書道家Syuunの忘れ物

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日本書紀の壬申の乱と白村江の戦いの真実は??

2012-10-26 00:02:02 | 読み解けば‥‥
日本書紀の壬申の乱と白村江の戦いの真実は??

壬申の乱・・天武元年(672)6月の下旬から31日間で終わった皇位継承をめぐる大乱である。この壬申の乱は日本書紀の中に正に日記を付けたかのように、細かく記載されているという不思議な戦争である。
この壬申の乱というのは、もう30年以上前からその戦い方と種々の矛盾を感じて実態はどう言うものだったのかと考えてきた。
その壬申の乱とその乱の前の白村江の戦いというのが同じく良く分からない課題でもあった。
そして、1981年に群馬県前橋市山王町の金冠塚古墳(6世紀後半)から「金銅製の冠」が出土した。
このレプリカが前橋市立図書館に飾られている。
663年天智2年3月に「百済の都、州柔(つぬ)城」の陸戦(8月27日~9月7日)のため
<白村江の戦いの前哨戦>

第二派:2万7千人。軍主力。指揮官は上毛野君稚子、巨勢神前臣譯語、阿倍比羅夫(阿倍引田比羅夫)。662年3月出発。(Wikipediaより)
(日本書紀・天智紀)
正確には
前将軍
上毛野君稚子(かみつけのきみ わかこ)
間人連大蓋(はしのひとのむらじおほふた)

中将軍
巨勢神前臣譯語(こせのかむさきのおみをさ)
三輪君根麻呂

後将軍
阿倍引田比羅夫(あべひけたおみひらふ)
大宅臣鎌柄(おほやけのおみかまつか)
この総司令官は「明日香皇子」と考えられている。

ここで上毛野君稚子とは、「君」が付いている以上皇族と思われ「上毛野」とは群馬県である。それで金冠塚古墳と言うのも何やら上毛野君と関係がありそうな気がする。

次回から、白村江の戦いと欺瞞に満ちた壬申の乱の記述について少しずつ考察して行きたい。

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