お元気ですか
今日はシェーンブルグ宮殿に来ています。
この宮殿は
部屋数が1441
庭も18ホールのゴルフ場が三つ入るほどの
大きなものです。
欧州の歴史の半分は
この宮殿の主
ハプスブルグ家の歴史と聞きました。
今日教えてもらったことの受け売りです...
ハプスブルグ家の出は
スイスの
ライン川上流での渡し業だそうです。
家紋の双頭の鷲はこの地形
二つの河川の渡しに由来しているようです。
その後
物流業からスイス・アルガウ地方の領主となり
更に1273年には神聖ローマ帝国皇帝に選出されたそうです。
皇帝となり
その権限でオーストリーを
ハプスブルグ家のものとしたといいます。
規模は違いますが治世で財力を増やすやり方は今も続いてますね。
フリードリッヒⅢ世(1440-93年)以降代々
トルコとの戦いやスペイン継承戦争はあったものの
婚姻と外交をモットーに領土を
葡・西・英を除く欧州とメキシコまで拡大。
「戦いは他国にさせておけ、オーストリアよ、汝は結婚せよ」
というハプスブルグ家の家訓がものをいいました。
短期は損気
婚期は好機ということでしょうか。
カールⅣ世を継いだ
マリア・テレジア(1717-80)は
プロイセンとのオーストリア継承戦争に勝ち
封建制度国家を
富国強兵の近代国家へと変貌させたといわれてます。
女傑のパワーと才覚には驚きます。
ただ
マリア・テレジアの16人の子供とその孫の代で
ハプスブルグ家は衰退へと向かいます。
ルイ16世の后となっていた末娘の
マリー・アントワネットは仏革命で断頭台に消え
フランツⅡ世はナポレオンに敗れ
神聖ローマ帝国国王を放棄しました。
ナポレオン失脚後ウィーン会議で王朝国家は復活しますが
ヨーゼフⅠ世(1846-1916年)は
帝国内の民族運動興隆や・プロイセンとの敗戦で統治力を失い
後を継いだカールⅤ世が
1918年に王位を退位し
650年続いたハプスブルグ帝国が終わります。
第一次世界大戦でハプスブルグ王国は終焉しましたが
これは民の力によるもので時の成り行きでしょう。
シェーンブルグ宮殿は
マリア・テレジアを主人公とする
ハプスブルグ一家の
そして近世欧州の
盛衰ものの
舞台です。
ドルよりユーロが強くなりそうな
これからの
この時代
もう少し勉強して
円が弱くならないうちに
また訪問してみたいと思ってます。
ではまた
今日はシェーンブルグ宮殿に来ています。
この宮殿は
部屋数が1441
庭も18ホールのゴルフ場が三つ入るほどの
大きなものです。
欧州の歴史の半分は
この宮殿の主
ハプスブルグ家の歴史と聞きました。
今日教えてもらったことの受け売りです...
ハプスブルグ家の出は
スイスの
ライン川上流での渡し業だそうです。
家紋の双頭の鷲はこの地形
二つの河川の渡しに由来しているようです。
その後
物流業からスイス・アルガウ地方の領主となり
更に1273年には神聖ローマ帝国皇帝に選出されたそうです。
皇帝となり
その権限でオーストリーを
ハプスブルグ家のものとしたといいます。
規模は違いますが治世で財力を増やすやり方は今も続いてますね。
フリードリッヒⅢ世(1440-93年)以降代々
トルコとの戦いやスペイン継承戦争はあったものの
婚姻と外交をモットーに領土を
葡・西・英を除く欧州とメキシコまで拡大。
「戦いは他国にさせておけ、オーストリアよ、汝は結婚せよ」
というハプスブルグ家の家訓がものをいいました。
短期は損気
婚期は好機ということでしょうか。
カールⅣ世を継いだ
マリア・テレジア(1717-80)は
プロイセンとのオーストリア継承戦争に勝ち
封建制度国家を
富国強兵の近代国家へと変貌させたといわれてます。
女傑のパワーと才覚には驚きます。
ただ
マリア・テレジアの16人の子供とその孫の代で
ハプスブルグ家は衰退へと向かいます。
ルイ16世の后となっていた末娘の
マリー・アントワネットは仏革命で断頭台に消え
フランツⅡ世はナポレオンに敗れ
神聖ローマ帝国国王を放棄しました。
ナポレオン失脚後ウィーン会議で王朝国家は復活しますが
ヨーゼフⅠ世(1846-1916年)は
帝国内の民族運動興隆や・プロイセンとの敗戦で統治力を失い
後を継いだカールⅤ世が
1918年に王位を退位し
650年続いたハプスブルグ帝国が終わります。
第一次世界大戦でハプスブルグ王国は終焉しましたが
これは民の力によるもので時の成り行きでしょう。
シェーンブルグ宮殿は
マリア・テレジアを主人公とする
ハプスブルグ一家の
そして近世欧州の
盛衰ものの
舞台です。
ドルよりユーロが強くなりそうな
これからの
この時代
もう少し勉強して
円が弱くならないうちに
また訪問してみたいと思ってます。
ではまた