映像撮影と編集の勉強も、既に242本をYouTubeにアップさせている。勉強方法は、沢山撮影編集をすることにつきそうだ。さしあたり500本アップを目指して・・・。
編集する以上なんらかのテーマ性がありそうだ。といっても、この日は感性が刺激される被写体がない毎日の散歩コース。映像を編集しながらテーマとなりそうなのは光か・・・?。つまり女の子の髪の毛を透き通る太陽光と人工照明かなぁ・・・?。一応音楽に合わせ少しだけテーマ性をちりばめているけど・・・。
清水の参道を歩くと外国人観光客が多いのは当然だが、母国の生活習慣を感じさせてくれるところが面白い。
欧米人は、自分達の周囲への目配りや配慮が大変敏感である。それも私の行動を予想しつつ賢い動きをする。そうした生活環境なのだろう。そして少し私に触れたらソーリーと言葉が自然に出てくるあたりは、やはり生活大国の国柄だ。
それとは逆なのが中華人民共和国の人達だ。なにしろ私を押しのけて撮影しようとするぐらいだし、わたしにぶつかってもソーリーという言葉を発することはない。多分心の中ではゴメンといってるのだろうけど、言葉にでない。つまり海外に出ると妙に出しゃばり、そして内心は腰がひけている感じもする。
そんな中国人が海外で日本を凌駕したと豪語し、アメリカ人達から馬鹿にされている光景がYouTubeにアップされている。
中国人「尖閣諸島は中国の領土だ!」
アメリカ人「それは北京が日本の領土だ、というのと同じぐらいの話だよ!」
1999年に私が中国・雲南省を訪れたときに、小さな田舎町で文物の研究者ですと紹介された中国人は、哲学者のように思慮深く、そして外国人である私達に温かく接する人物だった。そこに泰然としたな中国の確かな空気を感じさせてくれた。私は、日本より歴史がある国の中国人に敬意を払った。それが私が理解している中国人の姿である。
最近、そんな中国人を見かけなくなった。あの泰然とした哲学者のような中国人達は何処へいったのだろうか?。すくなくとも習近平体制になって、マネタリズムとエゴイズムの中国人が顕著になってしまったのは悲しいですね。
Fieldwork831.京都・梅雨晴れ 4K
α6600、E18-135mmF3.5-5.6