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さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

モレーン・レイク7月

2006-07-27 22:51:19 | ポストカード
お元気ですか
今日はバンフから10Kmほどにある堆積湖、モレーン・レイク、氷河が岩石を運んで、川をせき止めて出来た湖へ行って来ました 湖水は氷河から流れ出る岩の粉で色付き 神々しい峰々に囲まれた荘厳な湖でした。

モルモン教を知っていますか?
今まで新興宗教の一つかと思っていましたが、北米で4百万人以上の信者をかかえる米国・カナダの見えざる国教のような存在で、誤解していました モレーン湖までのガイド役の青年がモルモン教だというので、道中色々聞いた話を転記します。

モルモン教の起こりは、1820年、現在のNY州西部の小さな町に住むジョセフ・スミス師に父なる神とキリストが現れ、「既成の宗教では魂の救いとはならない 真実の救いの道が示されるまで待つように」とのお告げがあったことと、この3年後の1823年にあった天使モロナイからお告げ「神の言葉が刻まれている黄金の板がある」とによるそうです 1827年、この黄金の板と翻訳機が掘り出され、1830年に黄金の板が正典「ブック・オブ・モルモン」にかわり、布教が始まったという。<どの宗教もその起こりはⅩファイル的ですが...モルモン教の起こりもⅩファイルのストーリーようです>

紀元前600年、バビロニアの攻撃を逃れてイスラエルを捨てるように神から命じられたリーハイは、家族と共に新大陸に移住した リーハイにはニーファイとレーマンという二人の息子がいたが、レーマンは神の教えに背き、ニーファイと敵対した レーマンの子孫はニーファイ人に戦いを挑み、これを滅ぼした(アメリカ・インディアンはレーマン人の子孫だそうです)最後のニーファイ人の一人となったモルモンは、古代イスラエルから今までのニーファイ人の歴史を刻んだ黄金板を息子のモロナイに託し、モロナイはこれを現在のNY州の森に埋めたと正典「ブック・オフ・モルモン」に書いてあります。<モルモン教とはインディアンから土地を奪った白人の懺悔ものなのだろうか?それとも長い目で見れば「負けるが勝ち」と教えているものなのだろうか?>

モルモン教は当初、旧約聖書の時代風習であるポリガミー、一夫多妻制を採っていた為弾圧を受けましたが、1890年にポリガミーを放棄し、また、モルモン教会は参戦の可否・戦争の是非の判断は下さないとしてからは信者を増やした 信者は収入の十分の一を献金として捧げることと 家族・勤勉・禁酒・愛国心を重視し、中絶・ホモ・婚前交渉・ドラッグ・酒・タバコ・ギャンブルに反対するという厳しい戒律を特色とし、支配階級に期待するの倫理観に発展したいう。<寄付を躊躇する お酒タバコをこよなく愛するものは米国・カナダでは上に立てない 日本に生まれてよかった>

モレーン湖を見下ろしながら「日本人でよかった」との考えに浸っていました 変ですね。
ではまた
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バンフ7月

2006-07-27 09:12:17 | ポストカード
お元気ですか
カナダのバンフに来ています
バンクーバーからロッキー山脈を越えてカルガリーに着き、カルガリーから車で120km走ってやって来ました そうそう、ロッキー山脈は言葉どおり岩だけの山脈です。木の生えていない連山を見た時は何か新発見のような気分でした バンフは標高1387m、2千m級の山に囲まれている人口8000人の街で、端から端まで歩いても30分ほどでのところです。

ハイキング、ドライブ、スキーに無縁なぼくが何でこんなところに遣って来たかって?
「気分転換かな」
カタログを見て、大自然のカナダを選んだ
カナダを選んだ流れでバンフに来てしまった
スニーカーで森林道、急流沿い、滝、湖の畔をぶらついていると「人間て小さなものだなー」と感じます 変ですね。

観光・レジャーの街ですので物価はカナダの平均以上ですが、街中のお奨めは、若い人たちとファミリー客で一杯のレストランOld Spaghetti Factory 
半人前でも注文を受けてくれるステーキのレストランBumper's Beef House Restaurant 
アメリカンチェリーとクランベリージュースが安いスーパーマケットSafewayです。

安全で、小奇麗で、空気の美味しいスローなバンフは期待以上でした 今度 ご夫婦でこられてはいかがですか? 
ではまた

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シェーンブルグ宮殿5月

2006-05-27 12:42:08 | ポストカード
お元気ですか
今日はシェーンブルグ宮殿に来ています。
この宮殿は
部屋数が1441
庭も18ホールのゴルフ場が三つ入るほどの
大きなものです。

欧州の歴史の半分は
この宮殿の主
ハプスブルグ家の歴史と聞きました。

今日教えてもらったことの受け売りです...
ハプスブルグ家の出は
スイスの
ライン川上流での渡し業だそうです。
家紋の双頭の鷲はこの地形
二つの河川の渡しに由来しているようです。
その後
物流業からスイス・アルガウ地方の領主となり
更に1273年には神聖ローマ帝国皇帝に選出されたそうです。
皇帝となり
その権限でオーストリーを
ハプスブルグ家のものとしたといいます。
規模は違いますが治世で財力を増やすやり方は今も続いてますね。

フリードリッヒⅢ世(1440-93年)以降代々
トルコとの戦いやスペイン継承戦争はあったものの
婚姻と外交をモットーに領土を
葡・西・英を除く欧州とメキシコまで拡大。
「戦いは他国にさせておけ、オーストリアよ、汝は結婚せよ」
というハプスブルグ家の家訓がものをいいました。
短期は損気 
婚期は好機ということでしょうか。

カールⅣ世を継いだ
マリア・テレジア(1717-80)は
プロイセンとのオーストリア継承戦争に勝ち
封建制度国家を
富国強兵の近代国家へと変貌させたといわれてます。
女傑のパワーと才覚には驚きます。
ただ
マリア・テレジアの16人の子供とその孫の代で
ハプスブルグ家は衰退へと向かいます。
ルイ16世の后となっていた末娘の
マリー・アントワネットは仏革命で断頭台に消え
フランツⅡ世はナポレオンに敗れ
神聖ローマ帝国国王を放棄しました。

ナポレオン失脚後ウィーン会議で王朝国家は復活しますが
ヨーゼフⅠ世(1846-1916年)は
帝国内の民族運動興隆や・プロイセンとの敗戦で統治力を失い
後を継いだカールⅤ世が
1918年に王位を退位し
650年続いたハプスブルグ帝国が終わります。
第一次世界大戦でハプスブルグ王国は終焉しましたが
これは民の力によるもので時の成り行きでしょう。

シェーンブルグ宮殿は
マリア・テレジアを主人公とする
ハプスブルグ一家の 
そして近世欧州の
盛衰ものの
舞台です。
ドルよりユーロが強くなりそうな
これからの
この時代
もう少し勉強して
円が弱くならないうちに
また訪問してみたいと思ってます。
ではまた
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センテンドレ5月

2006-05-24 09:09:17 | ポストカード
お元気ですか
この写真はブタペストの北 
センテンドレの
ワイン博物館前のものです。
センテンドレは
以前は商人の旧い町でしたが
芸術家が多く移り住むようになってから
小さな美術館や
中世風でカラフルな住宅に
お店屋さんが
軒を連ねるようになった
小奇麗な街です。

ここのワイン博物館の
有料の試飲がお奨めです。
トカイワインは
やはりハンガリー名産の一つでした。
美味しかった。
知りませんでしたが
トカイワインは貴腐ワインで
葡萄に黴をつけ水分を抜き
この多糖の葡萄でつくった
甘味が特徴のお酒です。

甘味の強い六つ星と
並みの三ツ星を
その場で買いましたので
一時に沢山飲むものとは違いますが
今度一緒にやりましょう
ではまた
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プラハ5月

2006-05-23 09:25:41 | ポストカード
お元気ですか
プラハ城に来ています。
城下は
ヴルタヴァ川や水路
中世からの建造物
赤屋根とベイジュの家々などで
しっくりまとまった
清潔で落ち着いた街並みです
人々の祖先や歴史に対する
誇りやプライドも伝わってくるところです。

多くのプラハの人たちは
団地やアパートに住んでいます。
代々住み続ける方も多いようです。
ただ殆どは郊外に簡単なウィークエンド・ハウス 
簡易別荘を持っていて
休日や夏休みは
そこで過ごすそうです。
自然の豊かな
そして地震の多い日本で
これは良いかも知れません。
ではまた
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サンクトペテルブルグ5月

2006-05-20 11:11:39 | ポストカード
お元気ですか
エルミタージュ国立美術館へやって来ました。
この美術館 
宮殿を4つつなぎ合わせたもので 
部屋数は1000を越え
400万点の美術品と財宝を持っています。
ただし 
このうち120万点は「公表しないもの」
「公表できないもの」と聞きました。
エルミタージュは隠れ家という意味だそうですが
覚えやすい名前ですね。
NYやパリの美術館と比べると
歩き疲れますが
ダ・ヴィンチ ラファエロ ムリーリョの聖母像や
印象派 近代画の作品に
「ゴッホはこんな作品も描いていたんだ」等などの
新発見もあり
遠くまでやってきた甲斐がありました。

御土産屋さんで46ドルのロシア正教教会の
水彩画を買いましたが
同じ画が
次の観光スポットの街頭で1000円で売られてました。
トイレに掛けることにします。
CDも400円と買い得でしたが
帰国後 
鳴らしてみてから
また 報告します。

曇天でも
運河 気候 歴史からでしょうか
此処の空気はモスクワと比べ 
明るく軽いように感じられます。
買物はお奨めではありませんが 
体力のあるうち 一度
サンクトペテルブルグへ来られることをお奨めします。
ではまた
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モスクワ5月Ⅱ

2006-05-19 13:35:18 | ポストカード
お元気ですか
今日は
赤の広場を撮りました。

TVでみた
政治局員の
序列披露の場
真っ赤な垂れ幕と
軍事パレードといった
動の
面影はなく
静かで広いところでした。

この広場
帝政時代は美しい広場
革命後は赤の広場と呼ばれ
その時々の
治世が現れました。

ロシア人はイエスとノーが明確であり
事あるごとに
大半が纏まって
全体意思として発露してきました。
民族意識 革命 変革のエネルギーとなってきました。

この静かな広場
これからどんな広場になるのでしょう
中庸の日本人には分かりずらいところですが
楽しい広場になって欲しいものです。

広場にかかる雲に切れ間が見えました。
ではまた
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モスクワ5月Ⅰ

2006-05-18 08:44:55 | ポストカード
お元気ですか。
今、モスクワにいます。
「おもしろい」と
ホテルから雲を撮りました。

数日の滞在でとてもロシアは語れませんが
ここでは
天と地とが
上と下とが
力と民とが
はっきり分けられていて
つながりは
「闇とコネ」
外から見えない「雲」
のようなものがあるように感じます。
どこの国にも「闇とコネ」はありますが
日本と違うところは
人々が「この雲」を公認しているふしがあるところです。

聞いてください。

「陸橋の鉄骨は巨大で頑強ですが、建造中のアパートの鉄骨は腕の細さほどで貧弱なものでした。地震対策より戦車の通行の方が大切なのだろうか?モスクワ市内の会社では税金より地域担当のマフィアへの上納金の方がマストである。会社の存続にかかわるお金という。乗用車は輸入中古車が大多数である一方でベンツが世界で一番売れている。市民も良いものを安く早く手に入れるためコネをフルに使っている。コネは売買もされている」

・強い国家を、力の国家を市民が、ある犠牲のもと、間接的にサポートしている。
・法より力が実生活を支えている。
・権限、腕力のあるものが、また、彼等とのコネを持つものが勝者となっている。
ロシア、モスクワの印象でした。

もうしばらくロシア、モスクワの「雲」を撮って帰ろうかと思います。
ではまた
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