいい」
弾みで言った言葉だろうが、私は忘れられない。その後、一度も兄に対しては仕事の愚痴は言っていない。
そう、「教師だってサラリーマン」という人は、教師にならなければいい。嫌なら辞めればいい。
教師は多くの子どもに影響を与える職業。しかも、通常、子どもは教師を選べないのである。さらに、教師は給与的には恵まれている。今回の退職金減額も民間との格差を減らすという目的だったと聞く。
どんな職業だって大変であろう。消防士なら火傷あるいは命の危険さえある。警察官だってそうだろう。しかし、現場や職務を投げ出さないのは、職業意識を持っているからであろう。
2か月を残して、受験、卒業式を投げ出して退職する「学校で授業をしてきた人(教師と呼ばれるらしい)」は、自分が長年就いてきた仕事、あるいは人生を否定するようなものだ。
ニュースやワイドショーでキャスターたちは「責めることはできないが」という言葉を発していた。そうかもしれないが、誰か一人ぐらい、はっきり否定して欲しい(私が目にしなかっただけかもしれないが)。
そのせいもあって、きつい論調になってしまった。
★教員の立場で考えると
いきなり(告知は1か月前)、「退職金が150万円ほど減額されます」と言われても、もろもろの事情(家のローンや子どもや孫の婚礼など)で、退職金を当てにしていたかもしれない。そういう事情がなくても、150万円も減らされるのは、堪ったものではない。3月一杯、2か月働いても、約70万円損するでは、ばかばかしくて教師などやってられない。
私も同じ立場なら、同様なことを思うに違いない。上記で「150万円と職務を天秤にかけた」という表現をしたが、「もらう」と「損する」では事情が違う。
最近は、子どもたちも素直じゃないし、モンスターペアレンツとまではいかないが、うるさい親も多い。ネットなどの情報も早いので気が抜けない。そんな心理状態で今回の退職金減額を告げられたら、ぐらっと来てしまうかもしれない。
★行政の考え足らず
国からの「速やかに」実施しろという要請を鵜呑みにし、さらに、39億円の予算削減になるという皮算用があったのだろう。
しかし、こういう損得計算が生じてしまう時期にこの措置を取ることは、教員におかしな選択を与えてしまい、結果的に現場の混乱を招いてしまった。
期限内に退職する者は多くないと考えたのだろうか?私は退職者が一人でもいたらダメだと思う。「自分の担任が受験や卒業式を放棄してしまった」と思うことは重大な不幸である。
また、この時期にこういう選択を迫ること自体、あってはならないことである。
埼玉県の上田清司知事は
「個人の自由ですから、そこは、とやかく言うわけにはいかないですが、やっぱり、学級担任を持っている方々には、頑張ってほしかったな」
「(2月から減額しなければ)われわれは39億円(負担が生じる)。今度は逆に、国民から『あなたたちは、わざと遅らせている』という批判を受けます」
と述べているが、こういう混乱を招いた浅慮も責められるべきだ。