さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

シェーンブルグ宮殿5月

2006-05-27 12:42:08 | ポストカード
お元気ですか
今日はシェーンブルグ宮殿に来ています。
この宮殿は
部屋数が1441
庭も18ホールのゴルフ場が三つ入るほどの
大きなものです。

欧州の歴史の半分は
この宮殿の主
ハプスブルグ家の歴史と聞きました。

今日教えてもらったことの受け売りです...
ハプスブルグ家の出は
スイスの
ライン川上流での渡し業だそうです。
家紋の双頭の鷲はこの地形
二つの河川の渡しに由来しているようです。
その後
物流業からスイス・アルガウ地方の領主となり
更に1273年には神聖ローマ帝国皇帝に選出されたそうです。
皇帝となり
その権限でオーストリーを
ハプスブルグ家のものとしたといいます。
規模は違いますが治世で財力を増やすやり方は今も続いてますね。

フリードリッヒⅢ世(1440-93年)以降代々
トルコとの戦いやスペイン継承戦争はあったものの
婚姻と外交をモットーに領土を
葡・西・英を除く欧州とメキシコまで拡大。
「戦いは他国にさせておけ、オーストリアよ、汝は結婚せよ」
というハプスブルグ家の家訓がものをいいました。
短期は損気 
婚期は好機ということでしょうか。

カールⅣ世を継いだ
マリア・テレジア(1717-80)は
プロイセンとのオーストリア継承戦争に勝ち
封建制度国家を
富国強兵の近代国家へと変貌させたといわれてます。
女傑のパワーと才覚には驚きます。
ただ
マリア・テレジアの16人の子供とその孫の代で
ハプスブルグ家は衰退へと向かいます。
ルイ16世の后となっていた末娘の
マリー・アントワネットは仏革命で断頭台に消え
フランツⅡ世はナポレオンに敗れ
神聖ローマ帝国国王を放棄しました。

ナポレオン失脚後ウィーン会議で王朝国家は復活しますが
ヨーゼフⅠ世(1846-1916年)は
帝国内の民族運動興隆や・プロイセンとの敗戦で統治力を失い
後を継いだカールⅤ世が
1918年に王位を退位し
650年続いたハプスブルグ帝国が終わります。
第一次世界大戦でハプスブルグ王国は終焉しましたが
これは民の力によるもので時の成り行きでしょう。

シェーンブルグ宮殿は
マリア・テレジアを主人公とする
ハプスブルグ一家の 
そして近世欧州の
盛衰ものの
舞台です。
ドルよりユーロが強くなりそうな
これからの
この時代
もう少し勉強して
円が弱くならないうちに
また訪問してみたいと思ってます。
ではまた
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