さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

チョコレート

2005-11-06 22:09:50 | Weblog
 じゃんけんではよくチョキを出した。相手の半分の勝率で同じ歩数、段数を進めると思ったが、大概、相手のほうが一枚上手で負けていた。チョコレートにはあまりいい思い出はない。毒が入っているわけがないから貰った行為を咎めたのだろう、母はアメリカ兵がくれたチョコレートを取り上げた。胃腸が弱かった10代、医者から食べてはいけないとされたものの一つがチョコレートだった。「食べると太ります」と女房の一言もいたかった。チョコレート工場の売店で激痛に襲われたのは3年前だった。
 ピーナッツもアーモンドも好きでナッツ入りのチョコレートはよく食べた。会社勤めの平日は食べる機会がないから、休日、女房が買物に出ている間にまとめて食べた。何事も隠れてすると後でしっぺ返しがあるものだ。単身赴任中も昼食時、ラーメン餃子を食べた後、チョコッペ、コッペパンにチョコレート・バターがこってり塗ってある菓子パンを好んで食べた。夕方はゴルフ番組を見ながら、アーモンドチョコレートを一袋食べていた。胆官結石はナッツ入りのチョコレートの摂り過ぎであったのだろうか?美味しいものを食べていい思いをしたのだから少しぐらい辛いのは仕方のないことだったが、それにしても、結石は痛かった。「石はどこだ」と検査を繰り返しているうちに痛みは消えたが、一週間、飲まず食わずの点滴生活に最後は胆嚢癌の疑いもあると脅された。2週間の入院で体重は10kg減ったが、早く家に帰らねば、病気になると退院した。
 チョコレートは16世紀まで中南米で高価な媚薬・疲労回復薬として飲まれ、17世紀から欧州の王侯貴族・修道院僧の嗜好品となったという。板チョコはイギリスで生まれてまだ150年ほどである。山火事でカカオの香、味が知られてから4千年経つが、食べるチョコ、板チョコの歴史はまだ浅い。チョコレートは消化に悪い、虫歯になる、肥満の原因といわれるが、カリウム、マグネシュウムを含み、空腹を感じさせないとか抗酸化・抗菌・整腸作用でむしろ病を、肥満を予防すると書いてある。ただ、よく読むと、カカオ・バターの代わりにヤシ油や他の植物油を使うチョコレートには、善玉コレステロールを悪玉にするとも書いてある。カカオ・バターの価格は他の植物油の10倍で、カカオから抽出されるとチョコには使われず、化粧品・医療分野に売られている、という。コストという誘惑に、代々のカカオ・バター、カカオマス・ポリフェノールを捨てた板チョコレート有り、と行間に書いてある。タバコのパッケージの警告までとはいわないが、チョコパッケージに、使用植物油名とカカオ・バターの含有率を表示して欲しい。表示があれば、チョコの食べ過ぎもぎりぎりのところで止まったかもしれない。甘いかな?
 胆石は、コレステロールが胆汁酸と異常に代謝して出来るという。退院後、コレステロールを、脂肪を取り過ぎないように、野菜、魚中心の、古来からの和食生活とした。政治的な発言だろうか、フランス人に言わせると、アメリカの量産チョコレートにカカオ・バターの含有率は少ないという。本当だとしたら、アメリカらしい、経営効率とコスト・利益の追及だ。日本製はどうだろう?リストラやコスト重視は、現代の金科玉条で、心配だ。少し高いが、今は、余計な知恵の入っていない大昔ながらの、カカオ・バターのみを表示する、チョコを食べている。カカオマス・ポリフェノールは、がん細胞が増えるのを強く抑制する働きがあるとする学説を信じて食べている

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菊Ⅰ

2005-11-05 10:02:47 | 花一匁
渋谷の交差点を渡る人たちにみえました
服装は 大なり小なり 皆 モノトーン
何処に消えた レナウン娘にツイギーら

片隅の 万年で 部下なしの 係長
明日 月一の手術後の検査 控えては
サービス残業 零時過ぎ
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腕時計

2005-11-04 23:34:07 | Weblog
 尊敬する部活先輩が時計会社に就職すると聞いて驚いた。時計はそう幾つも持つものではないから早晩、低成長産業になると思ったからだった。社会人になりたての頃、父親からのお下がり時計をしていたこともあって、周りを見ると、まったく運動に縁のなさそうな上司がスポーツ系のデザインものを嵌めていたり、同じような給料の同僚が高級ブランドものをつけていた。社会では結構いろんな種類の時計が色々面白い組合せで使われていると思った。仕事柄、自動巻き、日付・曜日表示、正確無比の流行のクォーツ時計を買った。時々寝坊したり、時計をし忘れて遅刻したが、腕時計はいつも正確であった。クォーツ時計の正確さに関心し、先輩が時計会社を就職先に選んだ賢さが分かった。今頃分かったと己の頭の回転に呆れもした。アメリカの小学校では年に数回は知能テストを実施する。私の知るアメリカの小学校は知識の習得する所というより、生徒の将来の適正を見極める所のように映った。学習障害者を見出すということで始まったIQテストや頭の回転の速さ、記憶・創造・推理力などのテストは、知能指数の高い生徒の選別テストのようだった。知能重視は膨大な勉強量を要する将来を選択させるもので、突き詰めれば、効率社会では当然なのであろう。
 腕時計は19世紀の後半にドイツの王族貴族から使われ始め、第一次大戦の戦場で機能・効用が認められ、20世紀に入って懐中時計に取って代わったという。長らくスイスが時計の本場であったが、60年代後半から、正確な時を刻む水晶発信のクォーツが日本で量産され始め、日本がスイスを追い越した。書物によると、その後、クォーツの廉価時計スウォッチで、クォーツ=安物時計と意識が広まり、顧客はクォーツから機械式スイス時計に戻ったとある。現在、クォーツは数量ベースでは90%だが、金額ベースでは50%にとどまるというから、時計=スイスのイメージは復活だ。日本人ビジネスマンの間でもローレックスは人気である。日本人は「眼鏡をかけてカメラを持っている」からすぐ分かるといわれたものだが、今は「眼鏡にローレックスの腕時計をしている」ビジネスマンは日本人とまでいわれている。
 人は自分にないものにあこがれる。社会人なりたて時の印象、腕時計と本人のアン・マッチの発見を思い出す。ビジネス、商談の世界では腕時計を話題にすることが結構ある。お互い、時計を比べて、相手の性格や考え方を探り合う。時計イメージと反対の連想を相手にしているのだろう。ローレックスをしていれば‘家計は自転車操業か’とか‘しまり屋’だろうと連想し、タグ・ホイヤーでは‘徒歩通勤をしているのだろうか’とか...ついこの間まで、正確に時を刻む時計、クォーツが究極の時計と思っていたが、機械式スイス時計がクォーツに勝ったということは、クォーツのイメージダウン、スウォッチの影響というというよりも、人々の、正確無比な世界への拒否反応ではないかと、最近思うようになってきた。確かに、少々精度が狂っても、話題も刻む時計の方が心を豊かにしてくる。目的や効率重視の経済社会の現代に、時報まで正確に刻む生活では耐え切れないことが多くある。追い詰められて内側のどこかで、規範が、約束事が切れても仕方がない。昨今の忌まわしい事件や犯罪はクォーツ時計によるところもあるのだろうか?早速、竜頭式の国産時計を探しに行こう。久しぶりに会う友達との話題にしよう。竜頭を巻き忘れて待ち合わせ時間に遅れたらどうしよう。いつも時間に遅れる奴だから許してくれることだろう


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マムシグサ

2005-11-03 17:33:07 | 花一匁
曇天に てかてか光ってる
「何だこれ」
そばのホトトギスも避けていた

日々激しくなる八つ当たり
黒ぶち眼鏡の係長 
昇格逃して トイレで笑う
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店内にて

2005-11-02 23:00:26 | Weblog
 西欧では、お店の営業時間は大体が夕方6時までと短く、日曜は休みだ。予め買うものを決めておかないと買物をしそこなう。店内では「何かお探しですか」と聞かれるまでもなく顧客から店員に声をかけることが多い。ただ、値の張るものを買う時はウインドー・ショッピングを繰り返す。店員も質問攻めを予想してあまり話し掛けてこないのだ。日本では、店長から厳しく指導されているのだろう。専門店では特に「いらっしゃいませ」の洗礼を先ず受ける。何か買わなくてはいけないような気持ちになり、手早く周りを見回して、急ぎの用事を思い出したかのように振舞って、店を出る。悪いことをしたのだろうか?
 今、流通業界は、就労所得者の伸び悩み、晩婚化、少子高齢化を受けて、量の販売からリピート客、生涯顧客の獲得に懸命だ。顧客個人情報はカード化され、POSで販売情報までが個人情報へフィードバックされ始めている。車一台の販売は何千万円の生涯顧客となる、リピート客へ注力は新規顧客獲得の五分の一で済む、顧客に満足してもらえると噂や評判で六倍の購買に繫がる等が流通業界の教科書だ。顧客は店内で、年齢、性別をインプットされ、服装で収入を、何気ない会話やボディーランゲージで家族構成が推定され、ポイントカードで住所が記録される。店員教育では、顧客の、歓迎されたい/ 敬意を払われたい/ 優越感に浸りたい/ 特別に扱われたい心理などが分析され「いらっしゃいませ」のあとのフォローが教えられている。お客の少ない専門店には益々入りにくいのが現状だ。
 85年のプラザ合意後の円高は、低金利と輸入原材料安に弾みを着け、結果として景気を押し上げた。企業も家計も潤って余った資金が株式に土地の投機に流れた。バブルの記憶は新しい。バブルの崩壊は2、3年遅れで小売流通業に押し寄せた。高額商品は売れなくなり、在庫処分のアウトレット店、大型ディスカウント店が流行り出す。しかし、安価・大量売り商売も続かない。貧富の差、資源の枯渇に環境汚染の問題・共生意識が広まり、不要なものの購買は社会悪との風潮が強くなる。消費者は、共生社会への参加意識に自分自身らしい暮らしという‘個’を合わせ、量産工場品と標準仕様には、心の満足ないと、抵抗する。
 専門店は、多種の商品をそろえるため、量産標準仕様の商品を、手を変え品を変え、見てくれを、説明を、個性グッズへとかえてくる。店員教育も来客の深層心理を読みとり誘導する高レベル。攻防戦を受けてみよう。「いらっしゃいませ」と言われたら、どうだろう、黙って退散するより店員に話しかけても面白い。商品の専門知識を、個へのこだわり・サービスを聞いてみよう、テストしてみよう。話し相手をなってくれるからといってテレホン・ショッピングが流行っているという。会話で気分転換も出来るというものだ。「ロゴマークと排気量表示なしの車をお願い出来ますか、幾らかかります」とか、上着に肘あてを頼んでみよう。全答されることもあり、多めに4、5つの質問は用意しておくといい。お店の訪問が楽しくなること請け合いだ。買物は我々の自己主張の大切な部分、ショッピングの楽しみを「いらっしゃいませ」や個人情報の提供で、奪われたくないのは当然だ。店内で、西欧風問答で、店長・店員への切り返し、試してみては如何だろう

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タデカ

2005-11-01 08:33:36 | 花一匁
秋の岸辺は 冷たいが
雄しべ 雌しべが 色つけて 読んでいた
蜂 あっちこっちと 飛んでいた 

もう中年の 助手先生
大部屋にも 必ず一回は やって来る  
皺 隈の笑顔で分かる 働き詰め 
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