Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編386. 半世紀前の銀座で路面電車!

2019年01月10日 | Tokyo city

図1.銀座4丁目交差点、車窓から撮影

 

図2.都電銀座線の車内、若い人と老年の車掌が逆の方向をみていると思った

 

図3.都電銀座線の最終電車、当時の美濃部都知事が乗っていた

 

図4.最終電車が通過すると直ちに線路の撤去作業が始まった

 

 1964年に東京オリンピックが開催された後、1967年12月東京の都電(路面電車)銀座線が廃止されるというので、鉄ちゃんに誘われて銀座へ撮りにでかけた。路面電車ですかぁー・・・。

 最初に撮影した1枚の画像は、2018年2月27日のブログにアップさせている。地下鉄銀座線室町の階段を上がったら都電の背後に辰野金吾設計の第一生命館の建築物が暗い曇り空の街で静かに構えていた。あの何事にも動じぬかのような不思議なただすまいはなんだろうか?。最初から鉄ちゃんとは関心の方向がズレていたわけだ。とはおもいつつも都電銀座線が廃止されるので鉄ちゃんについていった。

 鉄ちゃんは当時最新型の一眼レフ・ニコマートFTnに24mmの広角レンズと標準レンズが付いた機材の2台持ちだ。貧乏高校生であるこちらは一世代前の親父からのもらい物のレンジファインダー・キャノン6Lという大いに心寂しい機材だが、まあ撮ろうという意欲だけはあった。

 銀座は、都電の廃止と年末とが重なり多くの人出で大変賑わっていた。そんな人混みをかき分けて、我々は様々なアングルから都電を撮影していた。いや貧乏高校生が滅多に来ることがない銀座の街の空気が新鮮だった。

 この都電銀座線の廃止を皮切りに、その後順次東京から路面電車が廃止されてゆく。ならば撮らなきゃと、その後も鉄ちゃん行脚が少しばかり続く。それは都電を口実に、その背後の東京の街のシティスケープに関心があったのだろう。そこから街の徘徊の始まり、建築への関心の始まり、都市への関心の始まり、と多様な好奇心が立ち上がってきた頃である。

 そして半世紀後の2020年に再度東京オリンピックが開催される。その半世紀の間で東京の街も大きく変わってきたし、私が社会に出た頃に足繁く通ったトレーニングセンターが国立競技場内にあったが、今はそれも建て変わろうとしている。

 いろんな好奇心が、いろんな人達によってもたされた頃でもあった。それが半世紀の時間を経て、そこになんの懐かしさも感じないのは何故だろうか。

・・・・・

 さて昨日の京都は、朝方雪がぱらついた程度で、積もることはなく相変わらず寒い1日だった。午前中住民票をとりにゆき午後から大阪の国土交通省へ50頁近くある書類を提出した。提出したときは大阪の空に向かって終わった!と叫んだ。

 今日の朝の京都の気温は-2°、北の方は-4°の予報が出ている。さて明日はとても寒いので講義用スライドのデジタルデュープづくり、夕方からスイミング教室がある。寒いときのスイミングも泳いだあとに、えもいわれぬ爽快感があるのです。

 

東京都中央区

Canon6L,50mm/F1.4,Tri-X増感処理

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする