さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

腕時計

2005-11-04 23:34:07 | Weblog
 尊敬する部活先輩が時計会社に就職すると聞いて驚いた。時計はそう幾つも持つものではないから早晩、低成長産業になると思ったからだった。社会人になりたての頃、父親からのお下がり時計をしていたこともあって、周りを見ると、まったく運動に縁のなさそうな上司がスポーツ系のデザインものを嵌めていたり、同じような給料の同僚が高級ブランドものをつけていた。社会では結構いろんな種類の時計が色々面白い組合せで使われていると思った。仕事柄、自動巻き、日付・曜日表示、正確無比の流行のクォーツ時計を買った。時々寝坊したり、時計をし忘れて遅刻したが、腕時計はいつも正確であった。クォーツ時計の正確さに関心し、先輩が時計会社を就職先に選んだ賢さが分かった。今頃分かったと己の頭の回転に呆れもした。アメリカの小学校では年に数回は知能テストを実施する。私の知るアメリカの小学校は知識の習得する所というより、生徒の将来の適正を見極める所のように映った。学習障害者を見出すということで始まったIQテストや頭の回転の速さ、記憶・創造・推理力などのテストは、知能指数の高い生徒の選別テストのようだった。知能重視は膨大な勉強量を要する将来を選択させるもので、突き詰めれば、効率社会では当然なのであろう。
 腕時計は19世紀の後半にドイツの王族貴族から使われ始め、第一次大戦の戦場で機能・効用が認められ、20世紀に入って懐中時計に取って代わったという。長らくスイスが時計の本場であったが、60年代後半から、正確な時を刻む水晶発信のクォーツが日本で量産され始め、日本がスイスを追い越した。書物によると、その後、クォーツの廉価時計スウォッチで、クォーツ=安物時計と意識が広まり、顧客はクォーツから機械式スイス時計に戻ったとある。現在、クォーツは数量ベースでは90%だが、金額ベースでは50%にとどまるというから、時計=スイスのイメージは復活だ。日本人ビジネスマンの間でもローレックスは人気である。日本人は「眼鏡をかけてカメラを持っている」からすぐ分かるといわれたものだが、今は「眼鏡にローレックスの腕時計をしている」ビジネスマンは日本人とまでいわれている。
 人は自分にないものにあこがれる。社会人なりたて時の印象、腕時計と本人のアン・マッチの発見を思い出す。ビジネス、商談の世界では腕時計を話題にすることが結構ある。お互い、時計を比べて、相手の性格や考え方を探り合う。時計イメージと反対の連想を相手にしているのだろう。ローレックスをしていれば‘家計は自転車操業か’とか‘しまり屋’だろうと連想し、タグ・ホイヤーでは‘徒歩通勤をしているのだろうか’とか...ついこの間まで、正確に時を刻む時計、クォーツが究極の時計と思っていたが、機械式スイス時計がクォーツに勝ったということは、クォーツのイメージダウン、スウォッチの影響というというよりも、人々の、正確無比な世界への拒否反応ではないかと、最近思うようになってきた。確かに、少々精度が狂っても、話題も刻む時計の方が心を豊かにしてくる。目的や効率重視の経済社会の現代に、時報まで正確に刻む生活では耐え切れないことが多くある。追い詰められて内側のどこかで、規範が、約束事が切れても仕方がない。昨今の忌まわしい事件や犯罪はクォーツ時計によるところもあるのだろうか?早速、竜頭式の国産時計を探しに行こう。久しぶりに会う友達との話題にしよう。竜頭を巻き忘れて待ち合わせ時間に遅れたらどうしよう。いつも時間に遅れる奴だから許してくれることだろう


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