さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

奇跡

2019-08-19 13:49:05 | 抜き書き


<古来の信仰を持ちながらも、モルターティはまぎれもない現代人だった。奇跡が自身の信仰になんらかの役割を果たしたことは一度としてない。むろん、教義では奇跡が語られている・・・手のひらからの出血、復活、聖骸布・・・。にもかかわらず、モルターティの合理的精神はそういった出来事を神話の一部と断じてきた。それらは人間の最も大きな弱点――証拠を求める願望――の所産にすぎない。奇跡とは、真実と願うがゆえに、だれもがしがみついている物語にほかならない。>ダン・ブラウン著越前敏弥訳「天使と悪魔」下巻P214より

注)このモルターティ氏は、枢機卿で物語のむすびではローマ教皇に選ばれる方です。

ここで読書が止まったのは、奇跡(人知を超えた超自然現象)って今まで期待した?経験した? そういえば奇跡に近いことを期待したことはあったなぁ… 証拠を求める願望とはどんなことを言っているのだろうか? の思いでした。

奇跡的なことを期待したことには…
・勉強も練習もしないで、学業もゴルフもレベルを上げることでした。
 経営に必要なのは、重用される者は、視点を変えた意見や異見を持つことでした。
  結果は 奇跡的なことは起こりませんでした。
  社内では エレベーターから降ろされてしまいました。
・奇跡的な出会いを大切に育てたかったのに、プライドが邪魔して、出会いをフイにしてしまったこともありましたね。
  詳細は省略。

・母が亡くなってから数日後に母のドアをたたく音がしましたが、母はいなかった~
  母はドアをトントンとたたくと同時にトントンを言うので、母がそこにいたのは確かなのですが、奇跡は起こりませんでした。

証拠を求める世界?
因果律・数理学的・科学的な論証が人々の考え方の主流となってきたということを言いたいのだろうか?証拠を求める世界では奇跡はお話の上だけのこと?奇跡を信じないということは悲劇的なこと?

奇跡は、誰でもが持てる別世界かぁ…
別世界と意識することが大切なのでしょうね そんな気にさせてくれた 一節でした。


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